FREAK OUT | ナノ



第五支部の誰もが、鬼怒川が副所長であることには納得している。

彼は長年、栄枝の右腕として働いているし、実力も彼女への忠義心も折り紙付きだ。栄枝を隣で支える副所長として、彼以上の適任はいないだろうと、所員達は鬼怒川の副所長就任を祝福した。


だからこそ、彼等には分からなかった。

そんな鬼怒川と同じ立ち位置に、彼岸崎という男が任命された、その理由が。


「彼岸崎さんは、勘違いされ易い言い方をしてしまうんですけど、いい人なんですよ。とても」


巡回を終え、栄枝行き付けの喫茶店に立ち寄って、新作のキャラメルフラッペを突きながら、店主らを交えて歓談し、すっかり日も暮れた頃。事務所に戻った愛は、栄枝と共に資料室の整理をしていた。


第五支部に配属されてから二週間。何処に何の資料があるのか記憶するには、とにかく通って慣れるのがいいだろうと栄枝に言われてから、一日の締め括りに此処に来るのが習慣になった。

分からないことがあれば栄枝が凡そすぐに答えてくれるし、常日頃から手入れが行き届いているお陰で記憶し易いのも幸いし、この二週間で、資料室内部にもだいぶ詳しくなってきた。


――此処で栄枝と二人、時に取り留めのない話しをしながら書類整理や掃除をするのも、そろそろ卒業する頃合いか。


そう思った愛は、思い切って栄枝に直接尋ねてみることにした。
何故、誰もが忌み嫌うような男を――彼岸崎を左腕として傍に置いているのか、と。


他にもっと、適任はいただろう。忠義心に篤く、人当たりもよく、それでいて優秀な。誰もが頷くような、左腕として相応しい人物がいた筈だ。
だのに、どうして彼岸崎を選んだのか。所員達から反感だってあっただろうに。何故、彼でなければならなかったのか。

その答えは、あまりにも予想外で、いっそ的外れにさえ感じられたが、栄枝は適当なことを言っている訳でも、何かを隠そうと嘯いている訳でもない。彼女の言葉は本心だ。


だが、あの彼岸崎をいい人とは、もしや栄枝は彼に騙されているのではなかろうか。

そう訝る愛に、栄枝は困ったような笑顔を浮かべながら、どうして自分が彼岸崎を評価しているのかを説いていく。


「あの人は、おかしいことや間違っていること……そういう、皆が見て見ぬふりをしてしまいがちなことや、言いにくいことを堂々と指摘してくれる人なんです。たまに、ちょっと言い過ぎじゃないかなって物言いもされますけど……でも、本当にいい人なんですよ、彼岸崎さんは。私はこれまで、何度もあの人の意見に助けられてますし……フリークスとの戦闘でも、たくさん支えてきてもらってるんです。それに……」


彼岸崎の口が過ぎることは承知しているが、それでも、彼は悪い人ではないのだと主張するように、栄枝は指折り数えながら、彼岸崎の良い所を挙げていく。

それは、上司と部下という関係上、当たり前に行われることのように思えるが、それでも、至らぬ自分を今日まで支えてきてくれた彼は本当にいい人なのだと、栄枝の表情は語っている。
こうなると、いよいよ洗脳説も取り下げた。

愛は、両手を使って数え始めた辺りで少し悩み出した栄枝を見ながら、改めて、少し考えてみた。


彼岸崎が敢えて憎まれ役を買っている――という風には思えない。

初めて彼と会った時に感じ取られた雰囲気からするに、彼の慇懃無礼な態度は恐らく素だ。
それに栄枝の言葉を照らし合わせてみるに、彼岸崎は自分が言いたいことを言っているだけと見ていいだろう。


