妖精殺し | ナノ


――ザントマンとは、ドイツ発祥の妖精であり、睡魔である。

砂男を意味するその名の通り、彼らは砂の入った袋を背負っており、その砂には眠気を誘う魔法が掛かっている。
ザントマンは夜更けに現れては、この砂を眠らない人間の眼の中に放り投げ、時に目蓋の上に腰掛けてまで、人々を眠りの世界へ誘うという。


幻想生物図鑑の挿絵にも、愛犬を遺灰を撒いて花を咲かせる老人よろしく、袋の中の砂を掴んではばら撒き、掴んではばら撒くザントマンの姿が描かれている。
どうやら、蛾ヶ条はユニコーン捕獲の御礼をダシに、この妖精の捕獲を依頼するのが狙いだったらしい。

其処までは理解出来たものの、蛾ヶ条並びにジュリヲが揃って、然程珍しくもない妖精であるザントマンを欲しがる理由が分かないと、春智とアルベリッヒは首を傾げた。


「しかし何故、ザントマンを」

「こいつらの狙いは、ザントマンの持つ魔法の砂だ。あれは薬にも使えるし、使い魔に持たせてばら撒く……なんて使い道もある。まぁつまり、こいつらにとって何かと入り用のアイテムっつーことだ」

「成る程」


ザントマンの砂が齎す睡眠効果は絶大で、一般人であれば体に触れただけで熟睡し、魔力に耐性のある魔術師でも、眼に入れば眠気でまともに思考することさえ侭ならなくなり、幻想生物でさえ眠りに陥るという。

睡眠薬として利用するも良し、護身用に携帯するも良し、人払いに使うも良し、幻想生物の捕獲や鎮圧に使うも良し。ザントマンの砂は汎用性が高く、需要のあるアイテムなのだが、これが中々市場に出回らないのだ。

ザントマン自体は珍しい妖精ではないし、ユニコーンのように獰猛でもないのだが、これがまた面倒な相手なのだと、化重の顰め面がその捕獲難易度を物語っている。


「俺は行かねぇぞ。ザントマンの捕獲なんて面倒くせぇ」

「其処を何とか、お願いしますよ〜。其方にも幾らかお裾分けさせていただきますからぁ〜」

「断る」

「化重さぁ〜ん」

「ザントマンの捕獲って、そんなに大変なんですか?」

「ザントマンは姿が視えない妖精でね。一部のセカンド・サイトや、魔眼持ちの人間はザントマンの存在そのものを感知して視ることが出来るが、普通に視ることはまず不可能だ。これは、ザントマンに眠りを司る妖精としての補正が働いている為で……ほら、眠る時というのは、眼を閉じているものだろう? 目蓋を下ろした状態では何も視ることが出来ない。よって、眠りの妖精であるザントマンの姿は視認出来ない。これがザントマンのプロテクターとして作用している訳だ」

「んん……なんだかパラドックスみたいですね。ザントマンのパラドックス……ああ、すごく哲学っぽい」

「何とかのパラドックスって付ければ何でもそれっぽくなるだろ」


誰もが眼を閉じて寝ている訳ではないし、そもそも眠ってもいないのに眼を閉じているということになること自体が奇妙な話だが、そういう理屈が通じないのが幻想生物である。

起きていようと、どれだけ眼を見開いていようと、眠りという概念によって守られているザントマンは視えない。
彼の姿を捉えることが出来るのは、第二の視覚とでも呼ぶべき感覚や、特異な眼を持つ者のみで、幻想生物図鑑の挿絵でさえ、これらの眼を持つ者から聞いた情報を元に描かれたと言われている。

よしんば、そんな妖精を感知出来たとして、それを捕まえるとなると骨が折れるだろう。駆除するのであれば、辺り一面焼き払えば事済むが、生け捕りにするとなれば難易度は格段に上がる。化重が面倒臭がるのも納得がいく相手だ。


「昔、叶がザントマンの捕獲依頼を受けた時は大変だったなぁ。ある意味一番手こずらされていたから、苦手意識があるんだろうね」

「勾軒さん」

「おっと、失敬」

「とにかく俺はやらない。分かったら、とっとと帰れ。お前の使い魔焼き鳥にしてデリバリーするぞ」

「そんなぁ」


いつも以上に腰が重い様子の化重は、まさに山の如し。こうなったら魔術議会から直々に依頼が来るまで、梃子でも動かせないだろう。
残念極まりないとカラスを項垂れさせてはいるが、ジュリヲも元より、こうなる予感はしていたようで、その声は心底悲嘆している様子ではない。

受けてもらえたらラッキー。恐らく蛾ヶ条も、それくらいの気持ちでいたのだろう。どうしてもというのなら、彼女が直々に来て、化重がイエスと言うまで居座っていた筈だ。

とはいえ、ザントマンの砂に困っているのも事実。そろそろ買い置きも尽きる頃合いだ。オーレ・レグイエのミルクで妥協すべきかと、ジュリヲが諦めかけた、その時。


「ふっふっふ……はーっはっはっはっはっはっは!!」


朗々と響く高笑い。この時を待ち侘びていた、とでも言わんばかりのその声の主に、一同は揃って何事かと眼を向けた。


「ついに、ついに僕の出番が来たようだな!!」

「アルさん?」

「どうした一男。変なモンでも食ったか」

「やかましい! たかがザントマン如きに手を拱いている愚かな妖精殺しに代わって、この僕がその依頼を引き受けてやろうと言っているんだ!」

「えっ、アルさんが、ですか?!」


未だかつてなく自信に満ちた顔で、これでもかと胸を張ってはいるが、アルベッヒは至極当然、セカンド・サイトや魔眼を有してはいない。

魔力感知に優れているということも無いし、音や匂いで視覚を補完出来る訳でも無い。
おまけに、彼が唯一得意としている魅了も、ザントマンには通じない。ザントマンはオスしか存在しない為、異性を惹きつける魅了は役に立たないのだ。

