企画 | ナノ


古本屋で奇跡的に見付けた雑誌に掲載されていた貴重なインタビューで、彼はこう語っていた。


――俺にとって絵は、何かを表現するとかじゃなくて、好きなものを好きなようにってものだから。見て、あぁいいなって思ったら描く。この絵は最近は雨が多いのを見て、いいなと思ったから描いた。それだけ。


代表作”望まれぬもの”製作秘話、と銘打たれた見出しの、たった二ページばかしの記事。其処に綴られた彼の言葉を見れば分かる筈だ。

彼は、抽象画家ではなく、風景画家だ。

その眼で見たまま、感じたままに筆を動かし、其処に在る情景をキャンパスに描く。燃え盛る夕暮れの街も、孔雀の羽根に睨め付けられた雨空も、彼の感受性が見据えた真実だ。それ以上のものは何も無い。

だのに、これは抽象画だと宣う輩のなんと多いことかと辟易した。それどころか、これは風景画だと口にする者でさえも、正しい眼を持ち合わせていないと来ている。


嗚呼、何故誰も理解出来ないのだ。このままでは、彼が遺した作品は真なる価値を失ってしまう。

それだけはあってはならないと掻き集めた絵を背負ったまま、男はベンチの上で項垂れた。


自分を追っているのは、”無明の迎え火”昼行灯だ。裏と表の境目が融けあった今、此方側にも安全地帯は無い。人目のある所で白昼堂々襲って来ることはないだろうが、いつ影の中に引き摺り込まれるか分かったものではない。


――あと、どれだけ逃げられるだろうか。


自分はどうなっても構わない。だが、この絵が濁った眼を持つ者に渡ることだけは何をしてでも避けたい。


いっそ、この身諸共燃やしてしまおうかとさえ思った。誰一人として価値を理解出来ない。そんな恥辱に晒してしまうくらいなら、灰にしてしまうべきなのではないか。

だが、唯一絶対至高無上の芸術が失われることがあっていいのかという想いが、彼を踏み止まらせた。

崇高なる芸術作品はミームである。美術は多くの人々の脳を揺らし、拡大し、文化となる。文化は遺伝子の如く、後代に脈々と受け継がれ、人類史と共に残り続ける。その境地に至ることで、作品は永遠の物へと昇華される。彼の絵もまた、その領域へと至らなければならない。


人々が正しき眼を持ち、彼の絵に正しい価値を付けた上で、これを永遠にしなければ。

それまで彼の作品を守ることこそ、自分がこの世に生まれ落ちた意味だ。だからこの絵は、決して渡せない。


己の手元に無くとも構わない。誰か、彼の絵を真に理解出来る者であれば――。


しかし、そういう人間が居ないからこんなことになっているのだと、男が深く溜め息を吐いた時だった。


「へー!これ、この小説書いた奴のサインなのか!」


真夏の太陽めいた、うんざりとさせられるような明るい声が耳を衝く。


睨むように横目で見れば、隣のベンチに若い女が二人居た。
一人は、自分が此処に来る前から其処に座って本を読んでいた。もう一人は、つい今し方来たように見える。恐らく待ち合わせでもしていたのだろう。

それならさっさと此処から離れてくれないかと忌々しげな視線を向けても、あちらがそれに気付くことはなく、もう一人の方もベンチに腰掛け、会話に花を咲かせ始めた。


「よかったな!お前、この本書いてる奴のファンなんだろ?」

「うん。えへへ、嬉しくて最近毎日読み直してるんだぁ」


女は話が長いから嫌いだ。何故奴等は中身の無い会話で馬鹿みたいに盛り上がれるのか。
この様子だと、あと一時間二時間居座り続けるだろう。同じ場所に腰を据えていては追手に見付かるリスクもあるし、此処は速やかに移動しようと男がベンチから重い腰を上げようとした、その時だった。


「そういやこの本の表紙、昔見に行った展覧会の画家が描いてるんだよな。なんだっけ、えーと……あぁ、そうそう。コウヤマ・フミノリだ」

prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -