FREAK OUT | ナノ
芥花が行ってしまうと、事務所の中は酷くがらんどうになってしまった。
何となく、此処に残ることを選んで居座り続けているが、時計の針が進む音を聴くくらいしかやることが無い。
電話が来たら、久し振りに電話応対してみようか。あの時は緊張で噛んだり、どもったりしていたが、今の自分ならきっと上手く出来ると思う。
そんなことを思いながらソファに寝そべっていた愛は、ふと慈島のデスクに眼を向けた。
いつも彼が座っている所長席。此処に居ない彼の影を追いかけるように手を伸ばし、何も掴めない虚しさを誤魔化すように枕代わりにしていたクッションを抱いた。
抑制ピルのお陰で、気が触れそうな衝動は、息を潜めている。それでも身体の奥底で、心が罅割れそうな程、彼を求めている。
彼が、欲しい。
ただそれだけの愚直な感情を噛み締めながら、鈍く痛む腹を抱えるように背を丸めた、その時だった。
「ただいま」
それは、自分が居ることを前提とした声色だった。
「お……おかえりなさい、慈島さん」
「……体調、まだ良くない?」
「い、いえ!ちょっと眠くなったので寝転んでただけで…………お行儀悪くて、ごめんなさい」
「いや。俺も良く、其処で寝てるから」
慌てて体を起こそうとすると、気にしなくていいからと慈島が小さく首を横に振った。
それでも、仕事中の彼の前で寝転がっているのはやはり行儀が悪いだろうと座り直した愛は、ふと此処で寝ている慈島を思い浮かべ、首を傾げた。
「……慈島さんの体だと、はみ出しちゃいません?」
オフィスに置いてあるソファは、二人横に座れる程度の大きさだ。長身の慈島が寝そべったら脚がはみ出るだろうし、横幅も足りないだろう。此処で上手く眠れているのかと尋ねると、慈島は眉を下げ、何とも言えない哀愁漂う顔をした。
「はみ出るし、たまに床に落ちる……」
「っふ」
案の定、体の大きさと合っていないが為に上手く眠れずにいるらしい。ソファから滑り落ちる慈島の姿を想像して、思わず吹き出してしまった所で、愛はハッと口元を押さえた。
可笑しいから笑ったのではなく、微笑ましくて笑ってしまったのだが、どちらにせよ笑われて良い思いをしないのではないかと、恐る恐る慈島を見遣る。
向いのソファに腰掛けた慈島は照れ臭そうな、少しバツが悪そうな顔をしながら頬を掻いて――此方と視線が噛み合うと、小さく笑った。
自嘲を含んだ、慈しみの面差し。こんな話でも、君が笑ってくれて良かったと言うようなその表情に、愛の心臓が高鳴った。
彼の所作一つで、どうにかなりそうな程に胸がざわめく。何かの拍子で飛び出してしまいそうな心臓を押さえ込むようにクッションを抱き締め、愛は目元だけ出して覗き込むように慈島を見つめた。
「巡回は」
「徳倉が引き継いでくれた。……せっかく愛ちゃんが帰って来たんだから、一緒にいろって」
「そう、ですか」
外に用があるから、ついでに巡回に行ってくると言って彼が家を出た時、僅かに寂しさを覚えた。それと同時に、安堵してしまった。
彼の傍に居過ぎてはならないと、そう思っていた。疚しい気持ちを抱いたまま、彼の厚意に甘えていてはならない。だから、自分の中の衝動が落ち着くまでは少し距離を置いていた方がいいと、そう思っていたのに――。
彼が戻って来てくれたことで、脆弱な覚悟が呆気なく崩れ落ちていくのを感じた愛は、己を恥じた。
何処まで浅ましく、卑しいのだろう。腹の底で呻くものを膝と共に抱えると、慈島が萎びた花のように俯いた。
「……ごめん、愛ちゃん」