妖精殺し | ナノ


腕に負荷が掛かる程に力んでしまうのは、魔力を捻出し過ぎている証拠だ。
物から手が離れている分、ペンを動かすのに必要な力を魔力で賄わなければという考えが、そうさせていたのだろう。だが実際のところ、重要なのは魔力の量ではなく、動かし方だ。

これが魔力操作の修行であることを考えれば当然のことなのだが、気が付くのに幾らか時間をかけてしまった。

余剰な力は込めず、自分でペンを握って動かすような感覚を、魔力で再現する。
このイメージが完成してから、あれだけ重かったペンは嘘のように軽くなり、手に持って動かすのと変わらないコントロールが身に付いた。

今ではこの通り、思うがままに絵を描くことだって出来るようになったのだと、春智は誇らしげな顔で、画用紙を見せる。


「……どうですか、化重さん」

「見事なもんだと褒めてやりたいところだが……問題があるとすれば、お前の絵心だな」


ペンが動くスピード、動作の滑らかさ、精確さ、加えてインクの濃度の調整。何れも合格点だ。魔力操作の基礎は物に出来たと言ってもいいだろう。
しかし、これでいいのだろうかという気持ちが残るのは、春智が描いてみせた絵の出来栄えが非常にアレな為であった。

恐らくこれは、魔力操作の不備ではなく、彼女の画力の問題だろう。春智が普通に描いた絵を見たことはないが、この絵を自信満々に出してきた辺り、察しがつく。
無駄に勢いのあるペンタッチで描かれた謎の毛玉にアルベリッヒと共に眉を顰めながら、化重は絵が上達する魔術はなかっただろうかと、皿の上のフロランタンを摘まんだ。


「そうかい? 中々上手じゃないか。このフワフワとした感じと首を擡げた感じ、ムーらしさが表現されていて」

「すみません、勾軒さん。これはアモンです」

「此方こそ。すまなかった、お嬢さん」


双頭のフクロウと、毛虫めいたプシュケー。普通、見間違うことはないだろう。つまり、そういうことだ。
申し訳なさそうに「歳だから眼が悪くなってきてね」と追加の菓子を出した勾軒だが、笑いを堪え切れてない辺り、彼も春智の画力に難があることを理解しているのだろう。

その上でフォローしてやっているのは、優しさなのか。次回作に期待してのことなのか。
唇を尖らせ、渾身の自信作を角度を変えながら眺める春智と、くつくつ笑う勾軒を交互に見遣り、化重は短い溜め息を吐いた。


「まぁ、ペンの動かし方自体は問題なかったし、字は綺麗に書けてる。魔力操作の修行はこれで終わりだな」

「やったぁーーー!!」

「おめでとう、春智さん!」

「おめでとう」

「ありがとうございます、ありがとうございます!」


ともあれ、これにて初心者用グリモアール”猿でも分かる魔術基礎”の全行程クリアとなった。

魔術の勉強を始めてから、そろそろ二ヶ月が経つ。その間、苦楽を共にしてきたこのグリモアールとも、今日でお別れだ。
あれだけ次の頁に進むことに熱心になっていたというのに、いざ最後まで進めてしまうと、切なくなってくる。苦戦してきた分、思い入れが深い為だろう。


「うう……。やっと次のグリモアールにいけるという嬉しさと、今日までお世話になったこの子とお別れという寂しさが込み上げてくるこの感覚……中学校の卒業式を思い出します」

「また大袈裟な」


グリモアールを抱き締め、感慨に耽る春智だが、これは序盤も序盤。この先、魔術を極めていくに辺り、何十冊というグリモアールを手にしていくことを思えば、たかが一冊にそこまで感傷的になっている暇はない。

次のグリモアールに取り掛かるようになれば、寂しいだなんだの言ってられまい。と、口に出せば冷たいだ何だと言われそうなことを思いつつ、化重は用意しておいた次のグリモアールを差し出した。


「ほら、これが次のグリモアールだ。こっちも初心者用ではあるが、難易度は飛躍的に上がっている。心してかかれよ」

「ふおぉ……パラパラ捲っただけでも分かる、圧倒的文字数の違い……」

「これまでやってきたのは、道具の中に魔力を流すだけで発動するインスタント魔術だが、これからは詠唱や儀式を用いて行使するハンドメイド魔術だ。詠唱覚えて、必要な道具を用意して……シジルだっててめぇで書いていかなきゃならねぇし、一つのステップこなすのに必要な項目量がちげぇ。今まで以上に時間と手間がかかると思ってやるように」


言うなれば、今日まで春智がしてきたのは、お湯を注ぐだけで出来る即席料理だ。だがこれからは、小麦から麺を作り、スープの為に出汁を取り、具材も自分で用意する手料理に挑まなければならない、ということだ。
今まで以上に根気が要るし、習得も骨が折れるだろうが、いよいよ本格的な魔術を学ぶことが出来るというのだという昂揚が、春智を駆り立てる。

