妖精殺し | ナノ


「で、ザントマンなんですが、ちょうど近くに住んでる魔術師さんのラボに出てきて困っているとのことなので、其方を捕まえにいきましょう」


思えば、ザントマンを探す当ても無しに飛び出してきてしまったアルベリッヒは、今頃「あいつどうするつもりだったんだろうな」等と言いながらコーヒーを啜っているだろう化重達の姿を思い浮かべて顔を顰めつつも、春智の出した地図に従い、ザントマン捕獲の依頼を出した魔術師のラボへと向かった。


依頼人というのはジュリヲの得意先の一つで、何でも仕事場にザントマンが出ては業務を妨害してくるので困っているとのことで。議会に正式に捕獲依頼を出そうにも、予算の方が……と悩んでいたので、駄目元で化重に頼んでみよう、と話していたらしい。

そんな訳で、ジュリヲからアルベリッヒ達が向かう旨は先方に伝えられており、依頼人もザントマンを捕まえてくれるなら誰でもいいと二つ返事で許諾したらしい。

話に聞くだけでも随分と崖っぷちのようだが大丈夫なのかと、アルベリッヒは未だ見ぬ依頼人を憂いながら、春智の半歩後ろを歩いて行く。


「ザントマンが出てくる……ということは、生活習慣に問題があるのだろうな。あれは夜に眠らない人間を寝かしつけることに執着した妖精だ。夜更かし、寝不足をああも敵視しているのは、美容に五月蝿い女性かザントマンくらいだろう」

「面白いですよね。人間を寝かしつけることで何か得をする訳でもないのに、これをライフワークにしているなんて」

「一説には、ザントマンは睡眠という概念から生まれた妖精であるが故に、人を眠らせることに躍起になっているとも言われている。或いは、夜更かしをする子供を窘める為に作られた寓話の形を借りた妖精である……という説もあるが、何れにせよ、ザントマンは未だに謎が多い妖精で、我が母国にはザントマン専門の研究所まであるのだ」

「ふぉお、ザントマン専門の研究所」

「ザントマンの姿が視認出来るようにする実験や、魔法の砂の成分の解析と再現……あとはルゲイエとの違いなどの生態調査を主としていたな。子供の頃に一度訪れたきりだが、中々興味深い場所だった」

「いいなぁ。私も一度行ってみたいです、ザントマン研究所」

「そっ、それなら、その…………いつか、ぼ、ぼぼ、僕と…………」

「あっ! 見えました! あれですよ、アルさん。あのビルです!」

「………………」


何だかいい雰囲気になってきたところで、と心の中で舌打ちしつつ、目的地に眼を遣ったアルベリッヒは、依頼人のラボがあるという雑居ビルを前に一層顔を強張らせた。


「なんだこの……キキーモラが見たら発狂しそうな建物は…………」


率直に言えば、汚い。その一言に尽きた。

繁華街の外れに建つ、件のラボがあるというビルは、自己物件を絵に描いたような佇まいで、火事でもあったのか壁は煤け、其処に朽ちかけた蔓植物が絡み付き、脇には不法投棄された家電やら自転車が転がっている。近場にゴミ捨て場があるせいだろう。
それを目当てに群れているのか、あちこちでカラス達が、ギャーギャーと不穏な声で鳴き喚いている。

ジュリヲが操っていた屍霊は極端な例であるが、魔術師達の使い魔として利用されているカラス達は何れも大人しいもので、あれが元来あるべき姿とは分かっていても、唸ってしまう。
よく分からない生肉を突くカラス達を横目に、アルベリッヒは春智だけでも帰した方がいいのではと思案したのだが、当の春智が躊躇いなくビルの中に入ってしまったので諦めた。

正直、自分一人で此処に踏み込む勇気が無かったので、春智が臆していないのは、情けないことだが、アルベリッヒにとって有り難いことであった。


外見は荒れ果てていても、中の方は幾らか整えられているかも、という希望はビルに入ってすぐに打ち砕かれた。

ありとあらゆる電灯が沈黙しているのは、昼間だから、とか、節電の為とか、という理由ではないだろう。
一体何時から代えられていないのかと考えるのも憚られる程度に、廊下や階段の蛍光灯は悉く埃に塗れ、中には罅割れたまま放置されている物もあった。

異常に薄暗い階段も、掃除など年単位で行われていないのだろう。兎にも角にも埃っぽく、それでいて妙に生臭く、天井には蜘蛛の巣も見られる。
本当に人が行き来している場所なのかと、終始口元を覆いながら階段を上がり、ようやく見えてきた「闇路黒魔術商会」の看板を前に、アルベリッヒはまたも絶句した。

魔術業界に於いて、黒魔術を生業としている者など珍しくもないのだが、そのあまりに黒々とした名前と看板の廃れっぷりには顔が引き攣る。


――本当に大丈夫なのか、此処。


そんな不安を胸に、思い切ってドアを開いたアルベリッヒであったが、室内を見て二秒で悟った。やはり此処は、大丈夫ではないと。


「これは、何と言うか…………夜更かしとか寝不足とか、そういう問題ではないな…………」


この光景を一言で現すなら、死屍累々と言うのが相応しいだろう。

外観同様、暗澹としたオフィス内部には淀んだ空気が立ち込め、その中で数人の男達が何かに憑りつかれたようにパソコンに向き合ったり、デスクに俯せたり床の上に転がったりして沈黙している。

