FREAK OUT | ナノ


私の人生は、生まれてからずぅっと最悪だった。

父親も母親もろくでなし。
まともな食事を与えてくれず、癇癪任せに暴力を振るい、ろくに学校にも通わせてくれなかった。
挙句、私を名前も知らない汚いオジサン達のとこに放り込んで、お金を稼がせて。
逆らえば酷く嬲られたし、更に扱いが悪くなるから、私は大人しく二人に従って、毎日犬のように暮らしていた。


――明日にでも、世界が滅びたりしないかな。


そんなことを考えながら、その日も知らない人とホテルに入って、いつものように好き放題されるのだろうと天井を眺めていた。

けれど、目の前で知らない人の顔が二つに割れて、私の頭を呑み込めそうなくらい大きな口が現れた瞬間。
ただひたすらに最悪だった私の日々は、終わりを迎えてくれたのだ。




「なんだその頭は、淡海(あわみ)」

「こないだセンセが着てたシャツの色がとっても素敵だったので、染めてきちゃいましたぁ」


気の抜けきった声で、何の悪びれもなくそう言うと、女は辛子色に染まった髪を、満面の笑みで一房手に取った。

元は確か、黒かったような気がするおさげ髪。ついこないだまで濃褐色にしていたと思ったら、これだ。
男は盛大に眉間に皺を寄せたが、女――淡海由々子(あわみ・ゆゆこ)は、フフフと上機嫌で笑む。


「きれーに染めてもらえて、私とってもご機嫌です。なので、頼まれてたお仕事も、綺麗さっぱり完璧にこなしちゃいました」


何を言ったところで無駄だと、男が悟るのは早かった。

この女は、恐ろしく肝が太く、人に何かを言われて気に掛けるようなことなど皆無である。
まともに取り合おうとするだけ、時間と体力を浪費するだけだ。

彼女が此処、FREAK OUT第二支部――通称・在津事務所に来てから三年。
着任から今日まで、散々に思い知らされた彼女の豪胆っぷりを思い出して、男こと在津巧二は、この件に関して匙を投げることにした。


「……もういい、次の仕事にかかれ」

「はぁーい」


ふざけた髪の色にしてきた分、淡海はきっかり仕事をこなしてきていた。

彼女が意気揚々と提出してきた書類は、量にも内容にも、一切の不備は無い。
普段の態度に目を瞑っているだけ、これ位はしてもらわねば困るのだが……と、在津は溜め息を吐きつつ、書類に判を押した。

そんな彼の心労にも構うことなく、染髪が認められたと淡海がご機嫌で、自らのデスクへと着いた。


「相変らず、すげーな淡海ちゃん」


椅子に腰掛けると同時に、苦笑と感嘆が混ざった声が隣から投げかけられ、淡海は其方を見遣った。

声の主は、茶髪のツーブロックヘアに赤縁眼鏡の青年――同期の猿田彦一嗣だ。

此方を見て小首を傾げる淡海を見るや、彼は、何がそんなにすごいと言われているのか、彼女はさっぱり分からないのだろうと察し、わざとらしく肩を竦めた。


――そういうところがあるからこそ、なのだろうな。

そんなことを思いつつ、猿田彦は淡海が浮かべている疑問符に答えるように、言葉を付け足した。


「所長から厭味と小言を封じるなんて、中々出来ることじゃねぇよ。俺も欲しいわぁ、そのスキル。所長、一回話すと長いからさぁ」


あぁ、そういうことかと、淡海はポンと手を叩いた。

彼女自身は、在津の口を封じる気など更々なく、普通に話していたつもりなのだが。どうにも在津にとって、淡海の普通が非常に御し難いものらしい。
淡海が何かしら逆鱗に触れるようなことをしても、彼は自然と諦めたり、投げ出したりしている。ちょうどさっきのように。
それが、猿田彦を始め第二支部の所員達にはかなり羨ましいことなのだが。誰もが、彼女のようにあれる訳もなく。


「カズくん、そーいうこと言うと、またセンセに怒られちゃうよぉ」

「おっと、」


こうして、そそくさと口を噤んで、在津をなるべく怒らせないよう、せっせと仕事に励むのが精一杯の自衛となっていた。

猿田彦は淡海の忠告に従い、在津へのぼやきを止めて、先程まで手をつけていた業務を再開した。
だが、元来話し好きの彼が黙っていられる時間は、そう長くはなく。
幾らかの沈黙の後、猿田彦はキーボードを打ちながら、何とはなしに口を開いた。


