妖精殺し | ナノ


掃除の準備中に聞いた話によると、二階は件の物置以外には客間と化重の自室とラボ、後はトイレと浴室があるという。

てっきり、此処は勾軒の自宅だと思っていた春智だが、勾軒はストレリチアから程近くにあるマンションに住んでいるらしい。かつては彼も二階に住んでいて、物置は勾軒の部屋だったそうだが、その辺りの事情はやはり適当に濁された。


ともあれ、現在二階は殆ど化重が使っている状態で、故にあまり手入れが行き届いていないという。

物置に関しても、元々は空き部屋だった所に、化重があれやこれやと適当に放り込んでいくうちに物置になってしまったとのことで、春智はついでに化重の部屋も掃除してはどうかと提案してみたが、丁重にお断りされた。

其処まで深刻なレベルで散らかってはいないし、そんな時間があったら寝る。
そう言って、水の入ったバケツを持って行った化重が物置部屋のドアを開けたところで、春智は目元を皺くちゃにさせた。


「うわぁ、埃っぽい」

「悪かったな」


長らく窓さえ開けられていなかったのだろう。扉が開くと共に、埃とカビの匂いに出迎えられ、春智はマスクを持って来てよかったと自分の準備の良さに感謝した。


室内は雑然としていて、如何にも適当に放り込まれましたという雰囲気のダンボールやら木箱やらが犇いている。それらの上には埃が積もり、蜘蛛の巣が張られている所も幾つか見受けられる。

古びた棚の中には、風化したラベルのついた瓶や、所々錆びた缶といった細々とした物や、本や羊皮紙の束などがしまわれている。あの辺りの分別もしなければならないと思うと辟易とするが、いつかしなければならない作業だ。惰性のツケが回ってきたと思い、腹を括ってやるしかあるまいと、化重は春智から貰った軍手をはめて、なけなしの気合いを入れた。


「取り敢えず、俺とアモンで荷物を運び出す。お前は床掃いたり埃取ったりしてろ」

「はーい」


こうして、傍目から見なくとも世にも奇妙な面々による大掃除が始まった。化重とアモンは、大きな荷物を廊下に運び出し、春智は天井から埃や蜘蛛の巣取りと役割を分担したところで、各々の作業に入る。

物語の魔法使いのように、荷物や箒に魔法をかけてちょちょいのちょい、とはいかないらしい。だが、一から自分達の手でやり遂げるというのも大事なことだと、春智は百円均一で買ってきた埃取りとはたきの二刀流で、上から下へと掃除していく。

閉めっぱなしのカーテンは随分汚れていたので、捨ててしまおうということになり、室内は開け放たれた窓から射し込む陽の光に照らされ、舞い散る塵がチラチラと輝く。


――まるでピクシーの鱗粉のよう、と言ったら、ピクシーに失礼か。


そんなことを考えながら、棚の埃を取ろうとしたところで、春智の眼にあるものが映り込んだ。


「わ、此処にもいるんだ」

「ミュー」


か細い声で一声上げたそれは、白く輝く体毛に覆われた虫のような何かである。

家や学校などで幾度となく見て来た、この小さきもの。これもまた、魔術師の世界では何かしらの呼称を有しているのか。
掃除の途中だが、一度気になるとそればかり考えてしまう。ならば、早々に疑問を解決するに限ると、春智は親指程度の大きさしかない謎の幻想生物を優しく手の平に乗せ、荷物の仕分けに勤しむ化重を尋ねた。


「化重さん、これ! これ、見てください! あーだーしーげーさーん!」

「…………」


そんなに面白いものなど、あの部屋にはあるまい。そう言って流そうとした化重であったが、答えてくれるまで掃除に戻りませんと言わんばかりに食い付いてくる春智に、やがて折れた。
薄々勘付いてはいたが、この少女、恐らく限りなく勾軒に近い人種だ。尤も、彼のように計算尽くではなく、春智の場合は全て素。天然そのもの。

