霊食主義者の調理人 | ナノ


羽美子の声を号令にするように、ギィンと霊切り包丁を鳴らして、伊調が大きく一歩踏み出した。
同時に、キィイイインと鋭いノイズが辺りを震わせて、オーナーシェフは反射的に身を縮めた。


見えないモノが、咆哮を上げているようで、ひた恐ろしい。

とてもじゃないが、こんな状況で、伊調のことを見ている余裕などない。
出来ることなら今すぐにも帰りたい、とオーナーシェフがすっかり腰を抜かしているのに対し、羽美子は威風堂々と佇んでいた。


視えていないから恐ろしくない、という訳ではないだろう。彼女とて、目の前にいるモノの脅威は十二分に分かっている筈だ。
それでも、一切臆さずにいるのは、彼女が退魔師たる故なのか――。

などと考えていたオーナーシェフを次に戦慄させたのは、宙を舞う包丁の群れであった。


「な、なあああ?!!」


包丁が飛んでくることはこれまでも数回あったが、十数本が一斉に動いてくることは、一度もなかった。

オーナーシェフは、大慌てでキッチンから顔を引っ込め、身を丸めたが、そんないじらしい自己防衛は杞憂に終わった。


「料理人ナメんのも大概にしろよ、コラ」


ドスの効いた声が響いたかと思えば、次いでギィンギィンという凄まじい衝突音。
思わずもう一度キッチンに顔を出したオーナーシェフが目にしたのは、飛んでくる包丁を端から弾いていく伊調の姿であった。

その動き、まさに超人的。
不活発な見た目からは想像も出来ぬ速さで攻撃を防ぐと、伊調は霊切り包丁を一丁、壁に向かって投げた。


「ぎいやあああああああああ!!!」


霊切り包丁は、其処にいるモノに突き刺さったらしい。耳を劈くような悲鳴を上げるそれに追撃をと、伊調はもう一丁、霊切り包丁を突き立てた。

そこから、ブシュウウウと音を立てながら、紫色の血飛沫が上がると、やがて壁や天井を這い回る靄のような何かが視えた。

未だ形はよく捉えられないが、ぼんやりと視えるだけでも、かなり大きいことが分かる。
こんなものが本当に――とオーナーシェフが竦む中。それをしっかりと見据えたまま、伊調はツールボックスから更に二丁、霊切り包丁を取り出した。


「血抜き、完了。次は皮剥きだ」


ダメージを受け、<霊装>に緩みが出来ているらしいそれが、伊調に向かって無数の手を伸ばすのが、おぼろげながら視える。

オーナーシェフは思わず「危ない!」と叫んだが、それも要らぬ心配であった。
伊調は人間離れした動きで身を翻し、手と手の間を掻い潜るようにして驀進しながら、刃を滑らせ――。


「まるで桂剥きね」

「大根に失礼じゃないか、それは」


羽美子が喩えた通り、薄く削がれた皮は透けるような白さも相俟って、大根の桂剥きめいていた。

だが、そんなことよりも、腕を剥がれた痛みで正体を現したそれに、オーナーシェフの目は釘付けにされていた。


「これはこれは……随分食べ応えがありそうね」

「まぁ、手応えもそれなりにありましたからなぁ」


引っくり返した蜘蛛の体に、無数に生えた人の腕。
三つに枝分かれした長い首の内、二つは霊切り包丁によって顔が潰されているが、残る一つはこの世のものとは思えぬ悍ましい形相を浮かべ、伊調を目玉のない眼窩で睨んでいる。

超弩級、と伊調が言ったのも頷ける。
一般的なそれのサイズなど知らないオーナーシェフでも、これはデカいと言わざるを得ない程の巨体が、部屋の角に張り付いていた。


「あいつが……ポルターガイスト」


想像すると、全身の血の気が引く程、ぞっとする。

これが、天井を這いまわり、あの夥しい手を使って店を荒らし、あの恐ろしい顔でほくそ笑んでいたのだと思うと、震えが走る。

いっそ視えなければよかったと顔を蒼白させるオーナーシェフだが、やはり羽美子の方は動じることなく、ポルターガイストを品定めするような目付きで眺めていた。


「で、伊調。貴方はコレを、どうイタリアンに?」

「塩と油で、マリネ風にしようかと」


言いながら、伊調がもう二本の霊切り包丁を投擲すると、腹部を貫かれたポルターガイストがズシンと音を立て、床に落ちた。
落下したポルターガイストは痛みに悶え、皮を剥かれた手を蠢かせながら、滅茶苦茶に叫んでいる。

