妖精殺し | ナノ


流石に、パンと牛乳塗れのままにしておくのは如何なものかと思ったのか。檻の隙間から綿棒を挿し込み、ルンペルシュティルツヒェンの顔を掃除してやる化重の手元を覗き込みながら、春智は、この妖精の今後の処遇について尋ねた。


「どうするんですか。その……妖怪がたごと柱さん」


自分がパンと牛乳を分けて持って来ていれば、ルンペルシュティルツヒェンが暴れることもなかったし、彼が捕えられることもなかった。そんなことを考えているのだろう。春智の眼は知的好奇心ではなく、罪悪感が満ちている。

こんな所に住み着いて、騒ぎを起こしたのだ。とっ捕まっても文句は言えまい。そう割り切ればいいものを、春智は眼に見えて気落ちしている。


化重は、些か乱暴に顔を拭われてもピクリともしないルンペルシュティルツヒェンに視線を向けたまま、彼女の問いに答えてやることにした。


黙っていても、慰めになりやしない。であれば、ありのまま伝えてやるのが至当だろうと、化重は捕えたルンペルシュティルツヒェンの用途について語る。


「売る。ルンペルシュティルツヒェンは藁を金に変えたり、石くれから鉱石を作る魔術が使える。後は家事手伝いとか、何かと便利だから使い魔として需要がある」

「……そうですか」


ルンペルシュティルツヒェンを生かしていようがいまいが、春智は同じような反応をしていただろう。結果がどうであれ、引き鉄を引いてしまったのは彼女なのだ。その罪責に変わりはない。例えそれが、誰に咎められるようなものではないとしても、春智自身が己を責めずにはいられなかった。

そうして頭を垂れるように俯いた春智の姿を見ていると、遠い日の記憶が脳裏を過ってくる。

些細なミスから、生き物の運命を歪めてしまった自責に押し潰されそうな子供。その丸まった背中や、しょぼくれた顔が重なって、どうにも据わりが悪いと、暫し何も言わずにルンペルシュティルツヒェンの顔掃除を続けていた化重は綿棒を置き、その手を春智の頭へと伸ばした。


「……終わったことを気にするな」


それはかつて、彼が師に掛けられた言葉だ。


酷く幼く、未熟であった頃。不注意から幻想生物を暴走させ、止む無く殺処分へ至った時。酷く落ち込み、膝を抱えていた自分に、師が掛けた言葉。

数十年経った今でも忘れられずにいるその言葉を一字一句辿りながら、化重は春智の頭を撫でる。


「後悔するくらいなら、反省しろ。反省して、学習して、次に活かせ。その為のラボと、師匠だろうが」

「あ……化重さぁああん」


師のそれとは違い、随分ぶっきらぼうな慰め方になったが、それでも春智の胸には響いたらしい。ぶわわっと涙を溢れさせながら、感極まった春智が勢いで腕の中へ飛び込もうとしてきたが、化重はすかさず彼女を引き剥がした。


「寄るな。鼻水が付く」

「ぶぇえ、飴と鞭の切り替えが早い」

「いいから、片付け再開すんぞ。ルンペルシュティルツヒェンのせいで、また散らかった」


そう言って春智から背を向けたところで、化重は理解した。
否、本当はずっと前から分かっていたのだ。

疎ましいと思いながら、鬱陶しいと思いながら、それでも付き合ってやっているのは、春智がかつての自分と似ているからだ、と。化重は古傷を隠すように首筋に手を被せ、廊下に置いた工具を取りに向かった。




「おぉー、見事なもんじゃないか」


どっぷりと陽が暮れ、窓から西日が射し込む頃。両手に土産袋を持って帰って来た勾軒が、様変わりした物置部屋改め春智のラボを見て感嘆した。


取り敢えずは、最低限必要な物だけ入れておこうと、ラボには棚と机、化重のお古の基礎魔術用道具、春智が買ってきた小物類が置かれた。

些か簡素ではあるが、あのごたごたとした物置がこうも小ざっぱりとしたのだと思えば、称賛に価する光景だ。勾軒は顎を撫でながら、いや大したものだと春智のラボを見回す。


「このデスクは、叶のお手製かい?」

「はい! 化重さんが古い棚とか板とか使って作ってくれたんです!」


棚類は元から部屋あった物を使っているが、机は用意が無かった為、化重が使えそうな物を適当に見繕って作った。

殆ど使っていなかったキャビネットに、何の為に取っておいたのかも分からぬ板を乗せ、釘で留めた程度の物だが、春智は非常に気に入ったらしい。ついでに作った椅子に座って机に俯せ、表面を擦りながら破顔している。その頭の上に、毛むくじゃらのプシュケーが乗っている様に眼を細めると、勾軒は、背凭れと向き合うようにして椅子に腰掛ける化重に、厭味な程に茶目っ気たっぷりのウインクを飛ばした。


