FREAK OUT | ナノ
呼吸ごと押し殺すような泣き声が、倒れたテーブルの陰から聴こえた。幼い子どもの声だ。
逃げ遅れたのか、逃げ出すタイミングを見失ったのか、動けずにいるのか。理由は分からないが、其処に子どもが一人取り残されているのは確かだ。
恐らく近くに親はいない。はぐれて取り残されたか、フリークスに殺されたか、もしくは――捨て置かれたか。
(待って、お母さん……お母さぁん!!)
それはもう、手放した筈だ。
中途半端な同情と感傷で、誰かの手を取るような真似をしたって何も救えない。どうにもならない。だから、もう二度とそれを理由にするなと言い聞かせても、頭の中に声が響く。今此処に居る、助けを求める幼い声だ。
「…………ッ」
血が滲むほど歯を食い縛りながら、足を進める。
膨れた肉の色、甘い蜜をぶちまけたような何かが饐えた匂い、肌を濡らす嫌というほど湿った空気、声にならない潰れた呼吸の音。未だ忘れることの出来ないあの日の記憶。その全てが、一つ一つが鮮明に、貫田橋を苛んでいく。
この先に待ち構えているものは、その再上映だと囁くように、心臓が不穏な鼓動を打ち鳴らす。それでも踏み止まれずに、振り返れずに、貫田橋は声の発生源へと歩み寄る。
ちょうどボックスソファと倒れたテーブルの間に挟まれるように隠れていた子どもが、びくりと肩を跳ねさせる。
声を殺す為に口元に押し当てていた両手をそのままに、五、六歳ほどの幼児が此方を見上げる。涙で濡れたその眼が、大粒の涙を零した。恐怖からではなく、安堵からだろう。
助けが来てくれたのだと歓喜に咽び、子どもはもう必要も無いのに、声を押し殺しながら泣きじゃくった。
眼の前に現れたのが血塗れの男であっても、相手が人間であるならそれでいいのか。
貫田橋はフリークスの血で濡れた手をスラックスで適当に拭うと、腰を曲げ、泣き咽ぶ子どもに手を差し出した。
取り敢えず、立ち上がらせるまでだ。其処から手を引いてやったりなどしない。誰に咎められるでも無いのに、そんな言い訳を己の内で連ねながら、貫田橋は子どもが此方の手を取るのを待っていた。
「う、ぐぇ」
丸い指の隙間から零れたその声で、貫田橋は察した。
彼が押し止めていたのは声や呼吸ではなく、別の物であったのだと。察した時には、遅かった。
「ア」
込み上げる何かを呑み込もうと丸めた背中が、炸裂する。
支えを失くし、崩れ落ちるその小さな体から打ち上げられたそれは天井へ張り付いて、此方を嘲るように嗤う。
「「ゲギャギャギャギャギャギャギャ!!」」
これは、そういう風に生まれるものだと予想はしていた。
あのフリークス達は人間の体内に何かしらの形で入り込み、瞬間的に成長することでホテル内に侵入してみせた。恐らくは、あれらの母体が有している能力だ。ホテルの従業員や宿泊客を疑似苗床とし、流行病のように爆発的に拡散し、侵略する。
想像は出来ていた。それでも貫田橋が動きを止めたのは、あの子どもの――。
(助けてくれてありがとう、お兄ちゃん!!)
降り注ぐ哄笑が、何も掴めずにいるまま立ち尽くす体の中に谺する。
お前が何をしたところで、何も救えない。お前の為す、その悉くが無意味であり、お前の葛藤や決意もまた、全て無為に帰すのだと。
がらんどうになったような体の、骨が軋る程に響く嘲りの声。それをただ浴び続けることしか出来ずにいる貫田橋に、フリークス達が飛び掛かる。
「ゲギーーーャッ!」
ただ生まれて、生かされて、漠然と死を望まれていた。
そんな自分にも、生まれてきた意味、生かされてきた意義があると思えた。誰かの為に戦うこと、それが自分がこの世界に生まれ落ちた理由だと思えた。
だが、この手で守った筈のものはあるべき形に還るように踏み躙られた。
何も救えてなどいなかった。何も変えられていなかった。何も、何もかも、意味など無かった。自分が、無意味で無価値な人間だから。
――それでもこの腕は、何かと掴みたがるのだ。
「ゲ、ァ」