「そういや聞いたか、嘉賀崎に十怪が出たって話」

「そうなの?」

「あぁ。しかもあの、カイツールらしいぜ」


淡海は、在津から手渡された書類の山を処理しつつ、猿田彦に応じた。

手さえ動かしていれば、在津は然程口を酸っぱくしてこない。猿田彦はパソコンのウィンドウに顔を向けたまま、控えめな声量で会話を続ける。


「民間人が一家丸ごと乗っ取られたって話だぜ。両親は眷属に食われ、娘は苗床にされたってよ」

「へぇー、そうなんだぁ」


――十怪。

侵略区域に巣食うフリークス達の上に君臨する、強大にして強力な十体の≪花≫。
存在そのものが天災級。国土奪還と全てのフリークスの駆除というFREAK OUTの目的の前に立ちはだかる最大の壁。

その一体、カイツールが隣の嘉賀崎市に侵入したという話は、内々で噂になっていた。

被害に遭った一家の惨状が露見したことで、カイツールが避難区域に潜伏していることが発覚した。
が、その後カイツールの行方は知れず。現在各支部と、派遣部隊ドリフトの探索チームが、対策に追われている。
かく言う猿田彦が取り掛かっているのも、対カイツールの為の市内巡回のチームとシフト製作で。猿田彦は「お陰で仕事量倍増だ」とぼやきながら、嘆息した。

淡海は、道理で最近皆やたら忙しそうにしてる訳だ、と周囲を軽く見渡した。


第二支部・在津事務所は、約三十人の能力者が所属している。
支部の規模としては、第一支部・潔水事務所に続いて大きく、また所員達は在津によって選ばれた、実戦でもデスクワークでも優秀な人材――所謂エリート達で構成されている。

殆どは養成機関RAISEからの生え抜きで、彼等は卒業から今日まで、在津のスタンスや韜略を徹底的に叩き込まれており、誰もが在津の望む、効率的且つ合理的な仕事を、最短最速でこなすことに長けている。

そんな所員達が、いつになく疲れたような顏をして机に向ったり、死んだように突っ伏して眠っていたりしているのを見て、淡海は十怪の脅威をぼんやりと感じた。

こういうところも、彼女の豪胆っぷりの現れである。


「今度は、向こうからこっちに来ちゃうかもねぇ。こないだの、クラフィティー……だっけ?あれの、逆で」

「おっかねぇこと言わないでくれよ、淡海ちゃん」

「へへへ」

「まぁ、所長もそれを危惧してるみてぇだぜ。こないだの所長会議でも言われたみたいだし……とにかくカイツールを入れないようにって考えてるみたいだ」


猿田彦は、半ば辟易したような顔をしながら、パソコンのモニターに溜め息を吐き付けた。

カイツール出現を受け、在津は上野雀防衛に更に力を入れんとしている。
先日、クラフィティーを取り逃がした件のこともあるのだろう。
相手の能力が隠伏に特化した能力だった故に、侵入と逃走を許した――というのは、在津としても不本意で、彼のプライドに幾らか傷を付けたらしい。

尻拭いをしたのが、第四支部だったこともあるだろう。
あそこは、エリート組と言われている此方とは対照的に、出世から外れたドロップアウト組だ。
優秀な能力者達であることには違いないが、アウトローである彼等に大きな顔をされるというのは、在津にとって遺憾でしかない。

あの一件で、彼は一から防衛策を見直し、事前対策も事後対策も強化すべしと、市内巡回にも力を入れ始めた。
それだけで相当忙しくなったというのに、カイツール出現ときて、第二支部はきりきり舞いであった。

もう勘弁してくれと、猿田彦は手元に置いていた栄養ドリンクを口にする。その横で、淡海は腕を上げ、むんと力んでいた。


「よーし、じゃあこの淡海ちゃんも、頑張ってお仕事しちゃうぞ。上野雀と市民の平和と、センセの為に」


誰も彼もが疲弊しきっているこの状況で、彼女のそのエネルギッシュさは、実に浮いていた。

彼女とて、クラフィティーの一件以降、更に苛烈になった仕事の煽りは受けている。
デスクワーク、市内各地対でフリークスの監視捜索、時に討伐。顔色一つ変えずに熟せるものではない筈の仕事量を、淡海も受けている。

