骸様はいつだってすてきな香りがするけれど、いっとうすてきなフレグランスを使う時は決まっている。
そういう日、彼はいつもより丁寧に髪をとかして、一番上等なシャツを着る。
ぴかぴかに磨いた靴を履いて、何度も鏡を確認してからうきうきと出掛けていくから、恋人にでも会うのだろうと思っていた。
あの人にもそんな人がいるのがどうしたって信じられなくて、けれど口に出すことも憚られたから確認したことはない。

「骸様、今日は何時に出発なさいますか」
「今日は違いますよ。あちらが家に来るんです」

食器棚から取り出した紅茶のカップから目を離さずに、彼は答えた。
真剣な眼差しで、検分している。
今までになかったことに戸惑っていると、彼は顔を上げて言った。

「テーブルに花を活けて下さい。流しにあるでしょう」

つるつるに磨かれたシンクの中には水を張ったボウルが置いてあって、輪ゴムで束ねられた切り花がハッとするような鮮やかさでそこに在った。
この家の中で明らかに異質で、生々しい輪郭におののく。
だから、白い花瓶に、ろくにととのえもしないで放り込んだ。
テーブルに置いたそれは、やはり異質なように見える。

と、呼び鈴が鳴った。

「はい」

今開けますよ、なんて、ドアの向こうには聞こえもしないはずの言葉を楽しそうに並べながら玄関に向かう骸様はやっぱりどこか違った。
知らない人みたい。

「おじゃまします。へぇ、明るくて良い家だね」

初めて聞く穏やかな声に振り返ると、茶色の髪をふわふわとさせた小柄な青年が立っていた。
しかし、本当に青年かは分からない。
どこか、老成した目元をしていた。
ひとつ確かなのは、彼がそう言った瞬間に、部屋になにか暖かな気配が満ちたこと。
きれいでこそあれ生活感を感じさせなかった部屋で、カーテンが風にそよぎ、グラスが陽光にきらきら光る。
呆然とする自分の前に、いつもと違う骸様が青年の後から現れた。

「座って。お茶にしましょう」

優しい目元とか、とろけそうな口調とか、違う、いつもと全然違う骸様が、この空間にはぴったり当てはまっていて唐突に理解した。

(骸様は、この人が本当に好きなんだ)

「手伝って下さい」
「はい」

ケーキ皿やカップを出してすっかりお茶の用意を整えてしまうと、リビングにいるのも変な気がして、骸様に声をかけて退出した。
笑って見送る青年の顔には、得体の知れないものが満ちていた。
怖いものではない。
いつか見た牧師の表情に似ているかも、しれない。




リビングがしんとなって、水音と食器の触れ合う音が聞こえ始めたのは夕方の4時を少し過ぎた頃だった。
片付けの手伝いをしようと思って出ていくと、部屋は夕日が差し込んで赤く染まっていた。
その中で食器を洗う骸様は、何か厳かな儀式を行っているかのようだった。
クリームが付いたままになっている皿が、丁寧に洗われ、台に置かれる。
水滴を乗せた陶器はいかにもひんやりと固く見えた。
死体の肌を連想させた。

「骸様、」

後は洗います、と言おうとしてためらった。
これは彼でなくてはいけない儀式なのではないかという印象が消えなかったからだ。

彼は目をこちらへ向けて「ああ、」とつぶやいた。
こちらをしっかりと見る骸様は、すっかりいつもの骸様だった。

「あの、後は洗っておきましょうか」
「ええ、お願いします」

彼は手から泡を流して、シンクから離れた。
入れ替わりに、食器とスポンジを手に取る。
椅子に座った彼は、ぼんやりと外を眺めていた。

「…あの若い男の人が、骸様の恋人なんですか?」
「は?」

意を決して言うと、彼は目を丸くして振り返った。
そうそう見られないような驚き顔である。

「若い男って…」
「先程のお客様です」

その返答を聞くやいなや骸様は大爆笑。
呆気にとられる自分を他所に身をよじっている。

「クハ…ッ!綱吉がですか!」
「ツナヨシさんとおっしゃるんですか」

ヒーヒー言いながら彼はやっと笑い止んで、おかしくてたまらないように言った。

「君ね、綱吉はああ見えて僕のひとつ下ですよ。立派なオジサンです」
「え」

よほど驚いた顔をしていたのだろう、こちらを指差して彼はまた笑い転げた。
彼もとても若く見られるけど、ツナヨシさんはそれの遥か上をいく。
だって骸様がもう四十の手前だから、そのひとつ下ってことは三十の後半だろう。
それが、二十代に見えてしまうなんて。

「それから、彼には結婚して二人の子供がいます。上が13で、下が12」

そのままさらりと言った言葉があんまり自然だったので、逆に不自然だった。
ハッとして彼の顔を見たけれど、夕日に照らされる、今まで見たことのないような表情が胸がきゅうとなるくらい綺麗だったから、すぐに目をそらしてしまった。
見てはいけないものを見たような気が、した。

夕日は沈んで外には夜が来ている。




それっきり、骸様とツナヨシさんの話をしたことはない。
骸様は相変わらず時たまうきうきと出掛けていくけれど、彼を家に招くことはなかった。
ゴミ箱に捨てられた切り花の、ひしゃげた緑だけを妙にしっかりと覚えている。










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