「骸様は、血なまぐさい仕事をする人間なの」

ティッシュで鼻をかみながら、クロームはとつとつと語った。
二人の前にはティッシュの山ができている。
綱吉が鼻をすすりあげた。

「あなたを引き取ると決めたときに、全部やめた。痕跡を残さないように慎重に、でも迅速に。あなたを施設や、歓迎的でない親戚たちの下に長く預けたくなかったから」
「俺は赤の他人だったんだろ、どうしてそこまで」
「さあ・・・」

クロームはあいまいに笑った。

「それは骸様に直接聞いてみないと・・・とにかく骸様は、あなたの生活からは想像がつかないくらい汚いところの住人だった」
「でもそれってまさか人を殺したとかじゃない、よね」

冗談にしようと笑いながら言った綱吉の言葉は、ぞっとするくらい空々しい響きで部屋の壁にぶつかった。
クロームは静かな表情で返した。そして、それが分からないほど彼も子供ではなかった。
マンションの外の道路を車が走っていく。
くぐもったエンジンの音は、この部屋が閉じている証拠だ。

「だから骸様は、きっと、いつかあなたからはなれるつもりでいたの。結婚がいい区切りだと思ったんじゃないかしら」
「でも、だからって、」
「ひとごろしを奥さんに紹介できるの?」

鋭く返されて綱吉は息をのんだ。クロームはまっすぐ彼を見据えている。
でも、その後ろにもっと大きなものを見るようにしていた。

「結婚式に来ていた人全員を、傷つけて敵に回すことになる」

友人はもちろんのこと、義父、義母、その兄弟、その両親、姪、甥、それらすべての人たち。
たくさんの人に愛されることを願って育てた子供だから、愛せば愛すほど骸は近くにいられなくなるのだ。

「骸様か、今の暮らしか、選ばなくちゃいけなくなる。骸様はあなたに、幸せでいてほしいの」

クロームは無理に笑った。
骸と綱吉がいつか離れるべきという点では、クロームも同意見だったからだ。

数年前から、クロームは骸の勧めもあって一般企業に就職し、受付係として勤務している。
違う場所に住んでいるのも通勤のためだ。
今思えばこれも、クロームを置いていくための布石だったのだろう。
普通に働いて、そのお金でご飯の材料を買って休みの日には骸の家で溜まった家事をこなす。
今までずっと、このまま暮らしていけると思っていた。結婚した綱吉の家に骸も住んで、孫に囲まれたりする未来があると思っていた。
けれど、考えてみれば、そんなはずなかったのだ。
綱吉がしばらくの沈黙の後に口を開いた。

「俺は、骸が大事だよ。はなれられない。だって、家族なんだ」

クロームは目を閉じて天を仰いだ。
骸の思いを汲もうとするなら、クロームは綱吉に反対しなければいけない。
なのに、たしかにその言葉に対して安堵していた。
彼が、骸を捨てて幸せになんかならないことに安堵してしまっていた。
だって、家族だった。

「じゃあ、彼女とは別れるの」

口にするだけで恐ろしいことだとクロームは思った。幸せな結婚式は今日行われたばかりなのに。
彼女の屈託ない笑顔は、クロームも好きだった。それが一転して明日から憎しみになる。
綱吉はそんなことのできる人間だったろうか。他人を打ちのめして憎まれてまで何かをできる人間だったろうか。

「彼女とは、別れない」
「どういう意味」
「彼女とはこのまま一緒に暮らすよ。それから、骸を連れ戻す」
「・・・簡単に、言わないで!」

思わずクロームは大声を出した。
両方を取るなんて軽はずみに言ってほしくなかった。
それは身を切るような思いで諦めた未来だ。

「もう取り返しがつかないのに。過去は消せないのに。そんな簡単に、」
「骸は悪人なんかじゃない!」
「でも罪人だわ!なにより骸様はこちら側を出て行った!居続けることなんて、できなかったから、」
「クロームは骸といっしょにいたくないのかよ?!」
「だって彼は私たちを望まなかった!」
「ちがう!」

綱吉がテーブルを叩いた。
空になったマグカップが一瞬浮き上がって、がちゃん、と、音を立てた。
クロームが口をつぐむ。

「ちがうよクローム・・・骸は望んでたんだ」

綱吉は固く握った拳を睨んだ。自分のものでないように、ぶるぶると震えていた。

「温かい部屋とか、おかえりを言ってくれる家族とか、そういうの、骸は血なまぐさい世界より好きだったんだ」

好きだった。
口に出せばそれは確信になった。

理不尽な、大人げない父だった。
綱吉がクロームを叩いてしまった時には夕食を抜いて、綱吉が学校でいじめられたときには慰めるどころかこっぴどくやっつけた。
チョコとアイスが大好きで、盗み食いは絶対に許さなかった。
でも、キッチンに立つ背中には常に優しさがあふれていたし、ご飯を食べる子供たちの顔を見る目は、満足げに、細められていたのだ。
彼は家族の日常を愛していた。

「クロームを置いていったのって、そういうことだろ。骸は自分の半分を、こっちに残したかったんだ。いらなかったんじゃないよ。いらなかったんじゃ、ない」

クロームは胸を突かれたように、呆然と綱吉を見つめている。

「だから俺は、骸と、ずっと、生きていくんだ。骸の愛したこちら側で」

ゆっくりと綱吉は視線を上げて、クロームの目を見つめた。

「家族でしあわせになろう」

クロームは背筋が震えた。
あきらめなくていいのだろうか。
期待してしまいそうな自分を、クロームは無理やり押し込めた。
冷静に努めながら言う。

「問題は何一つ解決していないわ」
「それでも欲しいものが同じなら、みんなで頑張れるよ」

迷いのない、焦げ茶の目だった。
クロームは黙っていた。
ただじっと、ふたりで黙っていた。



帰り際、綱吉のコートの襟を直してやりながらクロームが囁いた。

「ずっと勘違いしていたのだけど、」

白く細い指で綱吉の癖毛をそっと耳にかけて、彼女は彼に頬を寄せた。

「私たちが愛したのは、あなたのそのつよさだったんだわ」
(凡庸さなどではなくて。あなたの光はそんなところにはなかった)

きっと骸はその間違いに気づかないでいるだろう。

そのまま小さいころのように綱吉の頬に口づけた。
ゆっくりと目を伏せ、綱吉は「またね」と言ってドアを開けた。
夜は深まり、星がきらきらと沈んでいる。
綱吉はポケットから携帯電話を取り出した。
あたらしく登録した「家」の番号を選択する。

「もしもし、うん、ほんとごめん。今から帰るよ。・・・いや、見つかってはないんだけど、」

電話口の心配そうな声に綱吉は苦笑した。

「大丈夫、見つけるよ」

そう答えた横顔に迷いはなかった。
夜はまだ深まっていくけれど。
まっすぐに前を向いて、姉弟は朝を迎えに行く。









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