FREAK OUT | ナノ

それは、ぐずぐずになったドス黒い、肉の塊のようだった。

大きさは、ちょうど腕で抱きかかえられる程度。それが、ガムテープのようなもので数ヶ所ぐるぐる巻きにされていて、所々白いものを剥き出しにしている。

それだけでも悍ましいというのに、それはあちこちに蛆が湧いていた。
蝿が卵を植え付けたのだろう。賛夏の毒で全て死んでいるが、夥しい量の蛆達が、此処で育ち、他の虫もこれを餌にしてきたようだ。


そこまで見て、理解出来ぬ程、愛は疎くも鈍くもない。だが、頭が必死に否定を望んで、目の前のものを認知出来ずにいる。

そんな訳がない。だって、こんなこと。

口の中に苦いものが広がっていく感覚を懸命に愛が押し殺していると、賛夏は近くにあったハンガーを手に取って、あろうことかそれを、徒に突いた。

ぼどり。蛆の死体と、半ば液状化しつつある物体が、とてつもない色に染まった布団の上に落ちると、賛夏は抑揚のない声を吐き捨てた。


「あーあー、腐ってますねぇ。この死体」


やはり、と言うまでもない。

目の前にあるものは、人の、子供の腐乱死体だった。


「苗床ならぬ、虫床って感じですねぇ。こりゃー、中開いたらひっどいことになってそうです」

「ざ、賛夏くん!!」

「そう慌てなくても、やりませんよぉ。これ以上、調べる必要ないですからねぇ」


愛が大童になって制止してきたのが可笑しいので、賛夏はケタケタと笑いながら、ハンガーを捨てた。

そうして笑っていられること自体、どうかしていると愛は批難するような眼をして、再度布団の上の、物体に成り果てたものを見た。

が、それが人だと完全に受け入れてしまった状態で、直視することに堪え切れず。
愛は、込み上げてくる吐瀉物を必死に喉の奥へ奥へと追いやるように、酸っぱい唾を呑み込んだ。

何て健気な強がりだろうかと、賛夏はそれを鼻で笑って、愛を置き去りにさっさと部屋を出て行ってしまった。


中の様子は分かった。そして、何があったのかも検討もついた。
ならば、これ以上いる必要はないだろうと、死体をそのままに賛夏は結果を待つ畔上のもとへと向かう。

やや遅れて、置いて行かれたくないと慌てて愛が追いかけていくと、賛夏はまるで遠慮も苦の色もなく、「すみませーん、子供の死体があったんですけどー」と、畔上を呼び出した。

当然、畔上は顔をこれでもかと真っ青にして、嘘だと言ってほしいというような面持ちで、賛夏を見てくる。
しかし、そこで繕ってどうにかなる問題でもなく、気遣いをしてやる道理もないと。
賛夏はつらつらと、部屋の有り様――というより、あの空間を生み出した子供の死体について、畔上に話し始めた。


「多分二歳くらいですかねぇ。腐ってぐっちゃぐちゃなんで性別まで分からないんですけど……この部屋の住人、子持ちでしたよね?」

「え、えぇ……今年で三歳になる男の子が…………」


畔上は、チラと一○四号室を一瞥したが、扉がチラシに苛まれて閉まりきっていないことに気付くと、すぐに目線を此方に戻した。

何かしらの異常が起きていることは察していたが、まさか住人の子供が腐乱死体になっていたなんて、信じられないのだろう。
額から流れ落ちる冷や汗をそのままに、畔上は何故そんなことがと、追い縋るように自然と項垂れていた頭を上げた。


「ですが、そんな……どうして…………。まさか、フリークスに……」

「フリークスぅ?アッハハ!そんな訳ないでしょう!!この期に及んで、何言ってるんですか!」


畔上の疑惑に対し、賛夏は茶番を見せてくれるなというように手を叩いて笑った。

その意味が、あれを実際にこの眼で見た愛には、察しがついている。いや。愛だけでなく、畔上当人も。

僅かに開いた扉の隙間にいるものから、逃げるように眼を逸らした彼は、慈島事務所に電話をする前から、分かっていた筈だ。

あの部屋で、何が起きていたのか。誰があれを生み出したのか。全て、何も、かも。


「あれは、捨てられたんですよ。実の親に、二ヶ月前に」


一歩、思わず退いた畔上が、これ以上逃げることを許さぬようにと。賛夏はこつこつと廊下を踏み鳴らし、畔上を囲むようにゆっくりと周りながら、彼を追い遣る言葉を放つ。

その一言一言が、畔上の胸に突き刺さり、焼け爛れるような痛みを齎すように、と。


「多分その時にはまだ生きてたと思いますよ。でも、騒いで助けを呼ぶことは出来なかったんでしょうねぇ。手足は縛られ、口も塞がれてましたから」

「ひ……人に化けたフリークスがそうしたということは……」

「彼等にとって、人間は餌、或いはプランターです。わざわざ縛って放置するくらいなら、美味しくいただくか、種を植えていきますよ。よって、あれは人間の仕業です」


そう。あれは間違いなく人間の仕業で、犯人は、あの子供の母親――溝野だろう。

幼い子供をガムテープでがんじがらめにして、放置し、女は逃げたのだ。

親という枠組みから、子供という存在から、罪から、罰から、人としての道徳から、あの部屋から。溝野は二ヶ月も前から、逃げ出した。


もし彼女が、畔上の言うようにフリークスであったか、或いは彼女自身が既にフリークスに食われていたとしたら、あの子供がガムテープで巻かれて拘束され、布団の上で腐るまで放置されているのは、おかしい。