だからこそ厄介だと化重が嫌々振り返ったところで、春智は矮小な幻想生物を乗せた手をずずいっと差し出す。


「何て言う生き物ですか、この子」

「……そいつはプシュケーだ」

「プシュケー?」

「生まれたての自然霊。未だ何物でもない、何物かも判別出来ない矮小な幻想生物の総称だ」


幻想生物は、生まれながらに完成されたものもいれば、長い年月をかけて進化を遂げるものもいる。プシュケーは後者の最初期の形とも言える存在で、喩うなら、嬰児や幼虫のようなものだ。

彼等は長い長い月日を経て成体へ至り、そこで初めて幻想生物としての名称やカテゴリーを得る。故に、それが何の幼体であるか知る術は無く。判別も非常に困難である為、魔術師達は”幻想生物ではあるが何であるかは分からない小さなもの”を総じてプシュケーと呼んでいるのだ。


「へー……プシュケーかぁ」

「ミュー」


手の平の上で大人しくしているこの毛むくじゃらも、今日まで自分が視てきたもの達も、いつか立派な幻想生物に至るのか。

何になるのか、この姿から考えてみたところでさっぱりだが、実に夢のある話だと、春智は微笑みながらプシュケーを肩に乗せた。


「飼うつもりか」

「はい。観察目的で飼育したく思う所存でございます」


無駄に畏まったのは、許しを得る為か。恭しく物申す春智に、化重は口をへの字に歪めた。

愛玩目的であれば、すぐさまプシュケーを摘まみ上げ、窓の外にでも放り投げてやる心算であったが、観察と言われると微妙な心境だ。


言われて見れば、このみょうちくりんな毛むくじゃらを可愛いからという理由で飼うことは、そうそう無いだろう。もっと他に愛くるしいプシュケーは山程いる。わざわざこれを選ぶ必要性もない。

となると、春智は本気でこのプシュケーが対する知的好奇から飼育を決めた訳で。動機が研究・勉学と言われては、文句のつけようがないと、化重は少し困った。


「未だ何物でもない、何物かも判別出来ないってことは、いつか分かる時が来るってことですよね。だから、その時が来るまで見ていたいんです。私が生きてる内には何も変わらないかもしれませんけど」


化重としては、あまり魔術師の世界に春智を深入りさせたくはなかった。彼女が此方側に傾倒すればするだけ、自分が苦労させられるのが眼に見えているからだ。

だから、何か理由をつけて彼女を此処から引き剥がせやしないかと、その機会を窺っていた化重であったが、春智は常に彼の想像の斜め上を行ってくれる。本当に、厄介な相手だ。こういう手合いは、何を言っても此方が疲れるだけだろうと、化重は早々に見切りを付け、春智から顔を逸らした。


「…………好きにしろ。何があっても俺は知らんぞ」

「はい! ありがとうございます!」


斯くして、プシュケーの飼育許可を得た春智は、肩に乗せたそれの頭を人差し指の先でわしゃわしゃと撫でながら、小屋として使えそうな箱は無いかと辺りを見渡し、やがて適当な木箱の中を見付けた。

底に掃除用にと持って来た古いタオルを敷き、その上にそっとプシュケーを乗せる。幸いにも、古タオルはアイボリーカラーだったので、白いプシュケーが同化することは無く、巣箱の中で丸くなる様がしかと観察出来た。


まじまじと見ると、このプシュケーには小さな赤い眼が二つあり、尾の先にはこれまた小さな鏃のような物が付いている。

見れば見る程、不可思議な生き物だ。せめて自分が死ぬ前に、少しでも変態してくれればいいのだが。そんな望みを託しながら、春智は鼻歌を口遊むようにプシュケーに語り掛ける。


「名前どうしようかな〜。プシュケーだからプーちゃん? んー、でも虫っぽいからムーちゃんかな」

「おい、そいつに構うのは後にしろ。お前のラボだろ、お前が率先して働け」

「はーい」

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