「良かったじゃないか、叶。あんなに喜んでもらえて」

「良いもんか。今日一日、殆ど寝ないで荷物運び出して、日曜大工して……おまけにルンペルシュティルツヒェンの相手までしたんだ。お陰で疲れた」

「ルンペルシュティルツヒェンが出たか。ははは、此処も随分放置していたから、怠け者と思われてしまったようだな」


これに懲りたら掃除を怠るなと言いたいのだろうが、そもそも誰のせいでこんな面倒なことになったんだと眉を顰めつつも、そんなことより眠気の限界だと、化重は腰を上げ、重々しい足取りで歩き出した。


「俺はもう寝る。起きてくるまで起こさないでくれ」

「いいとも。急な依頼が来ない限りはな」

「あっ、化重さん! 今日は本当に、ありがとうございました!」


慌てて愛しの机から飛び上がり、丁寧にお辞儀してきた春智に向け、ひらひらと適当に手を振ると、化重は自室へと消えて行った。


昨日の睡眠時間に加え、今日の働きようを考慮するに、明日のこの時間までは起きて来ないだろう。
もう今頃は布団に潜って、寝息を立て始めているに違いないと勾軒が苦笑している横で、春智は化重が座っていた椅子を机の傍へ運んだ。


この椅子は、化重用の物だ。魔術を教えてもらう間、彼を立ちっぱなしにさせる訳にはいかないので、絶対に必要だと言って、ついでに作ってもらった。

だから、所定の位置は此処なのだと、椅子と椅子とを並べたところで、春智は今日一日のことを思い返し、呟いた。


「化重さんって、優しい人ですね」

「ははは。お嬢さんにそう言ってもらえるなら、叶も頑張った甲斐があるというものだな」


乗り気でもない大掃除に最後まで付き合ってくれて、此方から何か尋ねれば凡そ律義に答えてくれて、ルンペルシュティルツヒェンのことで落ち込めば励ましてくれて、必要だろうと机や椅子を作ってくれて――感謝してもしきれないと、再び机に突っ伏す春智。

既視感を覚えるその姿に目元の皺を深くしたところで、勾軒はふと、土産の入った手提げ袋の存在を思い出した。


「そうだ。お嬢さん、これを。私から、お嬢さんの魔術師デビューのお祝い品だ」


そう言って勾軒が差し出したのは、臙脂色のカバーに覆われた分厚い本だった。

表紙に書かれた文字が何を意味しているのかさっぱり分からなかった為、何の本だろうかと首を傾げた春智であったが、ページを捲ってすぐに、彼女は眼を輝かせた。


「勾軒さん、これ!」

「ああ。これは魔術師業界で使われている幻想生物図鑑だ」


魔術文字で書き綴られた文面と、一階の壁掛け絵画同様、活き活きと動き回る挿絵。

それらは羽撃くピクシーや、パイプを吹かすルンペルシュティルツヒェン、未だ見た事のないもの達の生態を記し、まるで生きた彼等を本の中に閉じ込めているかのようだと、春智は昂揚した。


「叶と一緒にいる内に、様々な幻想生物に出会うだろう。気になるものがいたら、調べてみなさい」

「はい! ありがとうございます! 勾軒さん!」


魔術文字のまの字も知らない彼女には、此処に何が書いてあるのかは未だ分からない。だからこそ、胸が逸った。


これから化重の弟子として、魔術を学ぶことで、自分はこの本を読み解き、閉じ込められた幻想に触れることが出来る。それはきっと、世界で一番素敵な経験になるだろうと、春智が歓喜する声は、ラボの外、廊下、扉を越えて、化重の耳にまで届いた。


「…………はしゃぎ過ぎだ、あの野郎」


言葉ではそう毒づきながら、口の端が僅かに上がっていることに、彼は気が付いていない。

先にこの部屋に入って休息を取っていたアモンが、主がこれを見たのなら、さぞ楽しそうに笑うのだろうなと小さく鳴く声が響く中。布団を被り直した化重は、取り敢えず魔術文字から教えていこうかと、弟子の教育方針を定めながら、眠りに就いていくのであった。


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