(※大学生の十くんと、三日間しか記憶が持たない大和君のパロディです。セクシーボイスアンドロボという漫画のネタを使っています)
深夜の町は閑散としている。ゲーッという奇妙な声に龍之介は足を早める。
店長も酷いよな、深夜の人手が足りないの知っていて足さないんだから。もう、このバイトやめようかな……。
昨春東京へ出てきたばかりの十は苦学生だった。大学進学さえも反対されたのに場所が地元から遠く離れた東京とあれば説得などできるはずもなく、バイトをいくつも掛け持ち奨学金を借り、やっとやっと生活していた。
深夜の居酒屋のバイトは給料はいいが気苦労が多い。今日だって本当なら日付が変わる前にバイト先出れていたはずなのに、忙しく動き回っている間に終電を逃し、最寄りまで二駅歩くことになったのだ。
家まで後少しというところでトンネルに差しかかる。昼間はどうって事はないが深夜、薄赤く光るトンネルを通るのはすこし気が引けた。
走って抜けちゃおう。とスピードを速めようとしたその時、なにやら男の言い争う声が中から聞こえた。
最悪だ。家に帰るにはここを通るか三十分ほど引き返して違う道を行かなければならない。しれっと通り過ぎることができないか少し身を潜めて様子をうかがう。
どうやら長身の男が一方的に罵っているようで、今にも殴りかかりそうに見えた。これは通報した方がいいのかも……とスマートフォンを取りだそうとした時、肉の鈍い音がして、罵られていた男が紙をまき散らしながら崩れ落ちる。
十はひゅっと息をのむと、見つからないように身を潜めていた看板に張り付く。長身の男は一言二言言い残すと、十には気付かず去っていった。
ほっと一息つきながら、倒れている男に近づく。沢山落ちている紙はどうやらレシートのようで、片手で殴られたのであろう腹を押さえながらあいている手でかき集めているようだ。しかし、夜風に弄ばれうまく集めることができない。
十は地面に片膝を付くと、レシートを集めるのを手伝う。そこまで来てやっと十の存在に気付いたらしい男がバネ人形のように顔を跳ね上げる。薄いフレームの眼鏡にみる角度によって色を変える不思議なグリーンの瞳。想像していたよりも顔立ちは若く、おそらく自分と同い年くらいだろう。
「手伝うよ」
「……どうも」
発せられた声はやはり若く、自分の推測はおそらく間違っていないだろうと頷く。
レシートがこんなにって事はカツアゲかな……かわいそうに。そう思いながら最後の一枚を拾い、まとめて彼に渡す。
「はい、これで全部だと思うんだけど」
「……ありがとうございます」
「気にしないで。それよりも大丈夫?カツアゲ……かな災難だったね」
彼がずいぶんとおどおどとしているのは、先ほどの男が怖かったからだろうと、安心させるべくなるべく優しく声をかける。
十は長身なせいか、怖いという印象を与えることが多かった。自身では気弱な方だと思うのだが、二メートル近い巨体では相手に圧力をかける。その分相手を安心させる方法も心得ていた。
「大丈夫です。すみません」
「ならよかった。えっと……家はどこ?もしよかったら送るけど……」
「い、いえ本当に大丈夫です……。ありがとうございます」
そういうと彼は、フードをかぶり走り去ってしまった。
拒否されたことにすこしのショックを感じながらも、カツアゲにあったあとだもんな。と納得させる。
さて、俺も帰らないと……と一歩踏み出したとき、自分の足のしたに一枚のレシートがあったことに気づき、しまったと拾い上げる。
なんてことはないコンビニのレシートだが、裏から何かが透けている。裏返せばそこには「目が見えにくい」とかかれている。
「眼鏡あわないのかな……」
大事そうに集めていたメモを捨てるのも何となく気が引けて、自分の手帳に挟む。もし一ヶ月以内に会えたら渡そうと。そう決めて家に向かって歩を進める。
トンネルはさほど怖くなくなっていた。
これが俺、十龍之介と、世間を騒がせる殺人者「三日坊主」の出会いであった。
***
火曜日の講義は午前には終わる。手帳を見ればバイトは夜からで、だいぶ余裕があった。外は気持ちのいい快晴で、コンビニでおにぎりを買っておいてあった十はなんとなく公園へと足を向ける。
昼の公園では子供たちが遊んでおり、そのそばで母親たちが歓談中だ。
ベンチにでも座ってたべるか……とぐるりと見回すと、一人先客の姿があった。
あっ、あの人。
食パンをかじりながら時々目の前の鳩に欠片を放ってやっているその男は、昨日トンネルの中で会った青年だ。
