「殿下、おはようございます!」

キラキラした笑みと弾んだ声に、隣に控えた部下はギョッとしたような顔をした。
それもそのはずで、昨日まではあんなに嫌がっていたスコルピウスに対して、オリオンが至極嬉しそうに挨拶したのである。
スコルピウスも面食らったような表情をしている。
城内ですれ違っただけだったので、その場はすぐに別れたが、異常はこの一回にとどまらなかった。

「気持ちのいい青空ですね殿下!」
「見てください殿下、訓練所の横にきれいな花が咲きました!」
「殿下!」
「殿下!」

鬱陶しいほどにまとわりつくオリオンに初めは「黙れ失せろ」と返していたスコルピウスも、だんだん叱り飛ばす気力も失せて、投げやりな相槌を打つようになった。
しかしそれで満足するオリオンではない。
最早執念とも言うべき粘り強さのかいあってか、いつの間にか二人は天気について和やかに語り合うまでになっていった。
あのスコルピウスが「今日は日差しが強いな…洗濯物がよく乾きそうだ」と言った時の衝撃がいかほどか想像していただきたい。

「そういえば殿下聞きましたー?」
「なにをだ」
「レグルスんとこの副隊長、この前女の子が生まれたらしいんですけど」
「ほう」
「そんときの台詞が傑作で、生まれた子を見るなり『なんだこれは…猿か?』って」
「女にむかって猿はないな」
「でしょ?カミさんにひっぱたかれて次の日まで頬が腫れてました」
「…フッ、奴らしいことだ」

あ、と声を漏らしたオリオンを、スコルピウスは不機嫌そうに「なんだ」と一瞥した。

「や、なんでもないっす」

声の理由は彼の笑顔だった。
打ち解けて会話するようになっても、彼のする表情は仏頂面かしかめ面。
良くてせせら笑い。
あれ、こうして思い返すとオレ結構酷い扱いうけてる?
まぁ、それは置いておいて。

「なにをニヤニヤしているんだ気色悪い」
「気色悪いはないですよ殿下ー」

口の端をわずかに上げただけ。
満面の笑みには程遠い。
けど、確かに彼はその表情を少しずつ変えてきているのだ。
嬉しくないはずがない。
小さくガッツポーズをしてからオリオンは首をかしげた。
あれ、面白そうだから始めただけなのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう?

一人で百面相するオリオンを、スコルピウスが気持ち悪そうな目で見つめていた。

――そうやって平和に時間が過ぎて。

オリオンの元にひとつの知らせが舞い込む。
それは彼が長い間ずっと探していた友人の消息。
彼女は、ミーシャはレスボスにいるのだという。

「レスボス、か…」

近いようで、すぐには行けない距離。
次の休暇に馬にでも乗っていこう、と、オリオンは算段する。
手元の報告書から顔をあげて、地平線から昇る月を見つめた。
夜が来ている。

ふと香った血の匂いに振り返ると、鈍く光る鎧にその髪と同じ色をこびりつかせ、スコルピウスが立っていた。
彼のそんな姿を見るのが初めてではないオリオンは苦笑して声をかける。

「お疲れさまっす、殿下。本日はどちらまで?」

バルバロイの侵略が激しさを増す昨今、軍が動くことは多い。
オリオンの部隊は城の守備部隊なので、あまり動くことはないが、スコルピウスは前線で積極的に戦っていた。
王の手足となって。
だから今回もそういった事情なのだろうと、オリオンは考えていた。

「ヒュドラへの生け贄を捧げに――レスボスへ」

レスボス。
その地名に、血の気が引くのが自分でも分かった。

「生け贄って、紫の目の若い女、」
「なんだ、知っているのか」

少し驚いたように目を見開いて、スコルピウスは平坦な口調で言った。
オリオンは視界が狭窄したように感じた。

幼い頃、痛みと諦めしかなかった世界に現れた同じ年頃の少年。
お互い憎まれ口を叩いてばかりだったけど、その存在に救われていた。
そしてその双子の妹。
二人の優しい手のひらを、忘れたことはなかった、のに。

唸り声を上げて、スコルピウスの胸ぐらをつかみあげた。

「なんで殺した…っ!ミーシャである必要がどこにあった!!」
「…知り合いか」
「俺の…!親友だ…っ!!」

きつく締め上げるオリオンの腕を、それを上回る力で外して、スコルピウスは「王の命令だ」と低く呻いて見せた。
分かっている。
オリオンはやり場をなくした腕を強く握る。
王の命令で仕方がなかったことは分かっている。
けどアンタはおかしいと思わなかったのか。
国のために罪もない若い女が犠牲になるなんて、おかしいと思わなかったのか。
その剣はわずかにでも鈍らなかったのか。
オリオンの目に宿る憎悪を見てとり、スコルピウスは目を細めた。

「王命に逆らうことを赦される臣下がどこにいる…?」

乱暴に踵を返して彼は吐き捨てた。

「そうやって結局はお前も私を拒むのだ」

深く傷つき、血の滲んだ言葉が空中に落ちて、消えた。

遠くなる足音を聞きながら、自分が後戻りのできない道へ踏み出しはじめたのを、オリオンは感じていた。
そして、あと少しで手にはいるはずだった何かを永遠に失ったことも。
ああ、月は高く昇り、夜はますます深くなる。


――復讐の道は、なにより暗く、険しい。











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