祖父が死んだ。

広間でみんなで食事をしているのを抜け出して、綱吉は祖父の顔を眺めている。これが明日、灰になる。
騒々しいくらいだった広間と比べると、夢みたいに静かだ。夢、みたいに。
夢ならよかった。

大往生だったからなんだろうか。みんな泣き腫らした目で、それでもどこか穏やかに食事をしていた。
酒を飲んだ大人のひとりが「ちくしょう!あいつめ、ついに勝ち逃げしやがって!」と叫んで笑われていた。
ぼんやりながめていた綱吉に、母さんが「故人を偲んで賑やかにするのが、供養なのよ」と気遣うようにささやく。
うなずいて、ウーロン茶をちびりと飲んだ。

わかっていても、綱吉には忘れられない苦味がまだ残っている。
「…おじいちゃん」
呼んだつもりが、久々に出した声は掠れて聞き取れやしなかった。
静かすぎるこの部屋ではちょうど良かったけれど。
突然、ギィとドアが開いたから振り返った。
「こんばんは」
そこに立つステッキを持った老紳士を見た瞬間、綱吉は直感した。
(ああそうか、彼が)
「あなたが、悪魔」
呟きに、紳士は怪訝そうに眉を寄せた。

祖父は明け方、みんなが泣きながら布団を囲んで、その中で、最後まで、最期まで、誰かを待ちながら逝ってしまった。
呼び声はもうかすかで、唇が震えるだけだったから、父さんや母さんがそれは誰なのかを聞き取ることはなかった。
ただ綱吉は知っていた。ずっと祖父を看ていた綱吉には、彼の手から力が抜ける瞬間まで彼が呼び続けていたことだって、わかっていた。
(デイモン、)
悪魔を信じる歳ではないのは分かっていたけれど、浮世離れした祖父が呼ぶそれは、綱吉にはあまり抵抗がなかったのだ。
目の前の、影が立ち上がったかのような男こそがそうなのだと、綱吉は理解した。
理解したから辛かった。
「祖父はずっとあなたを待ってたんだ。あなただけを呼んでいたのに」
俺でも、父でも、祖母でもなく。
ちょっとした嫉妬をしていたことに気づいて、綱吉は苦笑した。
でも、それがすべてじゃない。
ぴたりと揺るがない影からは反応はうかがえなかったけれど、それでもいいと、思った。
「おじいちゃんの魂は、死神が持っていってしまったよ」
言葉尻が空中に消えると、平面のようだった影がぎごちなく棺に近づいた。
そのままゆっくり手が延びていく。
(あ、)
影から出たのは骨張った白い指先、甲、手首、痩せた薬指には不釣り合いなほど豪奢な指輪。
いつの間にか棺の蓋は消えていて、その手が震えながら祖父の輪郭をなぞった。
あぁ。
声にならない悲鳴のような喘ぎを漏らしてから、彼は手を止めた。
「なら、取り返しにいかなければいけませんね」
祖父の魂のことを言っているのだと理解するまでにしばらくかかった。
ハッとして視線をあげると、そこにはもう彼の姿はなかった。それこそ影も形も。
棺の蓋は元通りで、小窓だけが開いて祖父の顔が見えている。
「…笑ってるの?」
生前の、元気だったころの祖父がよくしていた人の悪い顔。
いたずら好きな彼に、綱吉たちはいつも振り回された。
(忘れてたな、そんなこと、)
ああそうか、彼はまだ諦めてないんだ。
ずっと、死神に手を引かれながら、悪魔が追い付くのを待っている。
追いかけてくると信じて、いつ来るかとニヤニヤしながら待っている。
悪い人。
「綱吉、そろそろ父さんと交代しよう。帰って寝なさい」
「…父さん、あの人は帰ったよ」
「あの人?誰か来たのか?」
「え、」
ぽかんとする綱吉に不思議そうに首をかしげてから、父は優しく綱吉を追い出した。
バタンと扉がしまる。
「…悪魔かぁ」
小さく笑って、目を閉じた。
焼き付いた白い左手。連想して、祖父がしていた指輪を思い出す。
デザインは違ったけれど、どこかよく似た豪奢なそれを彼は大切にしていた。
ふたつ。
不揃いな約束。

食事会場へ戻ると、もうみんな帰りはじめていて、母さんがこちらを見て安心したように微笑んだ。
それに曖昧に笑い返しながら綱吉は考える。
ああ、彼はそろそろ追いついただろうか。
綱吉にハンカチを差し出す母の指はあたたかな象牙色だった。
受け取って涙をおさえながら、目蓋の裏でいろんな光景が流れていく。
白い手、指輪、にやけた死に顔に、見ていないはずの老紳士の微笑み。笑いあう、二人。
ああきっと、もう、大丈夫なのだ。

綱吉の感情も、やっと現実に追いついていた。


――追走 









「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -