FREAK OUT | ナノ


「う、げえぇえええッ!!」


廊下に設置された水飲み場。蛇口から垂れ流される水が、ざぁざぁと排水溝に消えていく。止め処なく吐き出される血液を巻き込んでいきながら。


「はぁ……はっ…………う、おえぇえええ!」


息を整える暇さえ与えず、込み上げ来る吐き気にやられ、愛は背中を丸め、びちゃびちゃと血を吐き出した。


――こうなることは、予測出来ていた。

ほぼ絶え間なく疑似フリークスを討伐し、時間短縮の為にと移動にも能力を使っては、体が悲鳴を上げる。

これくらい無茶をしなければ、蘭原に勝つことは出来ないということは、分かり切っていた。
だが、このことを口にすれば、彩葉は胸を痛め、勝負を中断してきただろう。だから、愛は黙って、作戦を決行した。


本当は、実習終了のブザーと共に倒れたいくらいだった。
凄まじい眩暈と嘔吐感。思考が覚束なくなるような熱に加え、肌が粟立つような寒気。どれも堪え難いものだった。
けれど、最後まで格好付けていなくては全てが台無しだと、愛は気丈に振る舞い続けた。

”英雄”は、弱みを見せてはいけない。いつでも不敵に笑って、どんな危機でも乗り越えなければならないのだと、愛は限界を越えるまで堪えて、堪えて、堪えて――。


(ごめん、彩葉ちゃん。ちょっとトイレ行ってくる)


そう言って、愛は部屋を抜け出し、廊下に出るや水飲み場へと走って行った。


そこから、堤防が決壊したかのように喀血し、背を撫でてくれる者もいない中で一人、愛は己の弱さを水に溶かし、流した。


誰にも見せてはならない。知られてはいけない。

自分は”新たな英雄”真峰愛だ。ようやく、此処から始まるというのに、その名前に瑕を付けてどうすると、愛は床にへたり込んだ体を無理にでも起こそうとした。その時。


「……バカめ。どう考えもオーバーワークだ」

そっと、弱り果てた肩を叩かれた。

後ろから。だが、振り向かずとも、誰が其処にいるのか、愛には分かった。


「な、がせ……教官」

「……行くぞ。医務室には、既に話をしてある」


今日までずっと、一対一で訓練してきたのだ。愛がとっくに限界を越えていることに、流瀬は気付いていた。

それでも、彼女が無理して誤魔化そうとしているうちには知らぬ素振りを貫いてきたが、それもここまでだろうと、流瀬は返事を待たずして、愛を抱き上げた。


愛の体は恐ろしく軽い。此処に来てから何度も倒れ、その度にこうして医務室まで運んで来たが、RAISEに来たばかりの頃よりも、彼女の体はずっと軽くなってしまったように思える。

――いや。事実、愛の体重は減少しつつあった。


体長が優れている時には、しっかり食事を摂っているし、食欲が無い時にはサプリメントや、支給レーションなどで補わせてきた。
基礎訓練で筋肉もついてきたので、本来であれば体重が幾らか増加して然るべきであったが――まるで何かの対価を支払うかのように、愛の体は日に日に軽くなっていく。


彼女に、奪われる理由があるだろうか。

ただ懸命に強くなりたいと願い、果て無き戦いに臨む彼女が、どうしてこんな、罰のような仕打ちを受けるのか。

流瀬は、ヒュウヒュウと弱々しく息をする愛を見遣り、痛切に眉を顰めた。


「教……官……。私…………」

「……大した奴だよ、お前は。”新たな英雄”の始まりとして、これ以上とない活躍だった」


愚か者めと、詰ってやりたかった。調子に乗って、自業自得だと叱ってやりたかった。

それでも、こんなに弱り果ててでも彩葉を救いたかった愛を責めることが出来なくて、流瀬は優しい言葉を選んだ。


「お前はこれからもっと強くなる。そして、綾野井や蘭原のように周りの奴等も強くしていく。そうしてお前は”新たな英雄”として名を上げると……誰もが認めた筈だ」

「そう……です、か………」


きっと、彼女はこれからもこうして身を窶し、それを誰にも見せまいとしながら戦っていくのだろう。

自分を包み隠し、何事も無かったかのように振る舞いながら、彼女を守ってきた彼のように。”怪物”慈島志郎のように。


「へへ、へ…………や……っ……たぁ…………」


流瀬にそう言ってもらえたなら、きっとそうに違いないと、愛は安堵し、その一瞬の緩みから意識を失った。


強く在ること。それだけが、己に許された存在意義。

彼を傷付け、その記憶を自ら消去し、許されざる罪から逃れた。それを贖うには、強く在らなければならない。誰よりも、何よりも。


そんな願いを、抱いてはいけないというのに。それしか無いのだと、愛はひたすらに理想を追い求める。

慈島は、それを望んでなどいないのに。


「……”怪物”も”英雄”も、行き着く先は同じというのか」


力無く横たわる愛の体を抱く腕に力を込めながら、流瀬は呟く。

運命を変えることが出来ないのであれば、せめて彼女が負う痛みが、少しでも和らぐようにと祈りながら。




時は無情にも流れていく。


「真峰!そこで足を止めるな!!また倒れたいのか!!」


体を鍛え、技を磨き、知恵を付け。時に大きな痛みを伴いながら、少女は”英雄”へと近付いていく。

地を這いながら、泥を飲み、草を掴んでまでも進んでいくように。彼女はひたすらに、我武者羅に、強さを求め、戦う為の自分を作り上げた。


「おめでとう。管轄部から、君のRAISE卒業許可が下りた。来期から君は、FREAK OUTの正規戦闘員だ」


”新たな英雄”――。

消えた父の姿さえも浮かび上がらせるような、強い希望の光になるのだと、少女は羽撃く。

己を育んだ鉢植えから飛び立ち、自分の力を必要とする人々に尽し、この名を彼の耳に届けるのだと。少女は、血の道を行くにはあまりに細過ぎる脚で踏み出していく。


「愛ちゃん……私、本当に、本当に貴方に会えてよかった」

「真峰!俺もすぐに卒業して、お前に追いつく!!だから、まだ勝ち誇ったりするんじゃないぞ!!」


陽射しが一層眩しさを増す頃。実に二ヶ月あまりを過ごしたRAISEを、愛は異例の速さで卒業した。

そして、たった一人で降り立った新天地で、彼女を待ち受けていた未来。仮にその結末に名前を付けるのであれば――。


「ようこそ真峰愛さん。私がFREAK OUT第五支部長……栄枝美郷。今日から、貴方の上司です」


人はそれを、絶望と名付けただろう。


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