そう考えると、確かに、どうしようもない悪人という訳ではないようにも思えるが――それでも、彼をいい人と評するのは栄枝くらいであろう。

時に正論を口にすることがあっても、だ。人に不名誉な二つ名を付けて毒付いているのは、褒められたことではない。
無論、栄枝もそれを分かっているのだろうが。


「では、今日も一日お疲れ様でした、愛さん。明日もまた、よろしくお願いしますね」

「あ、はい!お疲れ様でした!」





資料室での業務を終えたところで、今日は終業だ。

栄枝は、まだやることが残っていると所長室に向かっていったが、愛は手を付けるべき仕事もないので、寮に戻ることにした。


今日は市街巡回をしていただけで、戦闘も無かったので体力に余裕がある。所員寮のトレーニングルームで軽く運動して、後はゆっくりしていよう。


頭の中で寮に戻ってからの予定を組み立てながら、愛は「今日のご飯は何だろう」と呑気なことを考えながら、事務所の廊下を歩いていく。

曲がり角で、予期せぬ相手と鉢合わせることになるとも知らずに。


「おや、”英雄二世”」


噂をすれば影。普段は殆ど事務所にいない彼岸崎と、このタイミングで遭遇することになるとはと、愛は思わず顔を強張らせた。

嗅ぎ回るような真似をしていたことが、バレたということはないだろう。そもそも、今日一日だけのことだし、その間、彼岸崎と出くわすこともなかったのだ。


これは、単なる偶然。そう分かっていても、思わず肩に力が入ってしまう。

そんな愛の心情を知ってか知らずか。彼岸崎は嫌にゆっくりと歩を進めながら、此方との距離を詰めてきた。


「随分久し振りにお会いしましたね。今、仕事を終えたところですか?」

「は……はい」

「そうですか。それはご苦労様です」


決して、にっこりとは表現出来ない、細められた赤い瞳。その眼に睨まれている訳でもないのに警戒してしまうのは、未だ彼岸崎の腹の底が窺い知れないからだろう。

理解し難いものと対峙するというのは、次の瞬間に何が起こるか分からない不気味さがある。
上司に対し、そこまで狐疑するのも失礼というものだが。暗がりの中、葉陰に潜む獣に用心するように、喉元を食い千切られないよう身構えておくべきだと、本能が警鐘を鳴らしてくるのだ。

信じるにはまだ、早い。そんな想いから訝るような視線を向けていた愛に、彼岸崎はにこやかに会釈した。


「では、私は業務が残っていますので、これで。またお会いしましょう、”英雄二世”」


取り立て、二人で話すこともない。最低限の挨拶も交わしたし、これで締め括ってもいいだろうと、彼岸崎は足を進める。

このまま彼を見送っていれば、これ以上胸が不穏に苛まれることもなかったろうに。
それでも、心臓の中心に穿たれた毒の痛みに抗えず、愛は声を張り上げた。


「……あの!」


真に受けるなと言われても、彼はいい人なのだと説かれても、堪えようのない想いがある。譲れない一線がある。

愛は、鬼怒川の忠告を踏みつけて、僅かに眼を見開いて驚いている彼岸崎に食って掛かった。


「その呼び方は……止めてください」

「……その呼び方、とは?」


分かっているだろうに。わざと尋ねてくる彼岸崎に、愛は眉を吊り上げ、噛み付いた。


「私が、”英雄二世”って呼ばれることに対して嫌な顔をしていること……彼岸崎副所長は分かっていますよね?その上で、わざとやっているんですか?」


着任日。初めて顔を合わせた時から、ずっと不服だった。

その名称で呼ばれることも。敢えて二世の部分を強調するような彼の物言いも。
それでも、彼が敢えてその名を引っ張り出してきたのは、何かしらの意味があるのだろうと、愛は自らその話題に触れぬようにと努めてきた。

だが、鬼怒川達の話を聞いて、彼が、彼の思うがままに毒づいているのだと知った愛は、これ以上は我慢ならないと彼岸崎を詰った。


自分は、”英雄二世”ではない。
父親の後釜でも代理でもない。欠けた”英雄”の座の埋め合わせをする為だけの存在ではないのだ。

だから、二世などと言ってくれるなと睨みを利かせる愛に、彼岸崎は少し沈思して――やがて、何か思い当たったように、顎を擦りながら口角を吊り上げた。


「鬼怒川副所長辺りにでも言われましたか?私が、毒づかずにはいられない性分だとか」


どうしてそれを、と言葉を失った愛の反応に、彼岸崎は喉を鳴らして笑った。


初めて会った時の彼女は、”英雄二世”という呼び方に引っ掛かりを感じはしても、それについて口出しする気配をまるでみせていなかった。

不快に思っていたことには違いあるまいに。それでも、そう呼ばれてしまった意味が何かあるのだろうと、尻込みしていた。そんな彼女が、意を決したように噛みかかってくる理由など、想像に易いというもの。