それでどうやってザントマンを捕まえるというのかと、化重とジュリヲは何か可哀想なものを見るような眼でアルベリッヒを宥める。


「正気かお前」

「お気持ちは嬉しいんですが、ヘクセベルクのお坊ちゃんに何かあると家がプチッと潰されかねないので……」

「ええい!! 貴様ら揃いも揃って見くびりよって!! こうなったら、意地でもザントマンを捕らえてきてやる!! 首を念入りに洗って待っているがいい!!」


憐憫の眼差しを向けられたことで、火に油を注がれたらしい。アルベリッヒは、ザントマンを捕まえるまでは家にも戻らないと言わんばかりの勢いで店を飛び出――そうとして、一度椅子にぶつかって転びかけながらも、足を止めることなく、ザントマン捕獲へと向った。

ザントマンが何処にいるのか、如何にして探し出すのか。その目途さえ立っていないだろうに。

来店ベルの残響が嫌に響く程度に静まり返った店内に取り残された一同は、アルベリッヒは一体どうするつもりなのかと、互いに顔を見合わせた。


「……なんでアイツ、今日は何時になく自信満々なんだ?」

「さぁ…………で、放っておいていいんっすか?」

「ザントマンは面倒臭いが、人に危害を加える妖精じゃないからな。諦めて帰ってくるまで待っていてもいいだろう」

「ひでぇ」




斯くして、一人でザントマンの探索・捕獲に臨むことになったアルベリッヒは、道路に八つ当たりするような足取りで歩いていた。


「まったく、どいつもこいつも……この僕を一体誰だと心得ているのだ」


日頃の行いのせいだろう、と言っても、今の彼に聞く耳は無い。

名門ヘクセベルクに生まれながら、魔術のセンスも才能も持たず、唯一まともに使える魅了でさえ、一族の中では下の下。そんな彼が一人でザントマンの捕獲をするなど無謀の極み。化重達が止めておけと制止してきたのも当然のことだが、アルベリッヒとて無策ではない。

今の自分に出来ることを弁えた上で、我こそが適任であると名乗りを上げたのだ。
それを、その心はと尋ねるでもなく棄却するとは、不敬にも程があると、アルベリッヒが憤りながら足を進めていた時だった。


「アルさーん!」


聞き慣れた声に心臓を射抜かれたような感覚を覚えながら、慌てて振り向くと、後方から春智が駆け寄って来た。

自分を追ってきてくれたのか。それにしては、幾らかタイムラグがあったような。あとついでにやたら荷物が多いような、と思いながらも、彼女が来てくれた喜びに胸を躍らせながら、アルベリッヒは軽く息を切らす春智を見遣る。


「は……春智さん、どうして此処に」

「ザントマンがどんな妖精か、視えなくても見てみたいと思って。という訳で、竜ヶ丘春智! 今日一日、アルさんの助手として、お手伝いさせてもらいます!」

「ムー!」


アルベリッヒを一人で行かせるのが心配だった、というのもあるが、何より春智を動かしたのは視えない妖精という好奇心であった。

例え眼には視えずとも、現地に赴けば、其処にはザントマンがいるという事象がある。それを見ることを目的にアルベリッヒを追ってきた春智は、当たり前のようについてきたムーの頭を軽く撫でると、思い出したように肩にかけて来たトートバッグを手渡した。


「あ、そうだ。アルさん、これ」

「これは」

「ザントマン探索のお役立ちアイテムセット、だそうです。化重さん達が持たせてくれました」


バッグの中身は、魔力試験紙とイグニス・ファトゥスの召喚札、簡易結界用のタリスマン、折り畳み式の檻、対魔法の砂用のゴーグル、魔力補強用のピクシー茶が入った水筒など、手厚いラインナップが詰められていた。

備えあれば憂いなしというが、この場合、憂慮する事態が多いので、手当り次第に詰め込んだ、というべきだろう。だがアルベリッヒは、この施しを期待の現れとして受け取った。


「ふむ……中々気が利くではないか、妖精殺しめ。ふふ、なんだかんだ言いながら、この僕に期待しているということだな! いいだろう!!」


実の所、アルベリッヒがザントマンを捕まえられようがられまいが、化重にとってはどうでもよかった。
断りを入れた以上、自分に関わりのない案件であるし、アルベリッヒがザントマンを捕まえられずに戻って来ても、まぁそうだろうなで済ませられる話だからだ。

春智がザントマンを見たい、アルベリッヒを手伝いたいと言わなければ、こうして道具一式揃えてやることもしなかっただろう。

そうとは露知らず、すっかりその気になったアルベリッヒは、これで向かう所敵無しと言わんばかりの勢いで呵々大笑と声を上げた。


「待っていろ、ザントマン! アルベリッヒ・ヘクセベルク・アインス、推して参る!! ハーッハッハッハッハッハッハ!!」

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