妖精殺し | ナノ


短い詠唱と共に、闇の中を紫電が駆け抜ける。それが脇をすり抜けたかと思えば、手の中で狂い悶えるザントマンの頭部を適確に撃ち抜き、卒倒させた。

姿無き妖精を捉えたそれが、形を持った視線であることに何人が気が付けるか。

西エチオピアに棲息していたと言われる幻想生物の名を冠したその魔術に、ただただ呆気に取られていたアルベリッヒと春智が眼と口をこれでもかと開いて佇む中。その人は寝癖のついた豊かな髪を掻き上げながら、くぁと欠伸した。


「たっく、騒がしいねぇ。二階上まで声が響くって……赤ん坊の夜泣きだってもう少しマシだろうに」

「あ、貴方は……」


ジャック・オ・ランタンの灯火が消え、元の明るさを取り戻した室内で、サングラスの位置を直す、背の高い女性。

グラマラスな肢体が映えるタイトなジーンズと、Vネックのカットソー姿はモデルか大物女優のようで、湿気た雑居ビルさえ何かの撮影現場に感じられる。
そんなオーラに圧倒され、ぽかんと呆ける春智の横で、アルベリッヒが身を強張らせていると、後を引く眠気に眉を顰めていた女が、彼の顔を覗き込むように身を屈めてきた。


「おや? アンタ……もしかしなくても、アルベリッヒか?」

「い、如何にも……」

「はー、随分見ない間にでかくなったもんだねぇ。エルフリーデは元気かい?」

「な……何故、母様の名を」


自分が何者であるか知るや否や、女は懐かしむように頭をわしわしと撫で回してきたが、アルベリッヒの方は彼女に覚えがない為、ただただ困惑していた。


母――エルフリーデの名を知っていることから、彼女の知り合いではあるのだろうが、何せ母は顔が広い。

その交友関係はドイツや日本のみならず、その他諸外国にまで渡っている為、意図せぬ所で彼女の知人友人に出くわすことが度々あるが、そも、何故この女はこんな場所にいるのかと思った直後。


「しゃ、社長ぉぉ…………」

「マギステルス派遣の件と、グリモアールの印刷……それと、ファリックチャーム製作についてご相談がぁ……」


下の階から殆ど這うようにして、商会の社員達がやって来た。

彼らがわざわざオフィスから出て来たのは、ザントマンが無事捕獲されたのかの確認ではなく、ほぼ丸一日、最上階の自室で眠り続けていた上司が、騒ぎによって眼を覚まし、上から降りてきたことを察したからだろう。

自分達の一存ではどうにも進められない案件をこぞって持ち寄る社員達を面倒臭そうに見遣りながら、後頭部を掻く女を見ながら、アルベリッヒと春智はようやく、彼女が何者であるかを理解した。


「社長……ということは」

「じゃあ、貴方が」


やっと気付いたかと、女はニッと口角を上げながら、サングラスを額に押し上げる。その研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる銀の瞳を悪戯っぽく細め、女は改めまして、と自己紹介した。


「そう。私が闇路黒魔術商会社長、闇路冴子。アンタの母親、エルフリーデ・ヘクセベルク・グレーティアの旧友さ」




その後。積もる話はあるが、社員達が次から次へと押し寄せてくるので、話はまたの機会にと、闇路は下のオフィスに行ってしまった。

残されたアルベリッヒと春智は、取り敢えず目的は果たせたし、仕事の邪魔をする訳にはいくまいと、冷静になって組み立てた檻に闇路が卒倒させたザントマンを入れ、闇路黒魔術商会を後にした。


「これがザントマン……。おぉふ、お髭がありますね……なんだか不思議な感覚です」


檻の中はがらんどうに見えるが、指を差し込めば、わしゃわしゃとした髭や、硬い皮膚の感触があり、確かに其処にザントマンがいることを感じられる。

しかし、其処にいることが分かっていても尚、見失いそうになってしまいそうなものを、アルベリッヒも闇路もよく捉えることが出来たものだと思い返したところで、春智はすっかり投げっぱなしにしていた疑問符を拾い上げた。


「そういえば、アルさんって、ザントマンが視えてるんですか?」

「いや。僕はザントマンを視ているのではなく、気を感知しているのだ」

「気?」

「簡潔に言うなれば、不可視の流動的エネルギーのことだ。……オーラと言った方がしっくりくるか。まぁ、とにかくそういうニュアンスのものだ。知っての通り、僕の家はヘクセベルクだが、これは母の家で……父の家は日本の魔術師家系、切塚(きりづか)なのだ。切塚は呪禁を生業とし、邪気、怨気、病気など、あらゆる気を”断ち斬る”、陰陽師起源の太刀使い魔術師家でな。僕は生まれつき、ヘクセベルクの魅了と、切塚に伝わる気の感知が使えるのだ」


