注意:生まれ変わりで義親子パラレル
骸さんしか記憶がない
綱吉は女の人と結婚します
そんなシリアスなので、大丈夫な方だけ、どうぞ






養父はかみさまみたいな人だった。
かみさまという言葉で彼をあらわしたのは、綱吉を姉のように世話してくれたクロームだったと思う。

「あの人はね、私にとって神さまなのよ」
「かみさま?」
「そう、神さま」

たしか小学生だった綱吉は、まっすぐな瞳とその言葉とに、すとんと納得してしまった。
というのも彼は定職についている様子もないのにいつだって家の中は満ち足りていて、やることなすこと不思議な気品に溢れていたのだ。
浮世離れしていたとでも言うのだろう。
それは綱吉を育てるときだってそうで、綱吉がおねしょをしてしまった布団を洗ったり、食事の用意をしたりする、ただそれだけのことが魔法みたいに見えた。
今思えば、彼は洗剤の量を間違えて洗面所を泡まみれにしたし、料理も不恰好なものが多かったのに。
苦手な家事をする不恰好な姿さえ堂々として見える。そんな人だった。

養父の教育というと、忘れられないことがひとつある。
体術の時間だ。
綱吉が中学生になってから急に始まった。
いつも通り押し付けられた掃除を終わらせた帰りに、養父がむんずと綱吉の腕を掴んだのだ。
見上げた顔は酷く怒っていて、今でも訳がわからない。

「来なさい」

綱吉が包丁で指を落としかけたときよりももっと冷たい声で彼は言った。

「自分の身ぐらい自分で守ったらどうだ」

すっかりおびえた綱吉を一方的に痛め付けたかと思えば急に優しく手当てをしてみたり。
何をしでかすかわからない理不尽さも、昔話に出てくるかみさまに似ていた。
でも、綱吉には彼の大きな体に守られているのがわかっていて、彼のことが大好きだった。
世界の誰よりも彼の傍が安心できた。

無条件に慕うことが出来なくなったのは中学生。
彼の思想を受け入れられなくなったのは高校生。
家を――四つで引き取られてからずっと育ってきた家を――出たのは、大学進学と同時だった。
「家を出るよ」と言った綱吉をクロームは気の毒なくらい必死になって止めてくれたけれど、どうしたってもう、あの家にはいられなかった。
養父は止めなかった。
興味深そうに二人を見ているだけだった。
奇妙にも微笑んですらいた。
だから結局、綱吉はクロームを振り切るようにして出てきてしまったのだ。
今でも思い出すと罪悪感にかられることの、ひとつ。
でも、間違ったとは思わない。

反発して家を出た綱吉だったけれど、あの危なっかしい養父が放っておけなくて月に二回は家に行った。
会えば口論になるのが常だったけども。
口論の種はいくらでもあった。
綱吉の周りの人間を馬鹿にする発言であったり、彼自身の不養生だったり。
不養生。彼は綱吉を育てたときのある種の慎重さやこだわりが、自身に関してはすぽんと抜けていた。
痩せた首筋が怖かった。
そうして思わず握った手は、枯れ枝のように乾いていた。
ギクリとしたのを覚えている。
…初老の男がそこにいた。

大きいと思っていた彼の体が実は細身だと知り、年と共に忍び寄る影をその顔に認めた時。綱吉は、信じられないくらい動揺した。
三日ほど眠れずに、会社で倒れ、同僚の獄寺、山本の二人には大層な心配をかけた。恋人にも。
どんなに否定したところで、綱吉の世界の軸は彼だったのだ。

だからこうして、綱吉はスーツ姿でかしこまり、養父の前に座っている。

「父さん」
「なんです、かしこまって。まァ、そうすれば社会人に見えないこともありませんねぇ。無個性な歯車らしい格好じゃありませんか」
「またそんなこと言う…」

苦々しげに言った綱吉に、彼は皮肉に口元を歪めただけだった。
普通の会社に勤めることを望んでいたのは養父だってそうなのに。
口に出しはしなかったけど、普通に、普通の人生を歩んでいく綱吉を、どこかほっとしたように見ていたのを綱吉は知っている。
目を見つめて切り出した。

「今日は大事な話があってきたんだ」
「それくらいわかります。だから、どうしたんです」

少し苛立った声で彼は言った。
綱吉は気づかなかったが――綱吉自身かなり緊張していたので――それは養父が動揺や緊張を隠すときの癖だった。
気づかなかったから、綱吉は彼の見せたその勢いに負けないように、ぶるぶる震える拳をぎゅうと握りしめた。
睨みあげるようにした綱吉に、彼は目を少し見開いている。

「俺、結婚するよ」

しばし、睨み合い。
先に目をそらしたのは養父だった。

「いつ」

ぽつんと養父が聞いた。

「明日、式をあげる。籍はもういれたんだ」
「明日!明日だって!随分急な!」

高々と笑い始めた彼が落ち着くのを待ってから、綱吉は続けた。

「ずっと準備はしてたんだ。他の人にはもう招待状も出してある」

ふっと笑い声が止んだ。

「あァ、クロームが隠していたのはそれでしたか…。なんだって僕は前日なんです。スーツを仕立てる暇もない」
「だって、そうでもしなきゃ、父さんどこかに行っちゃいそうだ」