全く素直でよろしいと、唖然とした様子の愛を見ながら、彼岸崎は大笑いするのを堪えるように、手で口元を覆った。


「その顔……クク、図星のようですね」

「…………じゃあ、貴方はやっぱりわざと」

「ああ、勘違いしないでいただきたいのですが……私は、嫌がらせのつもりで言っているのではないのですよ、”英雄二世”」


どの口で、とますます目付きを鋭くする愛に、彼岸崎は軽く肩を竦めた。

話は最後まで聞いてくれ、と。
今にも能力を発現しそうな程に気が立っている愛を視線で宥めながら、彼岸崎は誤解を解かんと釈明の言葉を続ける。


「私は、ただ事実と真実を口にしているだけです。貴方に関しても、この第五支部に関しても……私は、私が見ている事の本質を言っている。ただ、それだけのことです」

「……本質?」

「えぇ。貴方は、かの”英雄”真峰徹雄の娘として見られることを嫌い、二世と呼ばれることを拒んでいるのでしょうが……彼の血を引いている以上、貴方が”英雄二世”であることは事実。そうでしょう?」

「…………」

「それに、貴方は未だ”新たな英雄”としては確立しきれていないのです。ならば、”英雄二世”と呼ぶのが妥当だと思うのですが……どうでしょう?」


ぐうの音も出ない程、正論だ。


確かに自分は、”英雄”真峰徹雄の娘であり、彼の二世であることは覆しようのない事実である。未だ”新たな英雄”としての実績も何も得られていないことも。
悔しいが、彼岸崎の言う通り、今の自分は”英雄二世”と呼ばれても致し方ない。彼が、物事の本質を見抜き、それを言葉にしているという点は、認めざるを得ないだろう。

しかし、それはこの真偽を確めてからだと、愛はなけなしの反発心を振り絞るようにして、彼岸崎に尋ねた。


「それなら……栄枝所長は」


彼岸崎の言うことが真理であると飲み込むには、一つだけ、どうしても不可解な点がある。

これに対し納得が出来なければ、全てを白紙にすることも辞さないと、愛は彼岸崎に詰め寄った。


言えるものなら、言ってみろ。それがどうしようもなく真実であることを証明してみせろと。何かに祈るように。


「誰もが”聖女”と認める栄枝所長の本質が”魔女”だなんて…………そんなこと、ある訳がないじゃないですか」


栄枝は、誰がどう見ても”聖女”だ。
”魔女”の顔など隠しているようには見えない。正真正銘、真作の”聖女”である彼女の何処に、揶揄される悪性があるというのか。

糾弾するような眼で此方を睨む愛に、彼岸崎が見せた顔は――歓喜にも等しい嘲笑であった。


「貴方が此処に来て、もう二週間になる頃ですが……そろそろ、気が付いているのではないですか?」


それは、答えが見えていながら眼を閉じかけていた愛を嘲っているのではない。
寧ろ、彼は愛を評価していた。強過ぎる光に眼を潰されること無く、未だ疑心を抱き続けている彼女であれば、自分の言葉が通じるだろう、と。

彼岸崎は、とうに盲目と化した彼等を嗤笑しながら、影さえ出来ない明るみの中から、彼女が”魔女”たる所以を取り出した。


「此処の所員達は、彼女をあまりに慕い過ぎている……と」


彼の声以外には何一つとして響かない筈の廊下が、不穏に揺れる木々のざわめきが堪えない森の中のように感ぜられた。


先程まで、違和感など抱くことも無く過ごしていたこの場所が、魔物の巣食う薄暗がりに思えてきたのは、愛が確信してしまったからだろう。

此処が、彼岸崎の言う通り”魔女”の庭であることを。


「それは……」

「栄枝所長の人柄であれば、仕方ないこと……。そう思われているのでしたら、貴方も手遅れですよ」


彼岸崎は、そうなる前に事実を受け入れるべきだと、冷笑を絶やすことなく暴き立てる。
純度が高過ぎるが故に、何よりも強烈な毒を放つ、清らかなる”魔女”の本質を。


「確かに彼女は、人として出木過ぎているくらいの、素晴らしい御仁です。誰もが憧れ、誰もが慕い、誰もが尊ぶ……それは当然のことでしょう。ですが、人々の信仰篤き”聖女”と言えど、あの慕われようは最早、狂信の類……。彼女は最早、”聖女”の域を越えている。そうは思いませんか?”英雄二世”」


