ごうごうと流れる水音が、闇の中でも目の前の大河の存在を知らしめていた。
対岸の見えぬほどに大きな川である。
目の前に、やはり端の見えぬ長く立派な橋があって、行くあてもないのでとりあえず足をのせた。
数歩歩いて振り返ると、すでに元居た岸は見えない。
面妖である。
スコルピオスは眉をひそめたが、だからといってどうこうする気も、なかった。
向き直り歩いていくと、前方からぼんやりと白い人影が歩いてくる。
こちらを認めるなり手を振るその姿は、彼を忌々しいほどに煩わせる青年、オリオンその人だ。

「スコピーやっほー」
「ふん」
「ひでー。なんか他に言うことないの」
「じゃあ聞くが、その奇怪な格好はどういう訳だ」

妙に色鮮やかな衣服を指して言えば、彼は頭を掻いて「東方の民族衣装らしいんだ」と答えた。

「仲間にずいぶん遠くの血を引くヤツがいてさぁ、そいつに聞いたんだよね」
「似合わんな」
「だよねぇ」

照れたように笑う顔を本当に長いこと見ていなかったよう気がして、スコルピオスは首をかしげる。
はて、そんなに長いこと会っていなかっただろうか。

「何日ぶりだ、お前と会うのは」
「…そうだなぁ、何日ぶりかなぁ」
「長いこと会っていなかったのか」
「そーさな、本当ならもう会えないハズだったし」
「何故?」

自分は青年の部隊を率いる機会が多く、今回のアルカディア王警護とてそうであったはず。
ならば何故、もう会えないはずがあろうか。
訝しげなスコルピオスに、オリオンは穏やかに言った。

「だってオレ達は神に引き離された恋人同士だから」

スコルピオスが何か不味いものでも飲み込んだような顔をしたのを見て、オリオンはケラケラと笑った。

「東方には、七夕ってお祭りがあるんだとさ」

ひとしきり笑ってからオリオンは言う。

「神に引き離されて、川の対岸に隔てられた恋人が、その日だけは橋が架かって会うことが出来るんだって」
「それが今日なのか」
「しらない」

あっけからんと、彼は言い放った。

「東方の暦はよくわかんないし。まぁいいんじゃないの、今日ってことで」
「よくないだろう…」
「じゃあスコピーはオレに会えなくてもいいわけー?つれねーの!」

唇を尖らす幼い仕草に、何故か涙が込み上げた。
ずれた論点を指摘する暇もなかった。
スコルピオスは戸惑う。
ただどうしようもなく胸が苦しかったので、前置きもなく青年を抱きしめた。
布越しの体温は石のように冷たい。

「スコピー?」
「…なんだ」
「好き」
「…」
「愛してる」
「…」
「ゆるさない」
「…」
「抗って」

何を許さないのか、何に抗えと言うのか。
スコルピオスには分からない。
ただオリオンが切々と言い募るので、黙って聞いている。

「世界の王になるんだろ、でもさ、アンタならもっときれいな道を歩けるから」

まるで言い遺すかのように彼はつづける。

「神なんて、運命なんてもんに踊らされて、闇の中に埋もれていかないでくれよ、なぁ」

言っていることの半分も分からなかったが、ただ、どこか冷えきった頭の隅で、彼の願いを叶えられないことを知っていた。

「あぁ、時間だ。七夕は終わりだよスコピー」
「そうか」
「うん。じゃあね」


最後に唇が触れたか触れなかったか。
どうしても思い出せなかった。


床から起き上がり白む空を見ながら、スコルピオスは乾いた笑みを浮かべる。
殺した男の夢なぞ、悪夢に違いないのだ。
恨み言を並べても良さそうなものを、なんだ、まるで会瀬のようだったではないか。
自分の願いが夢として現れることがあると聞いたことがある。
あるいは其れだったのか。
気色の悪いことだ。

「オリオン」

抱きしめた感触がまだ手に残っている。
忘れたはずの仕草の一つ一つが甦る。
込み上げるものを、スコルピオスは意思でねじ伏せた。

愛していた。
愛している。
ただ、それにも勝る目的があっただけのこと。

スコルピオスは目を閉じる。

きれいな道をと奴は言った。
だがそんなもので王の座は手に入らない。
今更動き出した謀略は止められない。
…多くを犠牲にしてまで得たこの好機を、無には、できない。
多く、そう、あまりに多かったのだオリオン。
貴様が連れて逝ったものは。


陽の光が星を消していく。
スコルピオスの目の前にはもう川など流れていないし、果てのない橋も架かっていない。
ただ暗闇へと至る道が、延々と続いているだけである。









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