「それは君の分じゃありません」
骸が軽やかな動作で綱吉の手から取り上げたのはプラチナの指輪だ。
華奢なそれが綱吉のものでないことは、見た目からも明らかだった。
なんの細工もない、もちろん炎だって灯らない金属の輪だ。
けれどだからこそ、どんなものより重たかった。
「君が、」
歌うような声で彼は指輪を手の中で転がす。
「あんまり僕に健全な幸せを求めるのでね。結婚でもしようかと」
「結婚って相手は」
「クロームですよ」
やさしく微笑む。
「安心しましたか?」
「何に」
「見知らぬ人間でなかったことに」
言葉を失う綱吉を横目に彼はポケットに指輪をしまった。
「しあわせになりますよ。家には早く帰りますし、優しい言葉で常に感謝しましょう。ああ、あと」
言葉を区切って、思わせ振りな笑みを浮かべた。
「爪も、きちんと切りましょう」
その台詞に、今はもう傷ひとつない綱吉の皮膚が熱く燃えた。
心臓は反対に灰色に冷えている。
鉛のように胸の空洞にぶら下がる。
「なんて顔をしているんですか」
からかうような笑顔を呆然と眺めていると、一瞬、赤と青との瞳の中で激しい感情が閃いた。
「君が捨てたものですよ」
彼の口元はもう笑っていない。
「そうだね」
オレが選ばなかったのだ、と、綱吉は頭の片隅で呟いた。
夕焼けを思い詰めたように見つめていた彼を思い出す。
かすかに強ばった頬の輪郭。
骸が初めて口にした未来を、綱吉は選ばなかった。
好きなのに。
たとえば眠る時にそばにいれたら、もうなにもいらないような気がするのに。
実際には家族も友人も部下からの期待も、なにも捨てられない。
愛する資格ってなんだろう。
それは、たったひとりを選べなかった瞬間に消えてしまうものなんだろうか。
「式とか、するの」
「しますよ。一般的な、華やかなやつを」
「そうか」
「呼んでほしいんですか」
「わからない」
わからない、と、答えながら綱吉の脳裏には鮮やかな記憶が巡っている。
並木道の緑であったり、スクランブルエッグの黄色であったり。閉じた目蓋の白さ。見上げた夜空の、青。
すべての隣にあった気配。
自分の招いた変化が決定的であることに、綱吉は目が眩むほどの恐怖を覚える。
わずかに安堵も。
これだけ後戻りできない状況になれば、未練がましくすがったりしないだろう。
この泥沼のような恋に、骸を引きずり込むことはない。
もう二度と。
長い沈黙。
骸は目蓋を伏せて踵を返す。
綱吉はじっとその場に立ち尽くした。
「君はことあるごとに僕の幸せを望みましたが」
ドアに手をかけ、こちらに背中を向けながら彼は言った。
「君といるときが幸せだった」
「オレは、」
喉がつまった。
「オレは、いつもお前を不幸にしている気がするよ」
いまこの瞬間も。
「不幸になるのは、幸せだったからだ。ないと知っていた永遠を望むくらいには」
静かな声だった。
奥歯を噛み締めた綱吉に彼は気づいていたのかいなかったのか。
不意に骸は指輪を投げ捨てた。
「な、おまえ、」
「結婚なんて嘘ですよ」
「うそ…?!」
「嘘です。僕の幸せも不幸も、そこにはない……愚かな沢田綱吉」
突き放すような、いとおしむような、奇妙な温度で名前を呼んで、骸は部屋を出ていった。
綱吉だけがぽつんと残される。
嵐のように頭は混乱していたが、沸き上がる喜びを認めないわけにはいかなかった。
諦めの決意がぐらぐらと揺れる。
終わりにしなければと思う。
繰り返しになるのは見えている。
――見えていても、と、叫びそうになる。
「どうしてだよ骸」
どうしてお前は突き放してくれないんだ。
綱吉の視線の先。
部屋の隅に残った指輪が、絨毯の上で鋭く光を弾いている。