アルベリッヒの父方の家・切塚は代々、眼に視えない力の流れを感じ取り、これを断ち切ることを生業としている家系だ。

彼らは太刀を以て悪しき気を断ち切り、因縁調伏や邪気祓い、霊障治療を行う呪禁師であり、対呪術のエキスパートである。
その末裔である切塚嵩史(きりづか・たかふみ)の、侍を彷彿とさせる魔術スタイルと硬派な人柄に、親日家であるアルベリッヒの母・エルフリーデの心臓は見事に撃ち抜かれ。
一心不乱に彼を口説き落とした後、エルフリーデは両家の反対を押し切り、捻じ伏せ、最終的に双方の了承を得た上で、嵩史を婿としてヘクセベルクに迎え入れたという。

そうして生まれたのがアルベリッヒであり、彼の中には、エルフを遥か祖先に持つ名門ヘクセベルクと、呪禁師一族・切塚の血が流れているのである。


「アルさん、ハーフだったんですね」

「ヘクセベルクの血が強いので、切塚の要素が殆ど出ていないから、分かり難いのだがな。切塚の魔術が僕の肌に合わなかったのも、そのせいだろう」


ヘクセベルクと切塚の魔術は属性、性質、起源、基盤――何一つとして交わるものが無く、まさに水と油だ。

かつて魔術を学ぶ過程で、ヘクセベルクに伝わる術の殆どをまともに扱えなかったアルベリッヒを見兼ね、父が切塚の魔術であればどうかと教育を施したこともあったが、ヘクセベルクの血を色濃く受け継いだアルベリッヒに切塚の魔術が馴染む筈もなく、此方は即座に断念された。

アルベリッヒが気の感知を生まれつき習得していたので、もしやと思われただけに、周囲の落胆は大きかった。特にエルフリーデは、息子が刀を以て邪気を制する様を期待していただけに、当のアルベリッヒより残念がっていたという。


こうして、アルベリッヒは今日まで切塚の魔術には殆ど触れず、気を扱うことも無かったのだが、眼に視えない妖精・ザントマンのことを耳にした時、自分の中に流れる切塚の力を使うべきはまさに今だと、彼は名乗りを上げた。

これが今回アルベリッヒがザントマン捕獲に乗り出た経緯であり、彼の目論み通り――とはいかないが、ともあれ、ザントマンは無事捕獲出来た。


「何はともあれ……ついにやったぞ!! ハハハ、見たか妖精殺し共!! このアルベリッヒ・ヘクセベルク・かず…………アインスが、ザントマンを捕えてやったぞ!!」

「いえーい!!」


あの妖精殺しさえ忌避した妖精を、自らの手で捕らえることが出来た喜びが湧き上がり、アルベリッヒは春智の拍手を浴びながら、快哉と笑う。

これで化重も、ストレリチアに通う魔術師達も、家の者も、自分を認めざるを得ないだろう。
凄い、流石、やはりヘクセベルク次期当主様は違うなと、称賛の言葉を惜しみなく口にしながら、尊崇と羨望の眼差しを向けるに違いない。
想像しただけで頬が緩み、足取りも軽やかになってしまうなと、アルベリッヒは鼻歌を口遊みつつ、ストレリチアへの道を弾むように踏み締めた。が、彼の絶頂は、道に転がる空き缶によって、一瞬で突き崩された。


「「…………あ」」


見事な転倒。宙を舞う檻。全てがスローモーションに映る中、地面に転がった拍子に外れた扉が、内側から開かれ――静寂の中に、タッタッタという足音が響く。

眼に視えずとも、春智にも分かった。目覚めたザントマンが、檻から逃げ出したということが。


「ま、待てぇーーー!! ちょ……本当に、ま、待ってぇええええ!!」

「ア、アルさーん!! お、檻!! 檻持って行かないと……アルさーーん!!」


閑静な住宅街を騒がせながら、全力疾走すること十数分。何とかザントマンを再び檻に押し込むことに成功したアルベリッヒと春智は、葉っぱまみれの頭のままストレリチアへ帰還し、随分苦戦したようだなと顔を顰めた化重に、揃ってこう言った。

やはりザントマンは面倒な妖精だ、と。

prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -