骸は研究熱心な学生として教授の覚えがめでたい。
おかしな話だ。別に何かやりたいことがあったわけでもなく、理系だからというだけで工学部を選び、漫然と過ごしてきた。それがひとつの出会いでこうも変わってしまうとは!
過去の自分が知れば悪い冗談だと冷笑しただろう。あの頃は得体のしれない情熱を、それは恋愛を含めて、ひどくおぞましく思っていたから。

「綱吉くん、つなよし」

キーボードの上で指をよどみなく動かしながら、つぶやく口調は歌うようだった。彼の名前を呼んでいるだけで体が軽くなっていく。
こんな興奮を覚えるのも彼だからこそだ。彼でなければならない。
ちょっと間抜けで気が弱く、家ではゲームをするかだらだらするかで、怒られればすぐすねる。学校でのあだ名はダメツナ。それでもその仕草一つ一つから目が離せない。
かわいい、とでも言うのだろう、この感情は。そう思いかえすうちにも息が荒くなった。
作業の手は緩めない。綱吉により深く寄り添うために、これは必要な労力なのだ――盗聴器とカメラだけが手段ではないとはいえど。
喉の奥で笑って、モニター脇に置いたメスを見やった。骸の持つ第三の手段。
獄寺、隼人。綱吉を不純な思惑で見る目など潰してしまおうと思っていたが、まあいい。残ったなら残ったなりに役に立ってもらう。

「僕だけの、綱吉」

他はいらない。



朝七時三十分。駅のホームにはすでに獄寺が立っていた。
綱吉は慌てて走り寄る。

「ごめん!オレがお願いしたのに待たせちゃって」
「いえ、そんなにまってないッス!第一、十代目をお待たせするわけにはいきません」
「またそーいう変なことを・・・」

呆れた声にかぶさるように、電車がまいります、とアナウンスが入る。滑り込んできた快速は混み合っていて、毎朝のことだけれど足がすくんだ。

(でも今日は獄寺君がいる)

痴漢にあう、とは言っていない。でももし自分の様子がおかしくなれば、彼はきっと気づいてくれる。それにもしかしたら、隣に友達がいると分かれば犯人だって警戒するかも。
綱吉は自分を奮い立たせるようにして電車に乗り込んだ。満員電車特有の熱気に息がつまりそうになりながら、なんとか自分のスペースを確保する。周りは皆大人で、綱吉より背が高い。
緊張で強張る右手で、携帯を落とさないようにきつく握り締めた。
発車して一駅の間は大丈夫だった。二つ目の駅を出た後も。もう次は下車駅で、到着まで五分足らずだ。
もしかしたら、と、希望が頭をもたげる。
今まで一日だってそんな日はなかった。けれどもしかしたら、今日は来ないんじゃないか。
思いつつも携帯は手放さない。油断して前回は痛い目にあったのだ。
そしてやはり、ついに綱吉の臀部に人の手が触れた。
それもただ触れたのではなかった。その手はいきなり綱吉の尻を揉みしだき始めた。
あまりのことに綱吉の喉からひきつった声が漏れた。
パニックになり携帯を取り落す。床に落ちては、この混雑で拾えるはずもない。

(獄寺君――!)

必死になってあたりを見渡すも、獄寺の姿は見えない。前にも、右にも、左にも。そこまで確認して、綱吉は頭をよぎった可能性に色をなくした。
前にも横にも見えない。なら、後ろは?
手は太ももまで好き勝手に動いている。思い切って背後に伸ばした綱吉の手をむしろ歓迎するように、その手は動きを止めた。

(そんなはずは、)

震える指先に、ごついアクセサリーが触れた。
全身に冷たい水を浴びせられたような気がしたその瞬間、ドアが開き、綱吉は人波とともにホームへと吐き出された。改札へ殺到する流れから何とか体を引きはがす。
よろめく綱吉の耳に「十代目ー」と呼ぶ声が聞こえた。
少し離れたところで見慣れた銀髪がきょろきょろとあたりを見回している。返事をしないうちに彼はこちらに気付きパッと顔を輝かせた。

「十代目!」
「獄寺、君」

感じたのは安心なんかじゃなく、恐怖だった。
駆け寄る彼に硬い笑顔で返す。

「携帯、落としましたよね。拾っときました!」

差し出す右手には指輪が三つはまっていた。

(ごつい指輪、右手に三つ)
 
そんなはずはない。親友の彼に限ってそんなことは。
そう思っても、いつもの様にはもう笑えなかった。









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