よかった〜会えた。と手帳に挟んでおいたレシートを取り出しながら、彼に話しかける。
「こんにちは」
「……?こんにちは」
彼の瞳に写る、警戒の色にもしかして覚えてなかったかと焦りを感じつつ、しどろもどろになりながら、
「あー……あの、この前、会ったよね、夜さ、トンネルで……」
まるで下手なナンパだ。彼がこてんと首を傾げているのを見ていると、人違いのようにも思えてくる。
「えっと……お腹、もう痛くない? 」
俺がそう聞くと彼の目がはっと開かれる。そして、ポケットからレシートの束をとりだし、すごい早さでめくりはじめた。ぶつぶつと声に出しながらめくっていくその様は異様で、思わず後ずさってしまう。
「二月九日」
彼の口から発せられたのは、自分が彼と会った日の日付だ。
「トンネルで、背の高い男の人に優しくして貰う」
そこまで読み上げてから彼がそっと顔を上げる。確認するように俺の表情を見て、それからまた頭を下げた。
「この前はありがとうございました」
「い、いや、拾っただけだし……あ、あとこれ、君のかな……?」
レシートを渡すとまたいっそう深く頭を下げられる
「すみません、失礼な態度をとった上にここまでしていただいて……」
「い、いや、気にしないで!大したことじゃないから……えっと、隣いいかな? 」
彼はすこし視線をさまよわせた後、身をずらして俺の座れるだけのスペースを空けてくれる。
ありがとうといいながら、隣に腰を下ろしてちらっとみると、ふいっと目を反らされた。
シャイとか……気弱とか……そういう感じではないんだろうな。彼の横顔はすっとしていて、女性にモテそうだ。とぼんやりと思う。黒目は控えめで、目尻はきゅっとあがっていて、見ようによってはキツい印象を与えてしまいそうだが、薄いフレームの眼鏡がそれを程良く中和していた。
「あの……俺、すぐ忘れちゃうんで、アンタと何か約束とかしてました? 」
「へ!?いや、なにもしてないけど……」
「そう、ですか」
気まずい沈黙に十は身を小さくする。彼はぼんやりとしながら手元のレシートをいじっていて、十にも彼が大切にしているのはレシートではなく、レシートにかかれた文字だと言うことがわかった。
きっとすぐ忘れちゃうって言うのに関係あるんだろうけど……
鞄をあさると小さなノートが出てくる。この前新調したノートに付いてきたおまけだ。
「あのさ、よかったらこれ使って。レシートじゃまた飛ばされちゃうかもしれないし! 」
とノートを押しつけると彼は、悪いからと数回拒んだが、最後には受け取ってくれた。どうせならとホチキスを渡し、今までのレシートをまとめて一ページめに止めてみることを提案すると、彼は目をきらきらとさせてそれに従った。
「すごい、こんなの俺思いつかなかった」
「たまたまだよ。でも役に立ったならよかった。歩く道具箱も悪くないよね」
「歩く道具箱ってなんですか? 」
「え?ああ、あだ名なんだけどね……いつもハサミもノリもホチキスも持ち歩いてるから」
「へえ、変なの」
彼は小さなノートを一枚めくると、ポケットからペンを取りだし、二月十一日 歩く道具箱さんにノートを貰う。と書き付けた。
「あ、ああ!まだ名乗ってなかったよね。俺は十、十龍之介」
「つなしさん」
「よかったら、あだ名じゃなくてそっちを書いておいて欲しいななんて……」
「わかりました」
すこし口元に笑みを浮かべながら彼は、歩く道具箱のしたにラインを引き、つなしさんと付け足した。そしていたずらっ子のような笑みでこちらを見上げてくる。
俺はなんだかうれしくなって、自分も手帳を開いた。
「よかったら君の名前も教えてよ。俺も忘れないように書いておくから」
「えっと……」
彼がすこし言葉を詰まらせた。胸の当たりをきゅっと握ったかと思うと、ややあって。
「仕事仲間は俺のことを三日坊主って呼ぶ」
俺の記憶は三日しか持たないから。
彼の言葉に思わずペンを取り落としそうになりながらしっかりと握る。彼は、三日坊主はさっきまでのいたずらっ子のような笑みではなく、自虐的な笑みを浮かべてさっと立ち上がる。
「じゃあ、つなしさん。三日以内にまた会えたら」
ぺたぺたとサンダルをならしながら去っていく三日坊主の背を呆然と見つめる。三日しか記憶が持たない青年。まるで映画のようじゃないか。
惚けていると、肩をぐいっと捕まれた。痛みに振り返ればそこには、一昨日三日坊主と言い争っていた男がしかめっ面で立っていた。