ごう、と流れる水の音を聞いたとき、これが黄泉の河か、と、ぼんやり思った。
暗い水面から深さはうかがえない。ふと、対岸になにか白い物がよぎったきがして目を細めた。
背の高い、人間のようだった。

―ホゥ、我ニ逢ゥトハ奇遇ナ仔ダ

声から男であると知れた。
ごうごうという水音の中で、不思議なほどよく通る声だった。

―ソノ顔ハ…“デメトリウス”ノ息子カ。ナルホド、雷神ノ眷属ナラバ不思議デハナィ

男の口から聞こえた父の名に、わずかに驚く。

―あなたは、

―知ル必要モ、アルマイ

ごうごうと河が流れている。
近づこうと足を踏み出すと、対岸の男が制止した。

―嘆キノ河ノ水ハ、忘却ノ水ダ。触レレバ全テガ流レ去ル。…奇遇ナ仔ヨ、母上ハ未ダ糸ヲ紡イデオラレル

憂うような声音で男は続けた。

―オマエハマダ生キナケレバナラナイ

―私は死んだのでは

―オマエハマダ生キテイルヨ、奇遇ナ仔。タダ、モシモ、

男の声の調子が変わったのを感じた。
かすかに、期待に似た熱がこもったようだった。

―モシモ、オマエガ望ムノナラバ、我ハ、オマエヲ救ウコトモデキル。痛ミカラ救ウコトガデキル

白い手がこちらにのべられたのが見えた。

―気マグレデ残酷ナ運命カラ、守ッテヤレル
 
どうする、と、男は問うた。
頭によぎったのは渦巻く謀略と冷たい玉座。
それでも、伸ばしかけた腕をだらりと下げて、笑った。

―嗚呼、オマエモ我ヲ拒ムノカ

予期していたように、男も笑った。
寂しそうに笑った。

その姿に、胸が痛んだ。

それでも自分は、生きて、いたい。

生の孕む痛みに嘆くこともあるだろう。
逃げたくなることもあるだろう。
けれど自分は世界の喜びを知っている。
愛すべき人々を知っている。

―サァ、オ別レダ、奇遇ナ仔。ダガ、オマエモイツカ知ルダロウ。コノ世界二、平等モ安ラギモ、存在シナイコトヲ

白い手はまだのべられたままだ。
彼はきっとこれからも手をのべ続けるのだろう。
救いを、差し出し続けるのだろう。
祈るように、乞うように。

だから、思う。

いつか、どうかいつか、彼の手をとる人が現れて欲しい。
誰か、彼を救う人が現れて欲しい。
救いを差し出し、拒絶され続ける悲しみから、彼こそ救われるべきではないか。


私には、できないけれど。


まぶたを閉じれば闇が遠退いてゆくのがわかった。
水音も徐々に薄れていく。
離れゆく死の気配に、ただ対岸の彼の幸せを願った。










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テーマ「人外ファンタジー」
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