わかりあえない人間がいることは知っていたよ。信じていなかっただけで。
彼は笑った。
つまり彼は自分ともわかりあえると考えていたわけだ。
思わず口を歪めた。
わかりあえない人間なんていない。
くだらない理想だ。
それも、昨日で死んだのだけれど。
彼が言っているのは、かつてファミリーの一人だった男の話。
麻薬を若者に流し、その未来を奪いながら、自らの娘と休日にバーベキューをし、若い少女達に春を売らせながら、娘にはきれいな服を買い与えた。
発覚し、問い詰められたとき、彼は真っ先に言ったのだ。
「娘には言わないでほしい」
論点のズレに、綱吉は戦慄した。
自分達は父子家庭であること。
娘は辛い思いをしていること。
不幸をあげ、だからこそ幸せな人間から搾取する権利があるという言外の主張。
咎める言葉に彼は唇を尖らせかねない勢いで問うた。
「どうしていけないんです?」
どうして。なんで。
理解できないということは、正すこともできないということ。
結局彼は、周囲へのけじめのためにその男を殺した。
「オレは、」
綱吉はふっと、窓の外を眺めながら言う。
「彼がすごく、好きだったよ」
あの男は東洋人だった。
十代目となった綱吉を、初めから認めて慕っていた数少ない人間だった。
「裏切られたのが悲しいのですか」
綱吉は緩く首を振った。
否定だ。
「違うよ」
悲しかったのは裏切りじゃない。
さらには、悲しかったわけでもない。
「怖いんだよ、彼を諦めた自分が」
骸は可笑しそうに笑った。
「数多の敵を排除してきた君が今更何を言うんです」
「そうだね」
嘲りともとれる言葉に、怒るでもなく、肯定。
骸は眉をひそめた。
綱吉は落ち着いた声で続ける。
「重要なのは殺したことじゃない。その対象が、愛し、守るべきファミリーだったことだよ」
友人だったことだよ。
彼は、今日初めて声を震わせた。
「しかもそれを、一瞬でも、仕方がないと思ったんだよ、オレは。気づいたんだ。オレはどんどん引きずられてる」
ついに目元を覆って、消え入りそうな声で呟いた。
「オレは、いつまでみんなを守れるんだろう」
言葉の輪郭が空中にほどけるまで待ってから、骸は口を開いた。
「全員、守られてやるつもりはこれっぽっちもないと思いますけどね」
憎たらしい面々を思い浮かべる。
どう考えたって、彼らに庇護が必要とは思えない。
第一、守護者が守護されてどうするのだ。
「けれど、そうですね、君が不安なら約束してあげましょう」
瞳を揺らす綱吉に歩みより、その首筋に両の手を添えた。
親指で軽く喉仏を押さえて、言う。
「君が完全にそれをなくした瞬間に、僕が、君を、理想の死に方で殺してあげますよ。さあ、何がいいですか」
にこやかな表情の奥で、相貌は硬質な光をたたえている。
「溺死?焼死?それとも毒死?」そう並べたてる骸を遮るように、綱吉は背伸びをした。
首に指が食い込むのも気にせず、耳元で囁く。
「おまえの腕の中で、殺して」
柔らかな笑みの下で、緩やかに進行する死。
部屋の片隅にころがる理想の死体。
そして、いつか完成される理想の死体。
それを作るのは他ならぬ自分でなくてはならなかった。
闇にさす光を閉ざすなら、それは、自分の瞼も閉ざす時と、骸はずっと前から決めている。