FREAK OUT | ナノ


湿気た階段を下る。その一歩一歩に合わせ、脳裏の奥で悪夢が閃き、瞬く。


思い出したくもない。その癖、どう足掻いたって捨てられない過去。

忌々しく、汚らわしい、毒虫が互いを喰らい合う壺の中のような世界。それが自分の生まれた場所だ。


そんな掃き溜めに似た地獄から這い上がった先もまた、地獄だった。能力に目覚めようと目覚めまいと、行き着く先は同じ。この世に生まれ落ちた時から、自分は最低のその向こう側を越えられない。


彼らも、そうだった筈だ。

”英雄”の娘として生まれ、剰え己で道を選ぶことが出来た彼女を蛇蝎視して然るべき場所に、臍の緒から繋がっていた。その点に於いては、自分と彼等は仲間――否、同類か――であった筈なのに、嵐垣も芥花もどうして彼女に心を許してしまっているのか。


全てを捨てて戦う?そんなものが美徳であるのなら、それは、最初から何一つとして持たざるものであった自分達への冒涜だ。

”英雄”の娘という出自だけで肯定される。そんな人間の自己犠牲ごっこを、どうして許せる。

命を擲ったとて認められやしない。それでも戦い続ける以外に道は無いのだと抗い続けてきた己が、虚しくならないのか。手放しで担ぎ上げられる彼女が、恨めしくならないのか。


自分には、理解出来ない。世の中そんなことばかりだ。嫌になる。


「はぁー……全く」

「どいつもこいつも情けない、って顔ですわね」

「!?」


ずるりと音を立て、天井から影が滴り落ちる。其処から出でたる者もまた、塗り潰したように黒い。

爛々と光る金色の双眸だけが嫌に眩く、薄暗い廊下に浮いている。まるで狂った獣の眼のようだと、賛夏は嫌忌を露にした顔で彼女を睨んだ。


「……お嬢様がこっちにいる間は来るなって言われてましたよねぇ、寿木さん」

「えぇ、えぇ。ですので、愛さんが慈島所長とお出かけしている間に、そろそろりと」

「所長に報告した方がいいですかねぇ。犯罪者が言い付け破って動き回ってますよ〜って」


言いながら、細く白い首に巻かれた爆弾を見遣る。

ポケットに忍ばせた起動装置のスイッチを押せば、首輪に仕込まれた毒が送り込まれ、永久子は死ぬ。今此処で気紛れに彼女を殺しても、咎められることは無いだろう。

SNSで見かけた気に入らない発信を拡散するような気軽さで、此方は相手の命を潰せる。永久子はそれを分かっていて自分に突っ掛って来ている。

何時死ぬかも分からぬ立場に居るからこそ、何時死んでも構わないと思っているのか、単に肝が据わっているのか。否、これはただの気狂いだろうと理解しながら、賛夏はわざとらしく片手をポケットに入れたまま永久子を見据える。


「貴方……一体何を嗅ぎ回ってるんですか?」

「いつもと同じ、秘密の匂いをば」

「出歯亀ですか」

「んー。わたくしが見たいのは情事より事情、ですわね」


何言ってんだコイツと賛夏がこれでもかと眉を顰めるが、永久子はしたり顔で笑っている。

全く上手いことは言えていないのだが分かっているのかと賛夏が睨みを利かせると、その眼を覗き込むように永久子が顔を近付けて来た。


「貴方も見ていたでしょう、篠塚くん。慈島所長の、あの姿を」


見えていたのかと、賛夏は思わず口角を上げた。

何のことかと恍けても構わなかったが、敢えてそれをしなかったのは賛夏の中に永久子と同じ欲求があったからだ。


「あの時、慈島所長から零れた狂気も欲望も、全て愛さんに向けられたものでしたわ。周囲には市民の方々や、わたくし達も居たのに……彼はただ、愛さんに狂っていた。わたくしが知りたいのは、その答えなのですわ」


この近くに現れたフリークスを愛が討伐する様を、賛夏は少し離れたビルの上から見ていた。
巡回中、ちょうど手頃な場所に手頃なフリークスが居たので、腹いせにあそこまで誘導したのだ。

事務所のすぐ傍であれば慈島が討伐に赴くだろう、と。接待の為に自分達を酷使してくれた彼と、のうのうと休暇を満喫している愛への当て付けに、賛夏はフリークスを第四支部の近くに追い込んだ。


きっと慈島は、さぞ苛立った顔をしながらフリークスを咀嚼することだろう。その顔を拝む為にと雑居ビルの屋上に位置取っていた賛夏が眼にしたのは、一瞬の間に現れてはフリークスを討伐した愛の姿と、それが崩れ落ちる様。そして、倒れ行く彼女を支えた慈島の豹変であった。


遠目から見ても、慈島の身にこれまでに無い異常が現れているのは明らかだった。

其処に居るのは人の言葉の外側に在るもの。感情や理性や道徳と言った、人を人たらしめるもの全てを失った剥き出しの命。嫌と言うほど知っている。だのに、初めて見たような感覚に陥って、賛夏はただひたすらにそれを見つめていた。


そして気が付いた時には、慈島は永久子によって制され、愛諸共本部へと運ばれて行った。

後に残された、一人と二匹の血溜まりは何も語らない。それでも、これまでに無い何かが起きていることに、賛夏は戦慄と昂揚を覚えた。


きっとそれは彼女から虚像の皮を引き剥がし、偽りで固められた骨を砕くだろう。そうして、愛は”英雄”として死ぬ。

賛夏が答えを求めているのは、その為だ。では、其方は何の為にと賛夏は永久子を訝りの眼で見遣る。


「……知ってどうするんです?」

「さぁ。わたくし、知った後のことは考えたことがないので……それは、知ってからのお楽しみですわね」


其処で賛夏は、やはりなと小さく頷いた。

永久子の中には今しかない。その眼が一切の先を見据えていないが為に、彼女は自分の命にすら頓着していないのだ。
ほんの少し突けば殺されるかもしれないと理解していながら、わざわざ此方に絡んで来たのも、ただ気になっていたからに過ぎないのだろう。

物差しも天秤も狂っている。こういう手合いとは極力関わらないに限る。愉しそうに眼を細める永久子を置いて、賛夏は薄暗い階段へ足を進めた。


「馬鹿みたい」


呟いたのは自分なのに、何故か誰かにそう言われた気がした。


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