「そこにいる人の子よ、向こうの川で私と魚釣りをしないか?」 それは、仙人の気紛れから始まった。 「何で俺が……」 空都が愚痴を言いつつも太公望の魚釣りに付き合っていた。 正直言って面倒くさいのだが 太公望の魚釣りの上手さは噂で聞いているから、必ず釣れると確信はしている。 魚釣りは得意な方ではないから太公望から教わろうと、今回の誘いを受けたのだ。 一番は釣った魚を義経の手土産にするのが目的だが 太公望が何故空都を誘ったのか目的が分からないまま川へ向かう事になってしまう。 まあ、太公望の事だから何も考えずに暇を持て余していた俺を捕まえただけだろう。そう、考える事にした。 ──── 「…ふむ、この位置なら魚を容易く釣り上げる事が出来よう」 川岸に着くなり、太公望はそう言うと空都に釣竿を渡す。 「それで糸を垂らしてみるといい」 「垂らすだけか?餌は?」 「クク、文句をたれるな人の子よ」 「…………」 何故だか分からないが、太公望の上から目線の発言はあまり好きではない。いや、仙人だからそう言う者だと思いたいがどうしても太公望は好きになれない。 これは苦手意識と言うのだろうか? 俺は仕方なく、太公望に言われた位置に立ち釣竿を川の真ん中に向かって振った。 餌が無いのにどうやって魚が食い付くのだろうか。という、そんな空都の疑問は直ぐに拭い去る事になる。 「……お?」 糸を垂らしてから数分後、空都の持つ釣竿に反応があった。 あまりにも早く魚が食い付いたことに驚いてしまう。太公望も空都の反応に気付き、水面を見て静かに指示を出す。 「すぐに上げてはならぬ。…一際大きな反応があった時に、釣竿を上げるのだ」 「……」 太公望の言う通りに俺は静かにその時を待つ。 普段の俺なら、反応があった時にすぐ釣竿を上げていたから外れが多かった。だけど太公望の的確な指示のお陰で、食い付いた魚はまだ逃げる事はしないでいる。 これは、もしかすると…。 空都がそう思った瞬間、今まで小さい反応しかしていなかった糸が 一際大きく引っ張られた感覚が来た。今だ、と言うばかりに空都は思いっきり釣竿を上げにかかる。 「……ぐっ」 だが思いの外大物が食い付いていたのか知らないが中々上げる事が出来ず、魚と根比べをする破面になった。 「この……意地でも、釣り上げてやらぁ!!!」 「その意気だ、人の子」 太公望は見ているだけで手助けはしてこないらしい。 成る程、これ位の魚なら自分が助ける必要もないっていう事か?上等だ、俺は絶対に釣り上げてみせる! と、心の中で太公望に向かって言うと空都は釣竿を握っている両手に力を込めた。 絶対釣り上げる。 その強い思いが空都を突き動かしていた。 「今……だぁっ!」 一瞬の隙を狙って、空都が大きな声を出し釣竿を勢いよく上げる。 強い力で釣竿を上げた為、魚はそれに耐えきれなかったのか水面から顔が出たかと思えば、一気に何匹も現れて釣糸に食い付きながら暴れている姿が見えた。 「よっしゃあ!釣り上げたぞっ!」 大きさは見ただけでも川魚の中で、一際大きな部類に入るだろうか。 俺は釣り上げた達成感に包まれる。 空都が嬉しそうにしていたら、後ろで見ていた太公望が近付いて来た。 「…ほう、中々の大物だ。人の子にしては上出来だと言えるか…。魚籠はここに置いておく、好きに使うといい」 太公望はそう言って魚籠を空都の見える位置に置くと、自らも釣りをする為にその場から移動していた。 それを見た空都は、釣り上げた魚を地面に置く訳にもいかなかったので太公望が用意してくれた魚籠に釣り上げた魚を入れる事にする。 「…へぇ、あんな奴でも気が利く事をするんだなぁ……」 空都が太公望の意外な一面を見て、案外良い奴なのかもしれない、と思いながら再び釣竿を手に持って川へと振るった。 それから数時間して、空都が釣った魚は手土産には十分な量にまで達していた。魚籠から顔を覗かせている魚を見て空都はもう良いだろうと釣るのを止める。 辺りを見れば既に夕日がかった空になっていて、魚釣りに熱中していた事が窺える。 本当は数匹釣って帰るつもりだったが太公望の言葉巧みに乗せられ、気付けば長い時間魚釣りをする事になっていたのだ。 これだと帰る頃には既に辺りが暗くなるな、と空都は苦笑する。 まあでも、楽しい魚釣りだったから別にいいか。俺はそう思い、帰り支度をした。 「…少し、聞きたい事がある」 すると、突然背後から声がかかり空都は後ろを向く。そこにいたのは魚籠と釣竿を手に持っていた太公望だった。 太公望も俺と一緒に帰るのか? と、思ったのだが顔つきからしてどうやら違う事が分かり、俺は帰り支度を一旦やめる。 それを見た太公望は話が物分かりが良いなと言い、俺の目を見て言った。 「私はこの異界に招かれた人の子らを見てきたが…お前は少しばかり違う気がしてならない。お前は…、そうだな……」 太公望が意味有り気な話を切り出した物だから、空都は慌てて言葉を遮る。 「いや、ちょっと待ってくれ!どうしていきなりそんな話なんかするんだよ 意味分かんねーって!」 「意味は自ずと分かる。それを私は探っているのだ」 「いや、いつか分かるなら別に今言わなくても…、…俺はもう帰るからな太公望」 話が長くなりそうな予感がした為、空都はさっさと話を切り上げて帰り支度を再開する。それを見た太公望は少しばかりのため息を吐き、少しの間を置いてから言葉にした。 「時に空都、お前は元の世界に戻りたいか?お前の様な異界に"招かれてしまった"人の子であれば…、戻す事は出来なくはない」 「……もど……る?」 太公望から言われた言葉に空都はピクリと反応する。 戻すと言うからには決して嘘ではないんだろう。だが、招かれてしまったというのはどういう事だ? 空都は太公望に聞き返そうとしたが、…止めた。 理由がどうあれ、元の世界に戻れば今の"義経"はいないだろう。また空都は一人になるのだ。 そりゃ確かに戻りたい気持ちはある。 だけどそんな世界に戻るよりも、今の世界で義経と共にいる方が断然マシだ。そう思った俺は太公望に向かって、短く言葉を返す。 「俺は、戻らない」 空都は帰り支度を済ませ、太公望の返答を待たず早々に帰っていった。 その場に一人残った太公望は、空都が去って行った方へ目を向け顎に手をあて静かに笑う。 「クク…。空都…やはりお前は他の人の子とは違うな……」 異界の気紛れか、はたまた遠呂智が呼び寄せた影響か…。 「今はまだ知ることは叶わぬ、か」 太公望はそう呟くと、人の子がいる陣営へ帰る事にしたのだった。 |