楽園のシラベ | ナノ


水夫が巧みに操る櫂が水を掻き、陽の光で眩く輝く川を、一隻の小船が進む。

岸で洗濯や水浴びをしている人々や、流れていく辺りの景色を眺めながら、女は歌を口遊んだ。

遥か昔を彷彿とさせるような馴染みのない言葉と、古びた旋律。
川のせせらぎと協和して、一層懐古感を増すその歌に、同席していた地元の村人は、思わず女に声を掛けた。


「なんだか、懐かしい歌だな」


ぴた、と歌うのを止めた女が、振り返る。

大きな荷物に、傍らに連れた派手な鳥と、此処らでは見ない姿形をしていることから、彼女は旅人だろう。
ならば、彼女が口遊んでいたのは、女の故郷のものだろうか。

それを自分が懐かしむのも、可笑しなことだと思いながら、村人は煙管を吹かし、尋ねる。


「この土地の歌じゃあ、ねぇはずなんだが……なんて曲だ?」


テンガロンハットの庇の中。グリーンの瞳が、寂寥に揺らいだ。
それを誤魔化すように、女は帽子の鍔を下げ、村人の問いに返答する。


「……名前は、ねぇ」


自分が同じことを問うた時のことが、もう随分前のことに思える。

あの時、男が見せた顔も、夕焼けの鮮やかさも、はっきりと思い出せるのに――。
女は小さく苦笑しながら、かつて聞いた答えを、そのまま口にした。


「ただの、とびきり古い歌だ」





人知れず、楽園と救世主が心中してから、四年の月日が流れた。

彼が命を懸けて、この星を巨大な実験場としていた外敵を打ち倒したことなど、誰も露知らず。世界は、これまでと何等変わりなく、廻り続けている。

そんな中。彼女は再び、何処に行けばいいのかも分からぬ旅をしていた。





「リヴェルちゃんは、これからどうするっすか」


シラベに逃がされたリヴェル達は、あの後、シソツクネから改めて、全てを聞かされた。

焼かれた手紙に記されていた、シラベの真情。《イニシエート》と寄生生物のこと、彼の想い、そして――シラベが二人の為に用意していた、希望のことを。


「……シラベが話をしてくれてたっつー、奴隷解放レジスタンスのとこに行くよ。アンタは?」

「俺も、シラベさんの知り合いがいるっていう、ユージィ大陸のルシモフに行って、色々勉強してくるっす」


シラベは旅の最中、リヴェルとクルィークに宛てて、奇跡よりもずっと確かなものを工面していた。


世界規模で活動している奴隷解放レジスタンスに、リヴェルと彼女の母親について頼み込み。
アストカ同様、苛酷な環境下で争いを繰り広げてきた北国・ルシモフの知り合いに、クルィークのことを紹介し。
楽園を前に突き離された二人が、もう宛てもなく迷うことがないようにと、シラベは暗躍していたのだ。

それは、幾らか時間を要するが、確実な道であった。また、奇跡なんてものを求めて、広い世界を彷徨うより、ずっとずっと近道だった。

いっそ、狡いと思ってしまうくらい。


「シラベさん、キャラバンを売り払って、お金まで用意してくれてたんっすね」

「来タ道戻ルニモ、コレカラ先ニ進ムノニモ、金ハ必要ダカラナ……ッテヨ」


二人をキャラバンに乗せた時から、こうするつもりだったのだろう。

手紙以外には何も残さず、姿を消したシラベのことを思い浮かべて、二人は、手離しで喜べなかった。

自分達が得た希望は、シラベの犠牲の先に用意されていたのだ。
どれだけ渇望してきたものでも、その裏に悲哀と血の匂いがこびり付いていては、仕方ない。
かといって、それを受け取らなければ、シラベのしたこと全てが無駄になる。
少しでも彼に報いたいと思うのなら、有り難く、シラベが与えてくれた希望を、頂戴するしかないのだ。

都合のいい考えのようだが、それで、間違いはない。

自分にそう言い聞かせながら、リヴェルもクルィークも、それぞれの新たな旅路へ就こうとしていた。


「そういや、シソツクネはどうするんっすか?」

「オレハ…………」


一同の中で、唯一行く宛のないシソツクネは、迷っていた。

彼は元々、シラベに何となくついてきただけで、行きたい場所も、やるべきこともなかった。
シソツクネの旅は、シラベがいたからあったもので。彼のいない今、シソツクネの前にあるのは、大きな空虚で。
このまま、パクアブの近くで野良として、適当に過ごしていようか。それとも持前の歌声を使って、自らサーカスにでも売り込みにいこうか。
ぽっかりと空いてしまった今後を、どうしたものかと考えあぐね、返事に困っていた時だった。


「……なぁ、シソツクネ。もしよかったら、私と来ないか?」


思いがけない誘いに、シソツクネはコトンと首を傾げた。

リヴェルが彼を連れて行こうとするとは、クルィークも想像だにしていなかった。
だが、彼女の次の一言で、シソツクネもクルィークも、リヴェルが何を想って彼を誘ったのか、察しがついた。


「私……母さんを助け出した後、やりたいことがあるんだ。その為に、アンタがいてくれると助かるんだけど……どうかな?」

「……オレハ、コレカラヤルコトモ、帰ル場所モネェカラナ。イイゼ、付キ合ッテヤルヨ」


断わる理由は、シソツクネには無かった。

見ないようにしていた横道を、行ってみようと誘われて、寧ろ、彼は嬉しかったのだ。
通れるか否かも分からない、細い細い道の先。其処に、もしかしたらがあるかもしれないと思っているのは、自分だけじゃなかったのだと、シソツクネはリヴェルの肩に乗って、嘴を鳴らす。


――飽きもせず、また一人と一羽は、奇跡なんてものを探そうとしている。

クルィークは、何とも言えない笑みを浮かべながらも、新しい進路を見付けたリヴェルとシソツクネの眩さに、目を細めた。


「じゃあ……此処でお別れっすね」


そうこうしている間に、二人と一羽にも別れの時がやってきた。

リヴェルとシソツクネは、此処より北東にあるレジスタンス本拠地へ。クルィークは海を越えてルシモフへ。各々の求める希望を手にする為に、それぞれの道に就く。


元々、彼女達の道は、交わる筈が無かった。

リヴェルとクルィークは、同じ《アガルタ》の奇跡を求め、彷徨っていたもの同士でこそあったが。シラベがいなければ、彼と出会うことが無ければ、二人が共に旅をすることなど無かっただろう。

思えば、これも立派な奇跡なのかもしれないと小さく笑いながら、クルィークは岐路へと踏み出した。


「二人共、いつか……俺の故郷に遊びに来てくださいね。その時までにアストカを、豪華なお持て成しが出来るくらい豊かな場所にしてみせますから」

「あぁ、楽しみにしてるよ」


この別れが、最後になるものではないと、二人と一羽は確信していた。

何時になるかも分からない。だが、どうしたって、この面々はもう一度顔を合わせることになると、そう思えて仕方ないのだ。

希望的観測でしかないのだが――そうあったら、と思う一念があるからだろう。


「元気でな、クルィーク!」

「ルシモフマデ、行キ倒レルナヨ!」

「リヴェルちゃんも、シソツクネもお元気で! また、絶対会いましょう!!」


もう一度と言わず、何度だって。また会って、共に食事をしたり、話したりして、笑い合う日が必ず来る。

その為に今の別れがあるのだと、リヴェルもクルィークもシソツクネも、実に晴れやかな表情で手を振り、新たな旅路に就いた。


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