FREAK OUT | ナノ


花を飾る。それが何の慰めにもならないと知りながら。

花を飾る。それが何の贖いにもならないと知りながら。

花を飾る。それが何の救いにもならないと知りながら。


花を飾る。

花を飾る。

花を飾る。


(綺麗なお花ですね、師匠)


花に塗れた暗い部屋の中、彼女が立っていた。

どうして此処に、と尋ねる声も出せない俺の前で、彼女は踊るような足取りで花を見て回る。


(あっ。この花、ママが好きだったやつだ。こっちは妹さんの写真の隣に飾ってたお花ですね。ふふ、師匠ってこういうとこは細かいですよね)


パシャリと彼女の足が黒い水を蹴る。舞い上がる飛沫が花瓶を濡らす。それはまるで、これまで見てきた光景の焼き直しのようだと花の匂いを掻き消す悪臭に吐き気を催す。

真新しい血と饐えた肉。何度も何度も踏み越えてきたそれが、足元に広がっている。花がそれを吸い上げて、赤黒く色付いていく。何処かから、無数の嘲笑が聴こえる。

その真ん中で、眼を閉じることも耳を塞ぐことも出来ない俺に、彼女が囁く。


(ねぇ、師匠。私には、何のお花を持ってきてくれるんですか)


彼女の口から夥しい血が溢れる。眼窩から目玉が零れる。裂けた腹から臓腑が落ちる。

最初からそういうものであったかのように、なるべくしてなったかのように、彼女は笑みを浮かべたまま、俺の頬に手を伸ばす。


(持ってきてくれますよね。だって、そうでもしないと貴方はきっと堪えられないから)


お前がその手で俺の首を縊ってくれたなら、どれだけ楽になれるだろう。そんな願いを嘲るように、彼女の体は崩れ落ち、血溜まりの中へと消えた。



「――い、師匠!師匠!」


粘ついた闇を振り払い、意識が呼び起こされる。

其処でようやく、自分が夢を見ていたことと、酷く魘されていたことに気が付いた。傍らに、彼女がいたことにも。


「大丈夫ですか?……顔色、物凄く悪いですけど」

「…………お前も、な」


心配そうに此方を覗き込むその顔も、いっそ笑えるくらいに蒼白い。手の甲で触れてみても、今一つ体温が感じられなくて、雪待は哀れむように愛の頭を撫でた。


「こんな時間にどうした。……悪い夢でも見たのか」

「……その様子だと、師匠も同じみたいですね」


苦々しい笑みを浮かべて見せたのも、生意気な物言いをしたのも、強がりだろう。


愛が此処に――自分のテントに入り込んできたのは、彼女もまた酷い悪夢に魘されていたからだ。

彼女の眠りを妨げたものが何なのか。その内容までは分からないが、夢の世界を介して彼女の心を巣食うものは理解出来る。雪待は体を横たえたまま、ベッドの縁を手で叩き、此方に来るようにと愛に促した。


此処まで足を運んでおきながら、今になって恥じらっていた愛だが、ややあって、遠慮がちにベッドに腰掛けた。

折り畳み式の簡易ベッドが、僅かに軋む。その音が、傍らに座り込む体が余りにも小さくて、暗がりに溶けて消えてしまいそうだと思った。


――未だ、あの夢を引き摺っているのか。


愛を傍に置いたのも、彼女を案じてのことではなく、自分が不安で仕方なかったからだろう。また失ってしまうかもしれない、と。そんな自分が居たところで何の慰めにもならないだろうと、雪待は額の上に手を乗せて、眼を閉じていた。残る片手に、小さな手の平が重ねられる時までは。


「緊張してるのかもしれないです……。来ると分かっているから、尚更怖いのかも……とか。色々考えたら寝付けなくなっちゃって」


僅かに震えるその手は、寄る辺を求めるように軽く握られている。


恐怖が無いと言えば嘘になる。だが、覚悟はとうに出来ている。だから、大丈夫だと、ただそれだけを教えてほしいのだ。

あの時の惨劇は繰り返されない。今度こそ、”英雄”に相応しい勝利を手にすることが出来る。何も迷わず、躊躇わず、戦え――と。


保障も無いのに不確実な言葉を欲しがることを、誰が咎められよう。雪待は愛の手を引いて、ちっぽけなその体を自分の横に寝かせた。


「せ、師匠?」

「……こうしていれば直に寝付ける」


赤ん坊をあやすように、強張る肩を一定のリズムで叩く。いつか、恐ろしい夢に怯えていた彼女に――在りし日の妹に、そうしていたように。

彼女を苛む不安や恐怖が体温を介して、手の平から吸い上げられていくように。そうしていつか、穏やかな眠りに就けるように。なんて、らしくもない祈りを込めながら、雪待は再び目蓋を下ろす。


「あいつが家に来たばかりの頃……何度もこうして寝かし付けていた。こうすると嘘のように良く眠っていたから、呆れたものだ……」


もう戻らない日々を、目蓋の裏で思い描く。

歳が同じだけで、他に似通ったところなど何処にも無いのに、どうしても重ねてしまう。今度こそ守り抜きたいと思ってしまう。戸惑う愛の体を力無く抱き締めることも出来ないまま、雪待は彼女が此処に在ることだけを噛み締めた。


「…………師匠?」


妹のように思ってくれているとはいえ、十六歳相手に添い寝は如何なものか。そう抗議することも出来ぬまま、彼の腕の重みを感じていると、やがて小さな寝息が聴こえた。

まさか、此方を寝かし付けようとして自分が先に眠ってしまうとは。
子供のような稚けない寝顔を曝す雪待を暫し眺めていた愛は、呆れたものだと小さな溜め息を吐きながら、彼の額を撫でた。


「……そっくりなんですね、こういうところ」



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