彼は黙り込んだ。

いつだって身軽にどこかに行ってしまう人だから。鰻のようにつかみどころのない話し方をする人だから。逃げ場を作ったら最後、彼はきっと式に来てくれない…そんな気がしていた。

年を重ねるごとに薄く、軽くなっていく彼の輪郭が、綱吉の心を焦らせていた。
会うたびに濃くなる影は今にも彼を飲み込みそうに見えた。
だから、もうだめだ。
綱吉は思った。
ひとりにはしておけない。

「それで、式が終わったら、一緒に暮らしてほしい」

今度こそ養父は絶句した。

「まだアパートだけど、ここより広いし、」

綱吉は小さな室内を見渡した。

「父さんの部屋もある」
「新婚のくせに。彼女はどうするんです」
「もう、同意はもらってる」

唖然という言葉がふさわしいだろう。
口を半開きにして彼は言葉を探していた。
けれどすぐに体勢を立て直して、口元には皮肉な笑みが浮かんだ。

「いいんですか。僕がいるからには君の愉快な友人達は敷居を跨げませんよ」
「獄寺くんたちとは他で会えるよ」
「君の留守中に僕が彼女を虐めるかも」
「彼女はいい子だよ。父さんもきっと気に入る」
「答えになってませんね」
「そうかな。とにかく、」

綱吉は語気を強めた。

「明日、式に来てほしい。それで、お願いだから、」

深々と頭を下げた。

「いっしょに暮らしてください」

しばらくして、頭の上からため息が降ってきた。

「君ねぇ、僕が式に行かないなんていつ言いましたか」
「人ごみは嫌いだよな」
「それは否定しませんが…」

顔をあげると養父は微笑を浮かべていた。
あの時と同じ、奇妙で感情の読めない笑みだ。

「ここまで育てたんです。結婚式ぐらい見届けさせてもらわないと」
「じゃあ…!」

綱吉の顔が輝いた。

「行きますよ」

穏やかな声だった。

「行きます。…君が大人数の前に立つ晴れの舞台ですからね、綱吉。もとから君に似合う晴れ舞台は、せいぜいが庶民の結婚式程度だった」

後半は呟きのようになってうまく聞き取れなかった。
とにかく来ると彼は約束した。
彼は約束を破らない。
綱吉はおさえきれない喜びを自覚した。

「前夜祭です。ちょっとくらい遅くなっても許してもらいなさい」

言って、彼はとっておきのワインを取り出した。
狭いリビングの隅に鎮座するワインセラーは養父の自慢だった。

「飲みますよ」
「俺弱いのに!」
「弱い君が悪い」

文句を言ったけど綱吉はうれしかった。
久しぶりにわだかまりなく、彼と食事をした。
彼はよく笑って、皮肉も言わないで、優しい目で綱吉を見ていて。
昔に戻ったように、そんな夢のように。夜はあっという間に過ぎてしまったのだった。
夢だったのだろうか。

翌日。
式が終わると同時に、養父は姿を消した。

胸騒ぎがして立ち寄ったアパートには彼のものがなかった。
靴も、服も、歯ブラシに至るまで何一つ。
寂しいテーブルの上に、メモが一枚だけ。アルファベットの羅列があった。
英語ではないようだ。
それが別れの言葉であることを、直感で知った。
約束したのに、と、混乱する綱吉に、彼の言葉がよみがえった。
そうだ。彼は結婚式の後のことは何一つ約束しなかった。
式への招待が成功して、舞い上がっていた綱吉のミスだった。
指先が冷え、喉で空気がひゅうと鳴る。
名前を呼ぼうとして、呼んだことがないことに気がついた。
二十数年育ててくれた男の名前を、綱吉は一度だって呼んだことがない。
まるで何かをおそれていたかのように。
彼が誰かに呼ばれるのも聞いたことがない。
名前を一文字だって知らない。
まるで暗示にでもかけられていたかのように。

「むくろ」

それなのになぜか、転がり出た音が彼の名前であるとわかった。
わかった瞬間から止まらなくなった。

「むく、ろ…!!」

おそれていたのはこの感情だろうか。
メモが手の中でぐしゃぐしゃになっていくのにも構わないで、綱吉はひたすら彼を呼んだ。
頭に浮かぶのは描いていた未来のこと。
家族三人で食卓を囲むこと。たまには外に食べにいくのだっていい。
彼女が明るく整えた家の中で、ちょっと居心地悪そうに、でもきっと彼は笑ったろう。
家族が四人に増えて、おっかなびっくり赤ん坊を抱く彼。
やんちゃざかりの孫をからかう彼。
穏やかに老いていく彼――

綱吉は「ああ」と呻き声をあげた。
こうして並べてみれば、それはどうにも明らかなことだった。

「骸…!!」

彼を日の当たる場所に連れ出したくてたまらなかった。
彼に幸せで笑って欲しかった。
誰よりも、誰よりも。
綱吉の中心にはいつだって彼がいたのだ。

左手の薬指で銀の指輪が鈍く光っている。
綱吉が選んだ未来に彼がいないという事実だけが、今、外で深まりはじめた夜のように横たわっていた。



まぶたの裏の彼は優しい目で笑っている。









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