企画 | ナノ
彼女を待つなら、あの場所が良い。
真っ白な世界の上に画材を広げ、男はありったけの青い絵の具をパレットの上に取り出した。
彼女が愛した物語のような、何処までも、ただひたすらに青い世界。
製作時間はきっと、可哀想なくらいにあるだろう。
だから、自分は此処で描き続けていよう。
もし彼女が、自分以外の誰かの居る場所に行ってしまったら――なんて想いさえ塗り潰すように、男は絵筆を動かす。
彼女は、自分を愛している。それは自分が死ぬまでは確かなことだった。
これから、彼女は長い時を生きていく。その中で、自分以上に愛する誰かに出会うことだってあるだろう。
それでも、どうか。彼女が行き着く場所が此処であってほしいと、男は一つ一つ、許しを乞うように青い花を描いていく。
「どうしました、あなた」
「あぁ、いや。此処に何か……染みのようなものが出来ている気がして、な」
壁に掛けた額縁を感慨深く見つめて数時間。其処から一歩たりとて動かないのは彼の性とは言え、顎に手を当て首を傾げているのはどうしたことかと夫人が声を掛けると、ウタフジは五年前には無かったような染みを指差した。
保存状態が悪かった為なのか。はたまた、元からあったのものなのか。盗まれてから五年の時が経ったとはいえ、毎日穴が開くほど眺めていたのに確信が持てない。
自分の眼に異常が生じているのではと思ったが、妻が「あらホント」と言うので、どうやら間違いはないらしい。
「最初からあったような気もするし……今になって出来たような気もするな」
「素敵。まるでこの二人、長い時を経てようやく再会出来たみたいですね」
そう言って、人影めいた二つの染みを指差す夫人の稚けない微笑みに釣られるように、ウタフジは眉間に皺を寄せたまま笑った。
幾らなんでも出来過ぎている。けれど、あのコウヤマ先生の描いた絵だ。そんな奇跡があっても不思議ではない。
夢物語を目の当たりにしたように笑う妻の肩を抱きながら、ウタフジは暫し、寄り添い合う二つの青い影を見つめた。
――貴方を、許そう。
青い花の咲き誇る丘で、彼女はそう言って微笑んだ。
此処に来るまで、とても遠い道を歩かされた。他を顧みない歩幅に置き去りにされながら、どうにか辿り着いた先で、彼は待っていた。
自ら置いてきぼりにしておきながら、彼女が来なかったらどうしようと怯えていたような顔をして。
それだけで十分だと、彼女は彼のもとへと走り出す。空の中、海の上を駆けるような足取りで。
「会いたかったよ、おじさん」