強く、優しく、美しく。誰からも愛されて然るべき存在といえど、限度というものがある。

人気タレントと称される者にさえ、一定数のアンチを有しているし、彼等を慕う者の中には少なからず不満を抱いている者もいるだろう。
だが、栄枝はそうではない。彼女は異常なまでに愛され、異常なまでに信頼され、異常なまでに奉られている。

其処に栄枝自身の意思はないとしても――否。彼女が意図していないからこそ、これは脅威であると彼岸崎は語る。


栄枝の聖性が、誰を脅かす訳でも、侵す訳でもないのに。彼は何をそんなに恐れているのだろう。

そう訝りながらも、愛はこの時、彼岸崎の言葉を殆ど飲み込みかけていた。


「……だから、栄枝所長は”魔女”だ、と」

「それと、もう一つ」


人々を狂わせる程の、魔術めいた清らかさ。それに加え、もう一つ。彼岸崎が栄枝を”魔女”と呼ぶ理由があった。

尤も、それは”魔女”という名称をよりそれらしくする為の後付けなのだが。より愛に納得してもらえるようにと、彼岸崎は栄枝の、無自覚の魔性を説いた。


「彼女は……栄枝美郷は、良くないものを手元に置く傾向にあるんですよ」


胸の奥で、泥で出来た花が開いてしまったような感覚がして、愛は思わず身を強張らせた。


気が付いてはならない。悟ってはならない。

こんな自分を迎え入れて、良くしてくれている人達に対する冒涜に他ならないのだからと否定しても、それは、無理に閉じようとすればするだけ手を汚し、醜く崩れ落ちていく。


ならば、自分はどうすればと、戸惑いながら泥の花を抱える愛に、彼岸崎は告げる。

どうにもなりやしない。最初から此処は、地獄の季節に咲き狂う”魔女”の庭なのだ、と。諦めを促すように、彼岸崎は囁いた。


「これも無意識下のことなのですがね。彼女は、私のような”死人花”を始め……”鬼”や”毒虫”、”早世児”と……他に行き場のないものばかりを囲う。だから此処は、”魔女”の庭なんですよ、”英雄二世”」


人々が忌むべきものを愛し、己の庇護下に置いて飼い慣らす。

成る程、否定しようがない。彼岸崎が見据える通り、確かに此処は”魔女”の庭だと、愛は痛感させられた。

例え栄枝にその気が無くとも、彼女の清らか過ぎる心は、甘い樹液のように行き場のないもの達を集め、魅了する。其処から感染していくように、与えられる蜜の味を知ったもの達は、彼女を”聖女”と崇め、自ら目玉を溶かしていく。


――嗚呼、だから彼女は、彼岸崎を左腕として据えたのだろう。


全てが腑に落ちてしまったと、心の中で頷く愛の肩を、彼岸崎はとんと叩いて、止めていた足を再び動かした。

もうこれ以上、語る必要は無い。後は”英雄二世”次第だと、彼岸崎は上機嫌に革靴を鳴らしながら、愛に向けて最後の忠告を残していった。


「理解出来たなら、”魔女”に魅せられる前に此処を発つことを考えなさい。さもなくば……クク、そうですね。”魔女”の使いの”カラス”にでもされてしまうかもしれませんよ」


二世と呼ばれるのと、どちらがマシか。
考えおいてくださいと言うような彼岸崎の笑う声の残響の中、愛は開き損ねた翼を閉じるように、目蓋を下ろした。


この眼で見た”聖女”の煌めきは、紛れもなく本物だ。

だのに、その姿を倣いたいと思えなくなってしまったのは、彼岸崎の言葉を信じざるを得なくなってしまったからなのか。自分が非情なだけなのか。


そんなことさえ決められぬままでは、きっと何者にもなれないのだろうと、愛は一人、空虚な拳を握り締めた。


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