FREAK OUT | ナノ
(諸君らは、選ばれし戦士達だ!)
(セフィロトの加護を受けし者達よ!帝京の……否!人類の未来は、諸君らの双肩に掛かっている!)
未だ第三次世界大戦が頭から抜けていない帝京政府防衛大臣の演説を聴かされる者達の中に、どれだけ心から国の為、人の為に戦おうなどと思う者がいただろう。
各地から集められた能力者達は皆、年の頃二十にも満たない若者だった。
あの樹が現れるまで、何処にでもいる子供の一人で。学校に通い、部活動に勤しみ、友達と笑い合い、進路に頭を悩ませ、将来に胸を弾ませていた。
その凡庸性も、日常も、未来も、夢も希望も失って、化け物と戦う使命を負わされて。
きっと誰もが思っただろう。自分達が国や人を守るとして、一体誰が、自分達を守ってくれるのだろう――と。
(奮迅せよ、能力者諸君!!化け物共を殲滅し、悪徳の樹を討ち滅ぼすのだ!!)
そんな子供達の上に成り立つ薄皮一枚程度の平穏を眼にする度、彼女の胸は思い出す。
人間という生物の持つ底無しの”残酷”を突き立てられた、あの日の痛みを。
「ハァーー……ハァー…………ハァー……ッ…………」
息をする度、喉から肺が焼けていく。それでも呼吸を止められないのが、生き物の定めだ。
「ガワがどんだけ強くても、中身はそうはいかねぇよなァ」
周囲を覆う炎の壁。常に最大火力で燃え盛るその中で、アクゼリュスは膝を付いた。
こんな物で私を閉じ込められるとでも、と壁を破ろうとすれば、あちらから火球が飛んできて、その勢いで押し戻される。
だが、大したダメージでは無い。耐火効果を持つこの甲殻の前では礫同然だ。
この火力を維持するには消耗も馬鹿にならない。ガス欠は時間の問題だ。向こうが自分を閉じ込める心算なら、此処で自滅してくれるのを待っていればいい。
そう思っていた。相手の狙いが、空気を熱することにあると気付くまでは。
「つまんねー燃やし方だが、まぁそこそこ楽しめたぜ十怪。最後はド派手に焼いてやるから安心しろ」
「貴……様ぁあああああああ!!」
このような幕引きは不本意だが、過程はそれなりに楽しめた。それに、結末にこだわって命を落とすのは馬鹿らしい。
生ある限り、次がある。十怪は残り八体いることだし、其方に期待しよう。
アクゼリュスが呼吸器の修復でエネルギーを消費し、甲殻の強度を維持出来なくなったところで一気に焼き殺す。それでこの戦いは終いだと、唐丸は胸ポケットから煙草を取り出した。その瞬間、アクゼリュスを覆う炎が巨影に押し潰された。
「…………あ?」
煙草を持ったまま呆ける唐丸の前で轟音を立てるそれは、家だった。家だった物という方が適確か。
インシステントは確か倒されていた筈だが、と何者かが投げ付けた屋根を見つめていると、今度は車が、電柱が、瓦礫が矢継早に飛来してきた。
随分手荒な消火だと肩を竦め、唐丸はなおざりにしていた煙草に火を点けた。
「おいおい、お前まで来たのかよ慈島」
振り向かずとも、其処に居るのが彼であると理解出来た。
本部から担当地区を動くなと言われた以上、大人しく従っているとばかり思っていたが、まさか此処まで来るとは。
何もかも遅いが、だからこそ苛立っているのか。彼との付き合いも随分長いが、これほど殺気立つ慈島は覚えが無い。
物に当たるとは相当来ている。アクゼリュスの方に目を配りながら、唐丸は此処に来て介入してくれるなと慈島を見遣る。
「つか、マジで今更なんだが、何しに――」
言い終える間も与えず、慈島が拳を繰り出す。横に退いてそれを躱すと共に、慈島の手が撓うアクゼリュスの翅を掴み取った。
炎の壁が消え、焼けた呼吸器も回復出来た。相手が慢心している今が好機と瓦礫の隙間から翅を伸ばしたアクゼリュスだが、彼女はこの機に取るべき行動は、逃走だった。瞋恚も矜持も捨て、逃げるべきだった。恥を曝すことになろうと、構うことかと背を向けていれば良かった。
翅を掴まれ、瓦礫の山から引き摺り出された刹那、アクゼリュスは悟った。それは自分に死を齎すものだ、と。
「…………あ、ああああああああああああ!!!!」
頭を殴り付けられると同時に、体が地面に打ち当てられる。間髪入れず、地に伏せた体の上に足が乗せられる。全体重をかけて背中を踏み締められる苦痛も束の間。全ての翅を纏めて引き抜かれる激痛に、アクゼリュスは子供のように泣き叫んだ。
「いやぁああああああああああ!!!!」
無遠慮に翅を抜かれた背中が痛む。齧り取られた頭が痛む。痛くて痛くて、どうにかなってしまいそうになる。
背を丸め、凄絶な痛みに狂い悶えながら、アクゼリュスは何とか此処を離れなければと身を捻り、腕を振り翳した。
それを赤子の手のように容易く掴み取った慈島は、羽虫を潰すような眼でアクゼリュスの手首を噛み砕き、そのまま彼女の腕を捩じ切った。
「ひ……っ」
粗雑に千切った腕を投げ捨て、握り固めた拳を鎖骨に振り下ろす。これで腕は上がらない。
死の恐怖に竦み、痛みに怯えるアクゼリュスが身を縮める中、慈島は淡々とその体を抉り、削る。
「や、やめ…………やめ、て…………や…………い、ぎあぁああああああああああ!!!!」
核を喰えば、それで終わる。だのに慈島は、嬲るようにアクゼリュスを殴打する。
どれだけ彼女の悲鳴を返り血を浴びたところで、その心が晴れることは無いと知りながら。
「お願い……やめて…………助けて……」
人間が嫌いだった。
親が嫌いだった。兄弟が嫌いだった。隣人が嫌いだった。友人が嫌いだった。恋人が嫌いだった。他人が嫌いだった。ありとあらゆる人間が嫌いだった。
それでも彼女は、人の為に戦った。人を守り、人を庇い、人を支え、人に尽し、そして彼女は死んだ。
誰の眼も届かぬ場所で、彼女は自らの体に蝿が集り、蛆が群れるのを感じながら、打ち捨てられたゴミのように死んだ。人の為に戦い続けた彼女を、人は救わなかった。
そしてまた、彼女は誰にも救われることなく死んでいく。
「誰、か」
世界はどうして、こんなにも”残酷”なのだろう。
”残酷”の象徴として、誰よりも何よりも惨たらしく生きても、敵わなかった。最期に、望んだ相手にすら手に掛けられることだって叶わなかった。
体が、意識が、自分を形成するもの全てが削り取られていく中。彼女が垣間見たのは、氷の様に澄んだ翠色の瞳だった。
(きれいないろ)
千切られた腕を伸ばしても、届く筈が無かった。
それでも、こんなにも美しい眼の男になら殺されても構わないという想いに縋りたかった。
誰も知る由の無いその願いは、血の海に沈んで消えた。