思えば、千種の何気ない一言がきっかけだったのだ。
マンションの一室でコーヒーを用意しながら、ふと見たカレンダーの絵柄は紫陽花だった。
そうして、去年のことを思い出した。
その日は明日に迫っている。

「骸様、今年はどうされるのですか」
「なにがです?」

優雅にカップを受け取り、彼は首をかしげた。

「明日は9日ですが」
「そうですが」
「6月、9日ですが」

たっぷりと沈黙してから、彼は唐突にカップを置いて立ち上がった。
足がテーブルにぶつかってガチャンと音をたてた。
無表情で千種を見据え、言う。

「なぜ、早く言わない」
「…すみません」

骸は歩き出そうとした。
が、再び足をテーブルにぶつけたためにコーヒーが盛大に溢れた。
ぽたりと床に滴る。

明らかに動揺していた。

「…めんどい」

ぼそりと呟いて、千種はため息をついた。

6月9日は特別だ。
骸の誕生日というイベント自体もそうだけれど、毎年届く大きな包みが、すごい。
どこに居たって届く。
このアパートはもちろん、世界の裏側だろうと、マチュピチュだろうと、オイミヤコンだろうと、はたまた厳重なセキュリティに守られた密室だろうと、必ず届くのだ。

犯人の名前は、沢田綱吉という。

片付けを千種に任せて、骸は逃亡の準備を始めていた。
9日になってしまっては遅い。家を出た瞬間に捕まる可能性がある。
手早く荷物をまとめ上着を羽織ってから、はて、と、骸は動きを止めた。
頭をよぎったのは世間一般のカップルのこと。
去年の一件以来、綱吉とは恋人として付き合っている。
世間的には、誕生日は恋人同士の一大イベントではないのか。
その誕生日に、なにがどうして恋人から逃げなければいけないのか。

「クフフ…」

骸は籠城を決意した。
どかりとソファーに座り直して不敵な笑みを浮かべた。

(さぁ来るがいい沢田綱吉!)

本人は威厳たっぷりに堂々と座っているつもりだったが、千種たちにはそわそわしているのが丸分かりだった。
クロームが微笑んで見つめる。
「ボス、今年はどうするのかしら」と呟いた。




その、沢田綱吉はといえば。

「っくし!」

くしゃみをしていた。

「…遅いなぁ」

骸の勘はある意味当たっていて、綱吉はマンションの出口で待ち伏せている。
正確には、出口の屋根の上にいる。
骸が出てきたところを、上から狙うつもりでいた。
初夏とはいっても、日が沈めば肌寒い。長い間隠れていて体も固まってきた。
思わず「まだかなぁ」と呟くが、出口は静かさを保っている。
もうここにはいないのだろうか。
綱吉は眉を寄せる。
不安ではあったが、しかし、直感は、彼はまだ家にいると示していた。
ちらりと時計を見やって、綱吉はさらに首をひねった。
0時30分。
とっくに6月9日になっている。
綱吉は屋根から身を乗り出した。出口の内側に、人影でも見えないかと思ったのだ。
チン、と、間抜けた音がした。
エレベーターが開く音だ。
つづいて、すこし苛立ったような足音が響いた。

それが近づいてくるのと比例して、綱吉の鼓動が早くなる。
ようやく姿を表した人物は、間違いなく六道骸だった。
綱吉は素早くポケットから小包を取り出す。勢いよく――投げつけた。
風を切る鋭い音に反応して骸が受け止める。

「よし!」

ガッツポーズの綱吉を、骸は呆れたように見上げた。

「なんてとこにいるんだ君は」
「びっくりしただろ!骸が全然出て来ないからハラハラしちゃったけどさぁ、」

言いながら勢いよく立ち上がる。
骸はぎょっとしたように目を見開いた。

「馬鹿、そんな急に立ったら…!」
「あ」

骸の制止も間に合わず、気づけば綱吉はへりから足を滑らせていた。
急に立って目が眩んだのと、固まった体ではバランスが取りにくかったのと。
無防備に落っこちてくる背中と固い地面との間に、骸が体をねじ込んだ。
おかげで彼のお気に入りのズボンは台無しだ。

綱吉は目をまんまるにして骸の腕のなかにおさまっている。

「び」
「び?」
「びっくりしたぁ…」
「こっちの台詞だ。他に言うことないんですか」
「いやだっていいと思ったんだよ、空からプレゼントが降ってくるの」
「僕の心臓は飛んでいくところでしたけどね」
「ごめんなさい」

骸に締め上げられて、潰れた声で謝罪した。
ふっと力がゆるむ。

「ハラハラしたのは僕の方でしたよ。待っていたのに、来ないから」
「えッ!」
「ホワイトデーといい今回といい…君を待つのはもうやめます」

綱吉からザッと血の気が引いた。
なぜって、骸の言葉はつまり愛想が尽きたという宣告にとれたからだ。

「ご、誤解だ!」
「なにがですか。元々君はそういう人間でしたとも。予想通りになるはずがなかったんです、ええ!」

捲し立ててから骸は綱吉を睨み付けた。
肉食獣の目だった。

「やりたいようにやりますからね」

言って、綱吉を担ぎ上げた。

「…おいこら骸どこいくつもりだ」
「自分宛てのプレゼントをどうしようと勝手でしょう」

骸はずんずん歩いていく。

「プレゼントってまさか」
「空から降ってくるんでしょう?」

骸はそれはもうきれいに笑った。

「君もワンパターンですね。まあ嫌ではありませんが」
「誤解だッ!」

うそぶく骸の肩の上で綱吉が喚く。
彼は残念ながら今日も仕事なので、帰らなければならない。
帰らなければどうなるかわからない。
しかし、さらに残念なことに、この様子では到底帰らせてくれないだろう。
悲痛な叫びと笑い声が、まだ眠る街の中へ溶けていった。








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