その眼が好奇と期待に輝いている内には、彼女が挫折することはないだろう。ならば、早速次の課題に取りかかろうと、化重はグリモアールの頁を開いた。


「それじゃ……まずは、お前の魔力と同じ属性で、最も簡単な魔術の習得からだな」

「お嬢さんの属性は火だから、最初は発火魔術だね。あれは確か、蝋燭を使うんだったか」

「えっ、そうなんですか?」

「こないだ使った水晶あるだろ。あれは魔力の性質によって色が変化し、一目で属性が分かるようになっている。微妙な色合いの違いはあるが、大まかに分けると赤は火、青は水、緑は風、黄色は土。よってお前の属性は火だ」

「叶と同じだね」


魔力と魔術の属性は、四元素――火・水・風・土になぞらえて分類され、其処から細かく枝分かれしている。

魔力の属性は生まれついてのもので、資質や才能と呼ぶべきものでもある。基礎を学ぶ段階でこれを明らかにしておくのは、自らの魔力の性質を知ることで、構築し易い魔術を見定めたり、専攻する分野を選んだりする為なのだ。


「いつだか、叶の魔力が入ったネックレスから火炎魔術を展開出来たのも、二人が同じ属性を持っていたからかもしれないな。同じ属性の魔力は交感作用があるし、相性もいいからね」

「えへへ……なんか照れますね」

「何でだよ」

「ちなみに、この作用は魔力と魔術にも言える。同じ属性は馴染み易く、使い易い。だから最初は、自分の魔力と同じ属性の魔術を習得し、感覚を掴むとこから始めるんだよ」


上手く感覚を掴むことが出来れば、ランクの高い魔術の習得に繋がるし、自分の魔力と異なる属性の魔術でも扱えるようにもなる。

まずは、得意分野から始めて、基盤を作る。その為に、属性は大事な要素なのだと学んだところで、次は実戦だと化重は春智を促す。


「とにかく、まずは発火魔術からだ。上行って、杖と蝋燭取って来い」

「そういえば、もう一つ気になることがあるんですが」

「何だ」


が、此処に来てもう一つ、前々から疑問に思っていたことがあるのだと、春智はピンと腕を伸ばし、尋ねた。


「化重さんが普段使っているのって、”魔術式”ですよね。魔術と魔術式って何か違うんですか?」

「……お前にはまだ早いが、まぁ、何れ知ることだ。教えてやる」


今日まで化重が魔術を使うところを幾度も眼にしてきたが、春智はその度に疑問を抱いていた。妖精との戦闘や捕獲時に用いる魔術を、彼は魔術式と呼んでいたが、魔術と魔術式は何か違うのだろうか、と。

その答えを今の春智が知る必要性は薄いが、知ったところでこれからの修行の妨げにならないし、遅かれ早かれという話なので、化重は魔術式の何たるかを説いた。


「算数に喩えると、魔力、儀式、詠唱、媒体……これら魔術を行使する為の行程は計算で、火を出すとか空を飛ぶとか、そうした魔術を行使した結果が答えだ。つまり魔術ってのは、答えが出ている状態で行う計算……言うなれば、逆算みてぇなもんだ。魔術式は、この答えを出す為の計算を省略化する為のもので……極端な話、一+一+一を一×三にするようなもんだ。自分の体や道具、使い魔なんかにシジルや魔術文字を刻印したり、普段使わない余剰な魔力を溜め込んでおいだり、即席で使える魔術の数を限定したり……様々な方法で魔術を圧縮し、必要なプロセスを簡略化している。複数の魔術を組み合わせた術なんかも、魔術式で圧縮して、使う時に展開すれば、すぐさま使うことが出来る」


無論、それは足し算を掛け算にするような容易な話ではない。
魔術式は一度使えるようになればこの上なく便利なものではあるが、これを保つ為の枷も多いし、最初の構築には魔術以上に手間と時間が掛かる。

だから、ようやく初級魔術を始めるところという春智には当分関係ない話なのだが、納得がいくというのは大事なことだ。
頭がすっきりすれば集中力も上がるし、蓄えた知識が予期せぬところで役に立つこともある。長々と説明した甲斐はあるだろうと、化重はカップに残ったコーヒーを流し込んだ。


「要するに、結論だけ見ればイコールだが、過程を見ればノットイコール。これが魔術と魔術式の違いだ。何となく分かったか?」

「はい! ありがとうございました!」

「OK。そんじゃ、そろそろ修行に戻――」


解説も終えたことだし、話を本題に戻そうと化重がカップを置いた、ちょうどその時。


「む、あれは…………」

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