鬼と狂気

「……」


……ああ、また暴れてしまったのか。

空都が気が付いた時には辺り一面が血の海になっていた。

右手を見やれば血に染まりに染まった刀が。足元を見れば武器が散乱していた。
死体は無いのだから、多分妖魔なのだろう。


「……」


異界に来てから、何度目の事だろう。
元いた世界よりは頻度は多くないものの、空都の精神を確実に削っている。それが空都にとって辛い事だった。


「はは…。…そろそろ、考えなきゃ…いけねーか……」


顔に付いたであろう返り血を左手の甲で拭いながら、空都は一人呟く。
このままでは精神が殺られ、正気に戻れなくなる可能性がある事は薄々感じていた。
この異界という世界は、不安定な世界でもある。
幾多の物が混ざりあった世界だ。元の世界では戦を求めていた空都だが、この異界ではそんな事は全くない。
むしろ平和でいたいのだ。
空都の意思も関係なく豹変するなんて事は今までなかった。
"異界"が空都の中の狂気を呼び起こしている。
強敵が相手ではない時でも、豹変してしまう事があったのだから。そう考えれば、納得がいく。


「何だか、体を乗っ取られるみたいだな……。冗談、キツいって……」


笑い事にしようと言葉に出してみたが、少しばかり声が震えていた。
これは多分、恐怖からではなく狂った精神が空都の中を確実に蝕んでいるのだろう。


「義経がいないと、駄目だな……俺は」


今、この場所にいない友の顔を思い浮かべる空都。
義経といる時は不思議と精神は荒れずに済んでいた。

それは心から信頼しているから、荒れなかったんだろうと、空都は考える。


「あー…もう、面倒くさい……」


どうして俺はこうなってしまったんだろう。
それは元の世界の時から空都が思っていた事だ。だが、幾ら考えても答えは見つからないで終わる。

今回もそうだ。
このまま、何もせずにいればいずれ仲間に刀を向ける事になるだろう。今は敵相手にしか刀を向けていないが、それがいつ仲間に向けられるのか分かったものじゃない。

下手したら明日かもしれないのだ。


「……」


考えれば考える程、空都は嫌になっていき、握っていた刀を無造作に前へ投げる。今は血に濡れた刀など見たくはなかった。
投げられた刀は宙を舞い、地面へカランと落ちる。それを見ていた空都は取りに行く事もせずに踵を返し、歩き出そうとした。

その時。


「……落としたぞ」


背後から声がして、空都は思わず足を止める。それから少し間を置いて後ろを振り返れば、大きな瓢箪を担いだ鬼が……。

酒呑童子の姿が見えた。
手には先程空都が投げた刀がある。


「……何だ。…鬼か」


刀の事など気にすることなく、空都は酒呑童子に向かって言った。


「何だよ、鬼も……狂気に引き寄せられたのか?」


吐き捨てる様に言ったが、酒呑童子は表情を変えずゆっくりと近付いて来る。


「辺りがこんな風になってんのに、鬼は何とも思わないのか?偶然出会したなんて、そんな事ないだろ?……なぁ」


酒呑童子が近付いてくるにつれて、空都の言葉は弱々しくなっていく。最後には酒呑童子に尋ねていた。


「鬼、お前は……俺の事どう思ってるんだ?」

「……」


目の前まで来た酒呑童子だったが、空都を見るばかりで言葉を発しない。
だが空都は気にする事なく言い続ける。


「何にも言わないなら別にいい。鬼は鬼という事で片付けられるからいいよな……。俺は普通じゃない奴だ。俺の豹変した姿なんか見たら、皆逃げていくさ」

「……何故、そう言える」


酒呑童子がやっと口を開いて出た言葉。それに空都は言葉を返した。


「何故だって?……この有り様を見れば、分かるだろ?」


血に濡れた顔や体。
そして刀とその場の血の海が、空都の豹変した事の恐ろしさを物語っている。


「そういうものなのか」


酒呑童子は周りを見てそれから、なんてことないように空都を見た。


「何だよ…そういうもの、って……。…そうか、鬼は戦ってる時の俺を見てなかったか……」

「ああ、見ていない。……これは空都が暴れた後なのか?」


そう言う酒呑童子は何を思っているのだろう。空都は酒呑童子の考えている事がよく分からなかった。こんな惨状を見た者は、普通なら空都に対して警戒するだろう。仲間に置いたままではいずれ自分達にも危機が及ぶ。そう、思ってもおかしくはない事だ。
だが、目の前にいる酒呑童子はどうだろうか。


「……俺がやった」


空都がそう言っても、酒呑童子はそうかと返すだけで他は何も言わない。
ただ見ているだけだ。
空都はその何の感情もない視線が嫌になり、顔を伏せる。その視線が、ただ見てくる目を視界に入れたくなかった。


「……」

「……」


それからお互いに何かを言う事はなく、少しの間は沈黙が続く。

だが空都はその沈黙に耐えきれず、話し出す。その声は、先程よりも小さくなっていた事に酒呑童子は気付いた。


「……おい、無言で…通す気かよ」

「……」

「何とか、言えよ…!異質だ、化け物だ!ってさぁ……」


空都がそう言っても、酒呑童子は何も言わない。

言葉を探しているのか、それか何とも思っていないのか分からないが、酒呑童子から言われる事はなかった。まだ刀を手に持っているのを見ると、空都が受け取るまで待っているつもりなのだろう。

ふと、空都は手に持たれている刀を見ながら何かを言った。
酒呑童子は聞き取れず、何だと返す。
空都は酒呑童子に向かってもう一度、先程言った言葉を口にした。


「その刀で、俺を殺してくれよ」


そう、空都が言った事に酒呑童子は少しばかり驚く。

刀で殺せ、とは本気で言っているのだろうか。だが空都の目を見れば冗談を言っている様には思えない。酒呑童子が何も言えずにいると、再び空都は話し出す。それはハッキリと、空都の覚悟の様に思えるものだった。


「多分、俺は正気でいられなくなる。これも何かの縁だ、……鬼に殺された方が良いかな…ってさ」

「……お前、は…」


死を他の者に任せるのか。その言葉は酒呑童子から出ることはなかった。
ほんの少しだが、空都の目の奥に見えた黒い渦。それを見た酒呑童子は察したのだ。

この者の狂気は本物だ、と。


「だから、義経や他の仲間にさ……俺が刀向けたら、お前が…殺してくれよ」


静かに、空都は言う。
まるで死ぬことを望んでいるかの様に。


「……いや、なんなら…今殺してくれたって構わない」

「何、を……」


空都の言葉が、次第に狂気を含んでいる事に酒呑童子は気付いた。

最早、空都の精神は治らない所まで来ているのかもしれない。それは本人も、気付かない位に。


「お前なら、その位簡単に出来るだろ?……なあ、…酒呑童子。……俺を、殺してくれよ」


そう言って笑う空都に、酒呑童子は恐怖とは違う何かを感じていた。空都が、空都ではない何かに思えてしまう。


「……っ」


これが、空都の中にいる狂気か。
酒呑童子は何も言わずに、ただ空都を見る事しか出来なかった。


その刀で俺を殺せ。


空都は再び笑いながら、言った。



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