96さまへ!:フラソロ


狭いアパートメントだって、小さな二人にはちょうどよかった。
優しい大家さんは40手前のふっくらとしたおばさんで、猫が好き。
アパートの人たちはすれ違うと笑顔で挨拶してくれる。
フラーテルが働く間、ソロルは学校へ行く。
お昼には、芝生の上でサンドイッチを食べるのだ。
暗くなってから家に帰って、玄関で妹を抱き締める。
やわらかく、日向の匂いをさせるようになった体に、いつだって幸せを噛み締める。
もう、痩せこけた兄妹はいない。

「おかえりなさい!」
「ただいまソロル。いい子にしてたかい?」
「うん!」

そのまま抱き上げてキスをすれば、くすぐったそうに笑った。
くちびるはつやつやで、開きかけの花みたいだった。
大きくなったソロルは、そろそろ抱き上げられなくなるかもしれない。

夕食の湯気。あたたかな電灯。やわらかい毛布。
狭い部屋には二人が必要なものすべてがあった。
そして、いつも愛が満ちていた。
片隅のベッドで、二人は胎児みたいに丸まって眠る。


「お兄様」
「ん…」
「んもう、朝よ!」
「今日は日曜日だろ…もう少し」
「だぁめ!」

楽しそうな声と一緒にカーテンの開く音が聞こえた。
少しだけ明るくなった室内。
まだぼやける視界にうつった空は灰色だ。

「曇りだね」
「ピクニックいけるかしら…」
「さあ、どうだろう」

妹のささやかな心配に微笑んで、フラーテルは両手を広げる。
うれしそうにソロルがすり寄った。

「あのね、トマトにハムに、卵もあるのよ」
「ソロルが料理してくれるのかな?」
「でも、お兄様も手伝ってくれなきゃ、いやよ」
「ふふ、わかったよ」

しばらくフラーテルはソロルの髪をすいていたけれど、そのまま、つ、と指を滑らせてやわらかな頬を撫でた。
紫の大きな瞳が潤んでこちらを見上げている。
フラーテルが目を細めて顔を寄せた瞬間、パッと視界が白く眩んだ。
思わず振り向くと、雲が切れ、日の光がまるで剣か何かのように差し込んでいる。
清く正しい光はまっすぐにおりて、この部屋をも刺している。

外の世界が鮮やかに晴れていくのを、フラーテルは呆然と見ていた。

「お兄様?」

不思議そうな声に向き直って、フラーテルはギクリと固まった。
目の前に座る彼女の顔が、まるで、初めて見るものみたいに見えたのだ。
けれど、すぐに首を振って、「なんでもないよ」とキスをする。
なめらかな額。
なぜだかくちびるにはできなかった。

「おはようソロル。ごはんにしよう」

ベッドから立ち上がり、歩き出した兄に、あわててソロルがついていく。

「学校は楽しい?」

誤魔化すように聞いた。
ソロルの顔が輝く。

「楽しい!お友だちもできたの!ただ、マリーはいじわるだわ」
「そうなの?」
「そう!この前だってね、」

頬を膨らますソロルに相づちをうちながら、フラーテルは台所に立つ。
表情がくるくる変わる妹はかわいい。

あの冷たい場所から彼女を連れ出して、二人で手にいれた幸せ全部がここにある。
願うとしたら、ずっとソロルが笑っていてくれることだけ。

ふと、なにかに動かされるかのように、フラーテルは部屋を見渡した。

「あれ、」

ぽつりと漏らした声はヤカンの音で消えた。
一瞬ざわついた心を不思議に思いながら、フラーテルは火を消す。

「でもやっぱり、お兄様が一番好き!」
「僕もソロルが大好きだよ」

笑顔に押しやられた疑問はそれでも頭の片隅に留まった。

かわいいかわいいソロル。

ごはんがあってベッドがあって、裕福じゃないけど働かせてくれる場所もある。
傷つける人間はいない。
外で小鳥が鳴いている。
晴れたから、やっぱりピクニックに行こう。
サンドイッチの具は何にしようか。
今日は行ったことのないところまで行ってみよう。
そう、もっといろんなところを知らないと。
せっかく外があんなにきれいなんだから…


ああところで、この部屋はこんなに狭かったっけ?







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