妖精殺し | ナノ


悍ましい程に赤い瞳が、此方を見つめる。その毒々しい赤色は、かの魔女が其処に居るという証だった。


百年前、魔術議会に封印された彼女は、他者の肉体と、自らの魂の一部を使った、枝と呼ばれる端末を世界各地に有している。

魔女と呼ぶに相応しい老婆。本体と程近い妙齢の女性。穢れを知らぬ幼い少女。容姿、年齢、人種。何れも千差万別だが、魔女の枝は必ず、彼女と同じ赤い瞳をしている。


血のように赤い、深紅の双眸。

かつて、幼い自分の前に現れた枝と変わらないそれを前に、化重が低く唸るように呼吸する中、幼い少女の体を器に顕現した魔女は、妖艶に笑む。


「あれから三十年……とても美味しそうに熟したのね。ふふ、会いたかったわよ。我が愛しの果実」


ただの微笑。それだけで、肌が粟立ち、体が震える程の寒気を覚えた。

恐ろしかった。無数の刃の切っ先を突き付けられるより、断崖絶壁に立たされるより、目の前の魔女の一挙一動が恐ろしくて仕方なかった。
その視線一つ、吐息一つでさえ、凶器めいている。稚けない少女の中に、本能に訴えかける危険を孕ませたその魔女が、瞬きをするだけで世界が終わるとさえ思えた。

未だかつて、こんなにも恐ろしいものは見たことがないと春智は竦み上がる。魔女の眼は此方を向いてはいないのに。


「はぁ……っ……はぁ……はぁ…………っ」

「そんなに怖がらなくてもいいのよ? 今の私はただの枝……それも、未だ芽が出たばかり。あの時出会った私より、ずっとずぅっとか弱いのだから」


魔女――毒喰苹果は、化重を見ている。

声も出せない程に怯え、息を荒げながら、今すぐにでも飛び掛かれるようにと身構える。
その姿を、まるで猫を前にした鼠のようだと嗤いながら、苹果は、人のそれから剥離した彼の瞳を覗き込む。


「それにしても、随分エーテル化が進んでいるわね。オーギュストとの戦い以前にも、何度かサラマンダーの力を使ってきた成果かしら」

「黙れ……」

「ふふ。今の貴方なら、こんな小枝、燃やし尽くすことも出来るかもしれないわね。尤も、そう簡単に焚き木になってはあげられないのだけれど」

「黙れ……」

「この体にも、サラマンダーの血が流れている。あともう少しで調整が終わるところだったのだけれど……致し方ないわね。エレメンターガイストを魔術議会や他の魔女に手渡してしまうくらいなら、私の枝として」

「黙れぇええええ!!!!」


煽られた火のように、化重が再び燃え盛る。髪は鮮烈な赤橙色に染まり、体を覆う黒い鱗は内側から赤く煌めき、迸る魔力が炎となって苹果を襲う。

それを、ドレスを軽く翻すだけで掻き消しながら、苹果は口角を上げる。自分の手の上で踊り狂うものを、なんて哀れでいじらしいのだろうと愛でるように。


「うふふ。いい子ね、私の果実」


躱した先から、次の炎が噴き上げる。殺意で研ぎ澄まされた炎の槍を、苹果は水たまりと戯れるような動きで回避する。軽やかな靴音に嘲られ、化重の炎が一層火力を上げていく。彼自らを焼べることで、魔法は更に激しさを増す。

その代償を知りながら、それでも化重は、自分を焼き尽くすまで止まれない。彼をそうしたのは、他ならぬ自分だと、苹果は恍惚の笑みを浮かべる。


「そう。貴方はそうやって、サラマンダーの力を使うしかない。魔女に勝つのに、魔術では届かない。だから、貴方は魔法を使う為、サラマンダーになるしかない」

「ウォオオオオオオオオオオオ!!」

「フフ。楽しみね。貴方という存在が燃え尽きたその後……貴方が、どんなサラマンダーになるのか」


これ以上何も言うなと言わんばかりに、化重が炎を纏いながら、苹果へと飛び掛かる。

振り翳したその拳は、元の大きさから一回りも二回りも巨大化し、黒々とした爪はコンクリートを抉り、溶かす。大した威力だと口笛を吹き鳴らしながら、苹果が後ろへ飛び退くと、化重は口の端から炎を吐き出しながら、変容した足で踏み出す。

尾を引き連れ、宙を駆ける姿は、宛ら流星だ。自らを燃やしていく様とも、よく似ている。
我乍ら中々いい比喩が出来たものだと微笑みながら、苹果は振り下ろされた化重の腕を掴み取る。


彼と同じく、サラマンダーの血が流れている少女の手は、黒い鱗に覆われ、鉄をも溶かす炎熱を防ぐ。化重と対峙するのに、これ以上となく最悪な器だ。相性に於いても、精神的ダメージに於いても。

オーギュストはいい仕事をしたと、最早おぼろげになりつつある顔を思い浮かべながら、苹果は腕を掴んだ手に力を込めて上体を浮かせ、化重を蹴り飛ばした。


魔力で強化された肉体が、華奢な少女の体に見合わぬパワーを生み出す。吹っ飛ばされ、転がり、衝突した鉄柵を歪める程の勢いで叩き付けられた化重が、牙を食い縛る。

背骨が軋る。内臓が今にも爆ぜるように痛む。それでも、此処で立ち止まっていられないと体を起こそうとした化重に、苹果は焼けた鉄パイプを突き立てる。


「グ――ッ!!」


幾つかは尾で薙ぎ払ったが、二本、腹と大腿部を貫いた。

赤く熱せられた鉄の棒が、肉と臓器を焼く。その気が触れそうになる激痛で、意識が点滅する。繰り返される、卒倒と覚醒。壮絶な痛みは、化重が倒れることを許さない。子供のように泣き喚けば、少しは楽になれるだろうに。声を堪え、咥内で焼け焦げた血を吐き出すだけで踏み止まる化重に、苹果は更に鉄パイプを喰らわせる。

放たれた鉄パイプが、化重の胸を穿ち、足を貫き、肩を砕く。そして、最後の一本が片目を潰したところで、春智は声を失った。

叫ぶことすら出来なかった。声を上げた瞬間、何もかもが終わってしまうような気がして。叫び声一つ上げることも出来ぬまま、春智は、その場に釘付けにされた化重を見る。


その気になれば、化重の命を容易に奪うおことが出来るだろうに、苹果は悠々と、化重の腹部に刺さった鉄パイプを握り、嫌に淫靡な手付きで前後に揺らす。

彼女は、愉しんでいるのだ。化重が苦痛に悶えるのを、手も足も出ないままに弄ばれる屈辱に切歯するのを。

嗜虐心の趣くまま、凌辱にも等しい戯れで玩弄し、苹果は彼に囁く。天井で身を丸める異形の蜥蜴を横目で見遣りながら。


「きっと、あの子よりもずっと強く、大きくなるのでしょうね。それはまるで、蜥蜴というより――」


全て言い終えるより早く、化重の体が爆炎に包まれた。間一髪、其処から退いたことで炎を躱した苹果であったが、宙に浮いたその体は、蛇のように撓う尾によって叩き落された。

少女の体は、地面に叩き付けられ、蹴り飛ばされた空き缶の如く、転がっていく。やがて、受け身を取って体勢を立て直した苹果が眼にしたのは、一つの生き物と化したように蠢く、長過ぎる尾だった。

彼の全長を上回る程に伸びた尾が、炎を振り払う。其処から現れたのは、突き刺さった鉄パイプを引き抜いては捨てていく化重の姿だった。


「お前は…………」

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