企画 | ナノ


「んぁああああああああ”青花候”ぅうううう!!!!」


その痩せた喉の何処からそんな声量を出しているのか。反射的に耳に指で栓をする一同を前に、四季狂いは帰ってきた”青花候”を抱き締め、喜びに泣き咽びながら狂い悶えていた。


「本物か?!いや、本物だな!!間違いない、この魅力!迫力!正真正銘本物の”青花候”だ!!」

「貴方に贋作を渡すような真似出来ないですよ……恐ろしい」


おいおいと四季狂いが肩を震わせる度、色とりどりの花弁が辺りに舞い落ちる。

だのに、花瓶の中の花はみすぼらしい姿を曝すことなく、次から次へと咲き誇っては散っていく。まるで彼の心に溢れる想いの如く、もりもりもさもさと。


「ありがとう……まさか本当に取り返してくれるとは……正直絶対無理だと思ってた」

「此方も正直、無理だと思っていました。……今回は運が良かったということで」


そう、運が良かったのだ。絵を取り戻せた四季狂いも、依頼を達成出来た自分達も、そして、理解者に出会えたキヅネも。


「ところでウタフジ先生、キヅネのこと……本当に良かったの?先生のことだから、検察を金で買ってでも釈放させて殴り殺させろって言うと思ったんだけど……」

「わはは、私のことがよく分かっているじゃあないか」

「笑って言うな」


朝刊の一面を大々的に飾る見出し――絵画泥棒自首!コウヤマ・フミノリの真作四点、戻る――を横目で一瞥し、すすぎあらいは頬杖を突いた上体を溜め息と共に沈める。


自分達が追い付くより早く、キヅネは帝都警察に自首した。これまで盗んだコウヤマ・フミノリの絵画、四点を持って。

その中に”青花候”は無い。それだけは彼の手元にあるべきとして、彼女が預かって来たのだ。キヅネは他の四枚も彼女に所持してほしいと希ったそうだが、彼女は首を縦に振ってくれなかったという。


――貴方がこの絵を……あの人を理解してくれる人を求めているのなら、これは大勢の人の眼に触れるべきだと思います。

――誰の眼にも触れなければ、誰にも理解されることはない。とても長い時間が掛かるかもしれないし、理解出来る人もごく一握りかもしれない。

――その何時かと誰かを待つ為に、芸術は長い時間の中に遺されていく。私は、そう思うんです。

――だから、その四枚はいただけません。


そう言って彼女は、”青花候”以外の絵をキヅネの手に委ねた。私は貴方の望みを叶えられない。だから、残り四枚をどうするかは貴方が決めてほしいと。

自首を勧めることも、絵を元の場所に返すよう促すこともせず、彼女は柔らかく微笑みながら自分のことを見送ったのだと面会室で語ったキヅネの顔は、憑き物が落ちたかのように穏やかだった。

その顔が原型を留めなくなるまで殴り付けるくらいのことをしでかすと思っていたのだが、四季狂いは”青花候”が戻ったならそれでいいとキヅネの裁きを司法に任せると言った。


「気持ちは、分からんでもないのだ。愛する作品が正しく理解されないというのは虚しさと、激しい怒りを生む。私も一時期、コウヤマ先生の絵を抽象画と呼ぶ者を紙面で叩きまくったものだ。だが……私も、この絵を正しく理解出来てはいなかったのだろう」


コウヤマ・フミノリを愛する同士であるから、という理由で同情しているのではない。彼の怒りを理解出来るからこそ、酌量しているのでもない。

四季狂いは、キヅネが自分から”青花候”を盗んだ動機が己にあるが故に、彼を恨み切れずにいるのだ。


「これはコウヤマ先生が自分の為に描いてくれたものだと驕っていたが、そうでは無い。この絵は、私の作品を読んでくれた先生の姪っ子さんの心を描いたもの。その心の中に生まれたものが美しかったからこそ、コウヤマ先生は筆を取ったのだ。私がそれを履き違えていたから、奴は”青花候”を奪おうとしたのだろう」


コウヤマ・フミノリが表紙絵の依頼を受けたのは、姪っ子がウタフジ・セイショウのファンだからというのは、きっと少し、違う。

その眼で見て、良いと思ったものだけを描く。そんな彼に筆を取らせたのは、ウタフジ・セイショウの小説を読んだ姪が見せた心だ。


所詮は絵空事でしかない悲劇に沈み、悪逆に憤り、幸福な――或いは幸福とは言い難い結末に涙する。その心が美しいと思ったが故に、彼は筆を取った。

ウタフジ夫人が表紙の依頼を持ち込まずとも、彼はきっと、描いていただろう。物語に触れた彼女の心。その中に在る景色を。


「嗚呼しかし、作家冥利に尽きるというものだなぁ!」


どっかりとソファの背凭れに身を預け、四季狂いは天井を仰ぐ。

頭部からは相も変わらず、無数の花弁が絶え間なく剥がれ落ち、舞い散っては何処かへと消える。それに合わせるかのようにして、陶磁の花瓶が罅割れ、一つ一つ欠片が床に零れ落ちていく。

落ちた破片は瞬く間に輝く砂となって、空気の中に溶ける。

降り注ぐ歓喜の雨に洗い流されていくように、四季狂いを包む呪いが解かれる。


「私の小説は、間接的にでも、だが確かに!あのコウヤマ先生の心を動かしたのだ!!こんなにも喜ばしいことが果たしてあるだろうか!!」


皺だらけの顔を一掃皺くちゃにして、子どものような顔で笑う老人。

彼を救った”真実の愛”は何処までも一方通行だ。だが、それでも、確かに彼は与えられていた。敬愛する芸術家から、これ以上とない賛辞と褒章を。


「ほんと……マジ、嬉しくて死にそう……」

「まだ死なないでよ、先生。今やってる三部作、途中で終わっちゃうでしょ」

「今の私なら明日には全部書き終える気がする。嗚呼、でもまだ死ねないな。この感動を作品にぶつけたくて仕方ない」

「にんじん吊り下げた馬みてーだなぁ」


帰ったら額縁を抱えたまま机に向いそうな勢いのウタフジを眺めながら、何はともあれこれにて一件落着と一同は胸を撫で下ろした。


小切手に好きな額を書けと言われたが、金額はUBAでの”青花候”の落札価格――の半分程度にしておいた。

ウタフジは、これでは気が済まないのでもう一桁足してくれと言ったが、今回の仕事で得た思わぬ副産物の方が大きいので、帝都芸術史に貢献出来たことが云々と適当に宥めた。


「姉様は、こうなることを見越していたのではないかと思うのですよ」


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