言われてみれば、蛸に見えないこともないか――なんて思って、即座に気分が悪くなって、オーナーシェフは口元に手を宛がった。

あんなものをマリネになど、嫌過ぎる。というか塩と油って、と突っ込もうとしたところで、伊調がツールボックスからボトルのような物を取り出した。
中身は、白い粉末と薄黄色の液体。見た目には、塩と油だ。

あるんかい、と思わず声に出た頃には、伊調はボトルを投げつけ、ポルターガイストに容赦なく中身をかけていた。

その過程に何の意味があるのかと思ったが、ポルターガイストは堪え難い激痛に狂い悶えるような絶叫を上げ、のた打ち回っている。


そういえば、塩には除霊効果があるんだったか。

オーナーシェフがなけなしの心霊知識を掘り返していると、地獄の底を彷彿とさせるような低い声が鼓膜を震わせてきた。


「き……貴様、らぁ……ッ!!」


驚いた。まさか、人語を発するとは。
おどろおどろしい声に戦慄しながらも、オーナーシェフはポルターガイストが喋ったことに驚嘆した。

だが、伊調と羽美子にとって、これも別段驚くようなことではないらしい。
平然とした面持ちをしたままの二人が、心底腹立たしいと、ポルターガイストは怒りに顔を歪め、咆哮した。


「この俺に、よくも!! よくも!!! この恨み、晴らさでおくべきか!!!」

「おぉ、すげー。本当に言うんだな、そのセリフ」


唯一、悪霊の常套句とも言える言葉に反応を示したが、伊調はすぐに興味を失くしたような顔になって、ポルターガイストを見下ろした。

その眼の冷淡さに竦んだ刹那。ポルターガイストは、己の体が何かに捕らわれる感覚に見舞われ、絶句した。


ポルターガイストは、痛みや屈辱で、気付かなかった。
自分の体に浴びせられた油が、いつのまにか滴り落ち、床に不可思議な紋様を描いていたことに。


伊調がかけた油は、無論、ただの油ではない。霊の力を吸い上げ、その力で霊を拘束する為の魔方陣を描く<討霊具>の一つ――魔種油だ。

そうとも知らず、まんまと油を被ったポルターガイストは、魔法陣の力で宙に浮かされ、やがて現れ出た一枚の皿の上に乗せられた。これも<討霊具>の一つ。縛式の皿だ。


「盛り付け、完了っと」


皿の上に乗せられた途端、ポルターガイストの体を凄まじい絶望感が襲った。

此処に乗ってしまったこと即ち、終末であると、直感が訴えかけてくる。
遅過ぎる、警鐘。それに従い抗おうにも、しかと固定されて身動ぎ一つ出来ず。ポルターガイストは、怨嗟の声を上げた。


「許さん……許さんぞ、貴様らぁああ!! 呪ってやる……末代まで、呪ってやるぅうう!!!!」

「二度目の断末魔は、それでよろしくて?」


聞くに堪えないその叫びを遮ったのは、羽美子が投げた銀のフォークだった。

それは、伊調の霊切り包丁と同じ、蒼白い光を纏いながら、彼女の手元から離れるや巨大化し、ポルターガイストの最後の頭部を潰し、腹まで貫いてみせた。

その圧倒的な光景に、オーナーシェフだけでなく、伊調も眼を見開いていた。


例の如く、これも事前に耳にしてはいた。

――霊餐のフォーク。退魔師一族・神喰家に代々伝わりし、唯一無二、この世でただ一つ、霊を捕食する為の<討霊具>だ。


「前菜にしては、中々食べ応えがありそうね。初仕事にしては上出来よ、伊調」

「……どうも」


やがて、元のサイズに戻ったフォークと、それに乗る程のサイズになったポルターガイストを見て、羽美子はうっとりと微笑んだ。


そう。彼女――神喰羽美子は、悪鬼と化した神をも喰らったと言われる退魔師一族の末裔。
悪しきモノを噛み砕き、腹に納め、呪いも祟りも欠片も残さず消化する一子相伝の秘術・霊餐の後継者。
霊が視えない身でありながら、教会最強の名を冠する退魔師なのだ。


「いただきます」


大きく口を開け、ポルターガイストに齧り付く羽美子を見ながら、オーナーシェフはようやく合点がいった。


何故、二人の退魔師が派遣されたのか。何の為に羽美子がいて、何の為に伊調がいるのか。

悪霊調理なんて言い方をしていたのは、此処がレストランだからと因んだ訳ではないということも含め、理解出来た。


絶対的な力を持ちながら、霊を視ることが出来ない羽美子。
彼女の前に霊を差し出す為に、伊調が悪霊調理を施し、視えるようになった霊を羽美子がフォークで射抜いて、食べる。

その為に、二人が、二人でいるのだ。



「ごちそうさま」

prev next

back









×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -