妖精殺し | ナノ


「取り敢えず、片付いたには片付いたな」


化重に注意されてからは、プシュケー改めムーに構うことなく掃除に集中し、その甲斐あって、存外早く物置部屋はあるべき姿を取り戻した。


埃で曇った窓も磨き、掃除機をかけてから雑巾かけした床もピカピカ。化重の荷物は殆ど運び出され、後に残されたのは空になった棚や、使えそうな木箱くらい。
片付きはしたが、同時に殺風景にもなった。だが、ラボとして使われていく内に自然と物は増えていくだろう。

勾軒も言っていたが、魔術師は何かと物入りだ。必要な物だけ集めていても、気付けば部屋が溢れ返っているという事態になるのが常。この部屋が、がらんどうになっているのもきっと今だけだろうと、化重は春智からの差し入れ――水筒に入れて持ってきた麦茶――を飲みながら、一息吐いた。


「後は机でもあれば十分か。他に必要なモンがあったら自分で……いや、勾軒さんに言って工面してもらえ。ネット通販とか使われたら堪ったもんじゃねぇ」

「……あっ。もしかして、っていうかやっぱり此処って」


この時、春智の脳裏を過ったのは、勾軒の言葉だ。


――此処を店として認識出来た時点で、お嬢さんにはその資格がある。


そう言われた時から、もしやと思っていたのだが、化重に言われたことで確信が持てた。喫茶ストレリチアは、魔力を持たない者には認識出来ないのではないかという予感に。


「お察しの通り、この建物は一般人の眼には見えるが、意識されることがないよう魔術が施されている。景色の一部、路傍の草、擦れ違う他人の顔……魔力を持たない人間には、その程度にしか映らない」


表向きは、何処にでもある喫茶店。それ自体が、一種の魔術迷彩であった。

通りを行き交う人々は、ストレリチアを眼にはしている。だが、彼等は皆一様に、ああ喫茶店があるな程度にしか感じず、其処に疑問を抱かない。当たり前過ぎて、気に掛けることがないのだ。

その無意識的無関心を更に増長させ、人々の意識からストレリチアの存在を外すのが、この店にかけられた魔術である。

立ち寄ったことがないから入ってみようとか、せっかくだからお茶していこうとか、そんな気分に陥る以前に、この店の存在が意識の内側に入らない。興味の対象にならない。そういう術に護られているが故に、ストレリチアは人目に触れながら、その実態を暴かれることなく、魔術師ギルドとして回っている。


故に、ネット通販などしようものならば、運送業者が何度も何度も住所を確認しながら、延々とこの近辺を彷徨うこか、最悪、隣に荷物を届けることになるだろう。かといって、わざわざストレリチアに掛けられた魔術を解く訳にもいかない。たかが通販の為に、魔術師の存在を世に曝すリスクを背負う等、馬鹿げている。

だから化重は、此処に家具など大きな物を運び入れたいのであれば、まずは勾軒に声を掛けろと言ったのだが、この時、春智の関心はインテリアから外れていた。


「じゃあ郵便とかも来ないんですか?」

「使い魔便か、転送魔法便で来る」

「もしかしてフクロウですか?! フクロウが手紙持って来るんですか?!」

「……お前、アモンを前によくもまぁまだフクロウに夢を抱いていられるな」


後ろでどっしりと構えながら、春智からもらった麦茶を飲んでいるアモンを横目に、化重は低く息を吐いた。


実際、フクロウ姿のアモンを使って手紙や荷物のやり取りをしているのだが、この姿を見た後では、夢のある光景だとは思えまい。

つくづく変な子供だ。だが、話していて然程苦になっていないのも事実。だから部屋がこうも綺麗に片付くまで付き合ってしまっているのだろうが、と化重がそろそろ一服入れようかと自室に向かおうとした時だった。


「……化重さん、今の」


バタンと耳を衝いた物音に合わせて眼を向けると、積み重ねられていた本の山が其処にあった。化重が、春智の魔術修行に使えるかもしれないと思い、運び出さずに置いておいた物だ。
物音の正体は、その一番上に乗せていた本が床に落ちた音で間違いだろう。だが、化重も春智も、疑問を抱かずにはいられなかった。

本は別段、不安定な置き方をしてはいなかった。それが、上の一冊だけ落ちているというのもおかしかったし、何より落下した位置が不自然極まりなかった。件の一冊は、本の山から一メートル程離れた場所に落ちているのだ。

化重と春智は互いに顔を見合わせ、これが見間違い・聞き間違い、気のせいの類ではないことを確認した。


「……今、動きましたよね。あそこの本」

「……動いたな」


どう見ても、何かが人為的に本を落したとしか思えない。だが、化重も春智も本から数メートルは離れているし、アモンも二人の背後で棒立ちしている。

ならば誰が、と思った瞬間。本の山の近くに置いていた掃除機が、これまた不自然に滑り始めた。床の傾きなどではない。明らかに、何かの力が働いている。

一体、何が起きているのかと、春智は化重の服の袖を掴みながら、眼前の怪奇現象に声を弾ませた。


「見てください!! また動きましたよ!! 今度はあっちの――」

「……しっ」


ギャーギャー喚かれないだけマシだが、興奮されても困ると、化重は人差し指で春智の唇に戸を立てた。

其処でピタリと順応し、すぐさまクールダウンした春智が、ゆっくりと袖から手を離す中。化重は辺りに眼を配らせながら、静かな声で状況を説く。


「騒ぐな。奴等、人間が慌てふためいてる様が大好物だ。大声出すと、更に調子に乗って暴れ出すぞ」

「奴等って……」


やはり何かいるのかと、化重と共に視線を動かしていると、やがて眼があるものを捉えた。


それは、ピクシーと同じ大きさ程の小人――否、小鬼と称するのが相応しいだろう。
土気色の肌、針金のような髪、大きな尖った耳と鷲鼻、ぎょろりとした目玉に、三頭身程のバランスの悪い体躯。ピクシーと比べるとあまりにも醜い、その小鬼は、カーテンレールの上に座って小さなパイプを吹かしている。

どうやらあれが、本や掃除機を動かした犯人のようだが。


「化重さん、あれは」

「……ルンペルシュティルツヒェンだ」

「ル、ルンペ…………?」

「ルンペルシュティルツヒェン。覚えられなきゃ、妖怪がたごと柱とでも呼べ」


ルンペルシュティルツヒェンとは、妖精コボルトの一種だ。その名前は、ガタゴト鳴る柱から由来し、ランペルスティルスキンとも呼ばれている。

柱を鳴らしたり板を叩いたりして物音を立て、人間を驚かすことを好む悪戯好きの小鬼。それがどうやら、長らく閉ざされていたこの物置に住み着いていたらしい。久し振りに人間が入ってきたので、脅かしてやろうと思ったのか。ルンペルシュティルツヒェンは愉しそうに物を動かして笑っている。


「あれはポルターガイストを得意とする妖精だ。今は物音を立てる程度で喜んでるが、その内、でかいもんを動かす。その前に、此処から追い出す」


また面倒な妖精が出てきたものだ。ネズミの方がまだマシだったと眉を顰めながら、化重は取り出しかけた煙草をポケットに捻じ込んだ。


「おい弟子」

「は、はいっ」

「……しーっ」

「……すみません」


ルンペルシュティルツヒェンを覚えようとしていたところに、ゆくりなく弟子と呼ばれたのも相俟って、思わず声がスタッカートを刻んだ。

幸い、ルンペルシュティルツヒェンは未だ、床に置きっ放しにされていた瓶を転がす程度で戯れている。それでも安堵出来る状況ではないので、春智がおずおずと頭を下げると、化重は囁くような声量で指示を出した。


「下に行って、牛乳とパン取って来い。量は適当でいい」

「牛乳とパンって」

「いいから取って来い。早くしねぇと、お前のラボ建設が見送りになるぞ」


このまま放置していても、ルンペルシュティルツヒェンは手持無沙汰に部屋を荒らし続けるだけだ。彼に大人しく立ち去ってもらう為にも、早く言われた通りにしてこいと化重に追いやられた春智は、足音を立てないようにしながらも素早く、一階に降り、カウンターの向こうに聳える戸棚と冷蔵庫から、指示された品を探した。


「牛乳とパン……牛乳とパン……」


人様の家のキッチンを漁ることに些か抵抗はあるが、緊急事態だし、化重の指示なので致し方ない。
そう自分に言い聞かせながら、一番日付の古い牛乳と、スライスされたカンパーニュを取り出した春智は、このまま持っていいものかと暫し自己問答した。

化重が何の為に牛乳とパンを使うのかは分からないが、丸ごと使うということはないだろう。適当な量でいいと言っていたし、皿に入れていくのがベターか。


もし化重が此処にいたのなら、そんなことで悩んでいる場合かと言われただろうが、春智は真剣であった。真剣であるが故に迷い、その末に春智は食器棚から一枚、皿を拝借することにした。


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