「君、いつまで出しておくつもりなんです」
小さな両手にマグカップを抱えながら彼女は言った。
「なにを?」
「ソレですよ」
形のよい顎をしゃくってみせた先にはガラスケースがあって、その中で一組の人形がふくふくと笑っている。
豪奢な衣装はアンティーク家具に囲まれたこの部屋に馴染む色合いだったけれど、見る人が首を傾げたくなるくらいの違和感があった。
だって着物は日本の民族衣装だもの。
「おひなさまのこと?」
「三月三日、桃の節句の人形じゃないんですか。とっくに月末ですよ」
「いや、ほら、その、すぐしまうのもったいないじゃん?」
「なぜしどろもどろなんだ。後ろ暗いことでもあるんでしょう腐れマフィア」
「くされって…反抗期か!」
「もとより君に従順だった覚えなどない」
「あ、俺もそんな記憶ないや」
霧の守護者は彼がきちんと男性だったころからずっと、言うことを聞いてくれたことなんてなかった。
情けなく眉を下げて、ちびりとカップに口をつける。
「ボスは骸さまにお嫁に行って欲しくないのよね」
クロームはさっきから骸の隣で黙ってココアを飲んでいた。
そのカップを丁寧にテーブルに置いて微笑み、ちょっとうれしそうに言う。
「ひな人形を三日が過ぎても飾っているとお嫁に行き遅れるっていう、あれでしょう?」
「クローム、この男にそんな教養を期待してはいけない。どうせバイクだのマンガだので破裂しそうな物置に、これをしまうスペースを用意出来なかっただけです。計画性のない馬鹿だから」
「うっ、お前なんでそんな辛辣なの?俺の二十年の成長をちょっとは認めてよ!」
「実際計画性の欠片もないでしょうが。なんで四十手前にもなってまだマフィアなんかやってんですか。ぶっ壊すっていう宣言はどこへやった」
「どうしよう急に耳がとおくなった」
「成長はしないのに老化はするんですね、このすかぽんたん」
「聞こえませーん」
両手で耳を塞ぐ沢田綱吉、三十八歳を鼻で笑って、骸もカップを手放した。
テーブルにならぶ大小のマグカップ。
小さい方が藍色で、大きい方が薄紫だ。
綱吉がその眺めに気をとられていると、「それにね」と骸がちょっとばかり声の調子を変えて切り出した。
「もし仮に僕をどこにもやりたくないのだとしたら、君がやるべきなのはそんな意味不明なまじないじゃない。
――ダイエットだ」
綱吉がサッと青ざめた。
骸の容赦ない眼差しが腹回りに刺さる。
クロームは気まずげに目をそらしたが、そっちは胸に刺さった。
優しさが痛い。
「ニキロ…いや、もっとか」
「やめて!お願いだからやめて!」
「じゃあそのふかふかの椅子にあぐらかいてないでさっさと行動しろ」
大きくて、仰々しいレリーフまでついた布張りの椅子。
「…うん、そうだね」
返ってきた穏やかな微笑みをじろじろと検分して、骸はちょっと不機嫌な顔になり、次に優雅に口角を上げた。
笑顔ってこうやるんですよ、って具合に。
「沢田綱吉、僕が今いくつか知っていますか」
「十一だろ」
「君が三十八だから、単純に考えれば二十年くらいは僕の方が長く生きるわけだ」
「いやそれ結構説得力ないよ?もとはおまえの方が年上だよ?」
「だまらっしゃい。まァ、二十年と言わず数年あれば地球滅亡くらいはできます」
「真顔で言うな」
「君が死んだら僕を止めるものは何もありませんね。だって守護者じゃなくなりますし」
「よくいうよ!」
「だけどね」
少女になっても治らなかった彼の世界観に頭を痛める綱吉の方へ、傲慢ぶった声が飛んできた。
「君がきちんと諸々を軌道にのせていれば、遺志くらいは尊重してもいい」
言い切って彼女が口を閉じると、部屋がシンと静かになった。
「…勘弁してよ」
ようやっとそう言った綱吉の顔を見て、骸は「ひどい顔だ」と鈴のような笑い声をあげた。