賛夏が説いた通り、フリークスにとって人間は、餌か苗床である。むざむざ腐らせる理由が、彼等にはない。

あの子供が、喰われているでもなく、苗床にされているでもなく。ただただ放っておかれ、殺されたという事実がある以上。畔上の望みめいた想像は、現実には成り得ない。


それを突き付けると、賛夏はいやに明るい声を出して、すっかり萎びれたような畔上の肩を、ポンと叩いた。


「いやー、しっかし運がなかったですねぇ管理人さん!多分あの部屋、床板まで腐っちゃってるんで、使い物にならないですよ!
あ、でも二階じゃなかっただけマシですね!下に被害が出なかったっていうのは、不幸中の幸いです!」


まるで希望にも慰めにもならないというのに、わざわざ言い聞かせているのは、彼が畔上を責めているように聞こえた。

無論、あの子供に同情して、なんて理由ではないだろう。


賛夏はただ、気に入らないのだ。

分かり切っていた事実に対し誤魔化しを入れて、未だに目を逸らし続けている畔上が。ひたすらに、不快なのだ。

だから、彼は釘を打ち込んでいくように、畔上に手酷い言葉を吐き掛けていく。それを、愛は止めることが出来ずにいた。


「まぁどっちにしろ、ボクらはフリークスの後始末なら請け負わせてもらうんですが、人間のやったことは管轄外なので、これについては警察と業者に相談してください。
それじゃ、ボクらはこれで失礼します!」

「ま、待ってくれ!!」


用は済んだ、と退散しようとする賛夏に、畔上は蜘蛛の糸を掴むように手を伸ばす。

が、それは彼の小さな肩を掴むこともなく。即座に投げかけられた言葉を受けて、びたりと宙で止まった。


「管理人さぁん、貴方さっき『どうして、まさか』って言いましたよねぇ」


賛夏は、うんざりしながらも、何処か畔上の抗いを愉しんでいるようだった。

総毛立つ程に不愉快。しかし、それが堪らなく弄り甲斐があると。そう歪めた笑みを浮かべて、賛夏は振り返った。


細められた紫色の双眸に、蒼白し、震える畔上が映る。

その弱々しさの中に潜む、醜く浅ましく、あの腐肉のようにドス黒い本性を暴き立てるように。言葉のナイフが、面の皮を剥いでいく。


「でも、貴方……本当は『やっぱり』って言いたかったんじゃないですか?あの部屋で、子供が死んでいること……気付いてましたよね?」


反論を、賛夏は許してやらなかった。
何か言いかけた畔上を、ただ口をニッコリと吊り上げただけで制して、賛夏は彼に知らしめていく。

鉄扉一枚向こうで起きた悲劇を生み出したのは、溝野だけではない。それを知らない、気付かないフリを続けてきた畔上もまた、同罪であるということを。


「子供を縛って置き去りにしていくような人間が住んでいたんです。兆候はあったんでしょう?
毎日泣き喚く子供の声、それを叱り付ける親の怒声、何かが床や壁に打ち付けられるような音……。
仮にもし、これだけの材料が揃っていたとしたら、こうなることは予想出来ていた筈です。
けれど、その先へ踏み出すことを拒み、貴方は耳を塞いだ。面倒事に巻き込まれたくなかったから、平穏を脅かされたくなかったから、貴方は知らないフリをしたんだ」

「ち、違う……」

「あそこで虫の産卵場になっている子供を捨てたのは、あれの親だけじゃない。貴方もまた、罪のない子供を見捨て、見殺し、その後始末を誰かに押し付けようとした。
そして、あれはフリークスの仕業だということにして、自分の罪から逃れようとしたんだ。そうでしょう?」

「違う!!!」

「なら、ボクらに縋ることないですよね。貴方が無罪潔白なら、堂々と警察を呼び、この事件を片付けてもらえばいい。それなのに、どうして貴方はボク達を引き止めようとしているんです?」

「違う!違う!!違う違う違う……違う!!!!」


白髪だらけの頭を掻き毟りながら、畔上は廊下に膝をついた。

無機質なコンクリートの床に目を向け、必死に否定の言葉を並べて、畔上は未だ、逃げられるつもりでいるようだ。

そんな彼の髪を掴み上げ、無理矢理上を向かせると、賛夏は血を冷やして作ったような笑みで、畔上に止めを刺した。


「眼窩の中まで蛆まみれの子供の顔を見ても、そう言えますか?」


畔上はもう、何も言わなかった。


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