だというのに、よくもまぁ、この上更にやる気が出るものだと、猿田彦は呆れるくらい感心しつつ、「そういえば」と淡海に視線を向けた。


「前から気になってたんだけど……なんで淡海ちゃんは所長のことセンセって呼んでんの?」

「ん?」

「あー、いや……所長に師事してたワケじゃないんでしょ?なのに、なんでセンセなんて呼んでんのかなーって思って」


言いながら、猿田彦はチラと在津を一瞥して、再び淡海を見た。

淡海が彼をセンセと呼ぶのは、彼女が此処に入って来てすぐのことだった。
当初は在津も、その呼ばれ方に渋い顔をしていたが、例の如くすぐに折れた。

そうして彼がその呼び名を受け入れるようになる頃には、周囲にも彼女のセンセ呼びは浸透していったのだが、猿田彦を始め殆どの者は知らなかった。


師事していた訳もないのに、何故に、付き合いも関わりも殆どない所属したばかりの頃から、センセなどと呼んでいるのか――。

周囲で各々仕事や休憩に勤しむ面々が、それとなく此方に耳を傾けてきているのも露知らず、淡海は猿田彦に、呑気な声で答えた。


「先生みたいだから、センセ。”教授”って呼ばれてるし、すぐ注意してきたりするとことか、お説教が長いとことかも、それっぽいじゃん」


詰まるところ、彼女のセンセという呼び方は、敬称というよりあだ名であった。

確かに、彼女の言う通り、在津は一般にイメージされる教師像に近しいものがあるし、”教授”という二つ名から見ても、納得だ。
だから、センセと呼んでいるのだというのは、何となく予想出来ていた。

その上で猿田彦が、今更になって淡海に尋ねてみたのは、また別の疑問があったからであった。


「にしては、なんか親しみ込めてない?」


猿田彦が最も気になっていたのは、淡海が在津を妙に慕っていることにあった。

センセなどとあだ名を付けたり、彼の着ていたシャツと同じ色に髪を染めたり、在津の為にとはりきってみせたり――。
どう考えても、淡海は在津に懐いているのだが、どういう理由があっての思慕なのかが、猿田彦にはさっぱり分からず。
もしや、センセ呼びしていることに関係しているのではと、勘繰って尋ねてみた、という訳であった。

在津は、親しまれるタイプの人間ではない。寧ろ、煙たがられたりする方である。
何かと口喧しく、手厳しく、基本的に他者を見下しているスタンスの彼を、凡そ人は避ける。
だのに、淡海は最初から率先して彼に近付き、何を言われようとどんな顔をされようと、気にすることなく在津のことを慕い続けている。

余程のことがあったのではないかと、そう考えていた猿田彦であったが、淡海の答えは拍子抜けする程あっさりとしたものであった。


「私、先生みたいな人、好きなんだぁ。だから、センセのことも好きなの」


ずる、と頬杖していた顔を落とし、猿田彦は平然とした様子で仕事を続ける淡海に、苦笑いを浮かべた。


「ど……堂々と言うね、淡海ちゃん」


「言っちゃいけないことじゃないデショ?」

「……まぁ、ねぇ」


淡海当人が気にしていないなら、それでいいのかもしれない。

にしても、周りに人がいて、向こうには在津本人までいるというのに、ああもはっきり好意を口にするのは如何なものかと、猿田彦はズレた眼鏡の位置を直した。

尤も、周囲の所員達も在津も、とうに淡海の慕情を知っているので、今更淡海が何を言おうが、どうってことないのだが。
それでも、多少なり恥じらったりとかしてもいいのではないかと、猿田彦が嘆息した時だった。


「もしもし、私だ」


響き渡るコール音に眼を向けてみれば、在津が携帯を片手に何やら話始めていた。

口調からするに、相手は所員の誰かだろうか。
猿田彦は、話しながらも手を休めることなく、業務を全うする在津を見て、自分もそろそろ真面目に仕事を片付けるかとパソコンに向き直した、が。


「淡海、猿田彦」

「は、はい!」

「はぁーい」


作業に没頭せんとしたところで、御呼びがかかり、猿田彦は、もしやいい加減に口を閉じろと注意されるのではと、身を強張らせた。

今やろうとしていました、という言い訳が通じる相手ではない。
耳にタコが出来るまで、日頃の行いから何までくどくどと注意されるに違いないと、猿田彦は警戒したのだが。
在津は、ただの一言だけ吐くと、スーツをしゃんと直して席を立った。


「今から出るぞ。ついて来い」


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