気がつくと草原の中にいた。
膝上までぼうぼうに生える草を掻き分けると、虫たちが迷惑そうに飛び上がった。
むせるような草いきれだ。
体の内側が青く染まっていくようにすら思う。
真上には抜けるような空がある。

(むくろ…?)

なぜだか綱吉には、ここが骸の夢の中だとわかっている。

少し歩くと草原が終わって、地面が石畳になる。
視線をもう少し奥へやれば崩れたレンガや鉄筋があった。
建物だ。廃墟になって何年もたっている。
ぽっかりと口を開けている壁から中に入ると、中は廊下だった。
割れた窓から柔らかく光がさしていて、絵本の中にでもいるみたいだ。
湿ったカビのにおいがする。
古い家屋というよりむしろ洞窟ににていた。
それでも雰囲気は不思議なくらい穏やかだ。
足元を見つめて歩くうちに、綱吉はなにか馴染んだ場所のような錯覚におそわれた。
絨毯の柄に見覚えがあるようなのだ。

(なんだろう、蛇みたいな波みたいな)

擦りきれて色も柄も分かりにくくなっている。
やっとわかったのは、どうやら蛇でも波でもなく蔦の柄だということだけだった。
あきらめて足を進める。

(骸を探さなきゃ)

ここは骸の夢の中だ。
どこかにきっと彼自身がいる。
綱吉は廊下を一通り歩いてみた。
ずいぶんと大きな建物のようで、果てがない。
果てがないから、内側へ入って見ようと決意した。
廊下の右側にあるドアに手をかける。
ふと、ドアの装飾が視界でひっかかった。
不思議に思って指先で埃をぬぐうと、現れたのは二枚貝のレリーフだった。
綱吉はハッと口を押さえる。

(まさか、)

絨毯をもう一度見直す。
濃いえんじに蔦柄のそれは、ボンゴレ本部のものと同じだった。
慌てて他の細部に目をこらすと、柱に彫られたボンゴレのマークが確かに残っている。
間違いない。
この廃墟はボンゴレ本部なのだ。

綱吉は愕然とする。
これが骸の見ている夢だという事実にだ。

少し力を入れると、ドアは大きく軋んで開いた。
綱吉は足を踏み入れる。
踏み入れた先は図書室だった。
驚いて振り向くと後ろにドアはない。
廊下とは違って明らかな崩壊はないものの、分厚く積もった埃や粘度の高い空気が長い歳月を示していた。
飴色に光がみちている。
まるで空気までもがそのまま眠っていたようで、綱吉は埃にくっきりと足跡が残ることにかすかな罪悪感を覚える。

ここにも骸はいない。

綱吉は自然と小走りになった。

勢いよくドアの向こうに突っ込んで、綱吉はあわてて重心を後ろへずらした。
ドアから続いていたのは下り階段で、綱吉がいる段の二段下からは水に二段浸かっている。

(武器庫だ!)

火薬も銃もすべて水と錆とにのまれて使い物にならなくなっていた。
水面はシンと静まり返っている。
天井の一部が抜けているから、雨水がここにたまったのだろう。
苔が壁を侵食しはじめている。
それが光を受けて、空間をぼんやりと緑色に染めていた。
綱吉は見とれる自分を叱咤して次のドアを探す。
バシャリと水面を揺らして走り出した。

それから先、あける扉すべて無人の空間に通じていた。
崩壊の具合はまちまちで、空が見えているものから完全に植物にのまれているもの、図書室のようにきれいなままのものまで、様々だった。

(どこにいるんだよ骸…!)

屋敷中を走り回って、わかったことは誰もいないということだけだ。
空にはとっくに月が出ている。

(すごい星)

黒い布にビーズをぶちまけたような。
綱吉は星がこんなにきれいだなんて知らなかった。
虫がチリチリと鳴いている。
まるで星が透明な音をたてているみたいだった。
ぼんやりながめるうちに、視界の左側で何かが赤く燃え上がった。
戦いに慣れた体が、一瞬にして身構える。

燃えているのは地平線だった。

けれどそれは予想した炎の色ではない。
みるみるうちに空が白みはじめ、やがて緩やかに太陽が登りはじめた。

朝焼けだ。

光がさざ波のように溢れていく。
森を渡り草原を揺らし、石畳を撫で上げる。
廃墟が光を受けて鮮やかな陰影を落とす。
そうしてあらわれたのは、荘厳な世界の姿だった。

非の打ち所のない調和だった。
あんまりに静かで美しかった。

太陽が登る。
視界がどんどん白くなって――いつのまにか綱吉は、目が覚めていた。

隣では骸がかすかな寝息をたてている。

「むく…ろ」

(あれが、おまえの夢見る世界なの)

人間の滅び去った世界はひどく美しかった。
純粋という言い方だってできたろう。

綱吉は右手で顔を覆う。

(美しかったけど、あれじゃあ寂しいじゃないか。)

目蓋が熱を持っていた。

(だって、あそこには誰もいなかったじゃないか。)

「骸、おまえさえいなかったじゃないか…!」

骸の夢見る世界に彼自身がどこにもいない。
それが一番くやしかった。
だってそれは、彼の理想は彼自身をも排除しなければ成り立たないということ。

骸を叩き起こして、おまえがいて、笑っている世界だって美しいし、オレはそれが好きでたまらないんだと叫びたい。
しあわせってもっと身近に転がってるんだって、ムカつくくらいきれいな顔を殴り付けてやりたい。

彼と出会ってからの十数年、綱吉はずっとそう思い続けている。
いる、けれど。

骸は起きるそぶりも見せず、ぐっすり眠っている。


その寝顔があんまり穏やかなものだから、綱吉には起こすことができなかった。








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