此処に居る人間達も、ネクロマンシーで操られているのではないかと疑いたくなるが、悲しいことに全員生きた人間であり、闇路黒魔術商会の社員である。


闇路黒魔術商会は、その名の通り、黒魔術を扱う子会社で、呪術や性魔術、蠱術などを請け負っている。
昨今は非魔術師でも扱える黒魔術アイテムの生産・販売に力を入れているそうで、ジュリヲの屍霊便が度々利用されているとのことだが、社員数に対し仕事の量が膨大の為、このような惨事が生まれているらしい。

社員達は何れも魔術師兼事務員兼営業担当と多くの業務を抱え、毎月厳しいノルマをこなす為、日夜身を粉にして働き――寝る間も惜しんで会社に缶詰になった結果、ザントマンが現れた。というのが、今回の依頼のあらましとのことだが、ザントマンでなくともこの光景を見たら総員寝かしつけてやりたくもなるだろう。

栄養ドリンクを啜りながら、虚ろな目で業務をこなす社員達を見て、アルベリッヒが額に手を宛がう中、春智は場違いなまでに明るい声で挨拶した。


「こんにちはー。ストレリチアから来ました、竜ヶ丘春智ですー」

「ああ……あんたらが…………」

「悪い……今、手が離せないから……適当に始めててくれ…………」


案の定、返ってきたのは擦れきった力無い声で、社員達は此方を一瞥することもないまま、各々の仕事へ戻っていく。

ザントマン捕獲に関して、完全に丸投げする心算――というか、丸投げするしかないらしい。
彼らの眼にはザントマンは視えないし、視えたところで追いかけ回している時間が無い。よって、放置、放任。
例えそれが自分達にとって重要な案件であろうと、最優先事項は仕事と言わんばかりの態度に、アルベリッヒは怒るより、呆れるより、哀れんだ。


「なんだこの、現代社会の闇の縮図のような職場は……ザントマンが聖者に思えるわ……」

「正直、捕まえない方が良い気がしてならないですね」

「それは困る……」

「あいつが出ると、最低でも五時間は眠っちまうんだ…………五時間あったら、どれだけ仕事が片付くか……」

「永眠したくないのであれば、今すぐ仕事を放棄して丸一日眠ることを推奨するぞ」


今すぐにでも全員家に戻って十分な睡眠を取れば、ザントマンも出なくなるし、仕事の効率も上がるだろうに。それでも働かなければという強迫観念に駆られ、キーボードを叩き続ける社員達に、アルベリッヒは深い溜め息を吐く。


「一体、何がどうなったら此処まで劣悪な労働環境が出来るのか……魔術師労働組合は何をしているのか」

「黒魔術だけに超絶ブラックですね……ああ、我ながら全く笑えないことを……」


余談だが、この闇路黒魔術商会の従業員達は揃いも揃って元魔術犯罪者であり、此処は刑務作業所兼社会復帰支援所として設けられている。
彼らの犯した罪は限りなく軽いものではあるが、それ故、彼らは魔術議会の定めた法を破った罰として、此処に収監された。

斯くして彼らは、此処の社長兼看守である魔術師・闇路冴子(やみじ・さえこ)管轄の元、馬車馬の如く働かされているのだが、至極当然、社員達を突き動かしているのは罪の意識でも、仕事への熱意でもなく、闇路冴子への恐怖心である。

現在彼女は、最上階にある自宅で十二時間ばかし睡眠を取っているが、これを機に仮眠を取ろうだとか反旗を翻そうだとか、ましてや、此処から逃げ出そうだとか思う者はこの中には一人としていない。そんなことをすればどうなるか、骨の髄まで刻み込まれているからだ。


そんな背景事情を知る由もなく、アルベリッヒはただひたすらに悲壮感漂う社員達を憐れんでいたのだが、同情していたところでどうにもならないし、依頼は依頼だと割り切って、ザントマン捕獲に乗り出すことにした。


「と、とにかく、頼まれたからにはザントマンの捕獲に臨むとしよう。今はまだ陽が出ているから……これを使うか」


そう言ってアルベリッヒがトートバックから取り出したのは、化重が春智に持たせた、カンテラのような魔術道具であった。

アルベリッヒと春智。二人だけで向かうことを考え、対ザントマンに有効的且つ、魔力を流すだけで使えるタイプの魔術道具だけを用意したのだろう。


――気が利くではないか、感謝してやらないこともないぞ。


今頃、昼寝でもしているのだろう化重を労ってやりつつ、アルベリッヒはザントマン捕獲の準備を進める。


「諸君、少し部屋を暗くするが構わないか?」

「ああ……パソコンが使える状態なら何でも……」

「暗い中でキーボード打つのには慣れてるしな……」

「貴様ら、己が狂っているという自覚はあるか? ……まぁ、よい。では、上の部屋を暫し使わせてもらおうぞ。行こう、春智さん」

「あ、はい!」

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