楽園のシラベ | ナノ


「あっはははは! そうっすか、あの二人、そんなことになってるんっすね!」


北の最果て。雪深い山々に囲まれた集落に、明るい笑い声が響いた。

随分久方ぶりだが、彼もまた、相変わらずなのだなと、リヴェルは安堵した様子で、振る舞われたスープを啜った。


「いやぁ、人ってどうなるか分からないものっすねぇ」

「時が経てば、色々変わるもんだ……って思ってても、あいつらについては本当に予想外過ぎたよ」

「俺も、いつか行って見てみたいっすねぇ。エルドフさんにそっくりな子供さんの顔と、特別上等なワイン」


あれから何度か、リヴェルはクルィークから手紙を貰っていた。

ルシモフに無事着いた時。シラベの知り合いから様々なことを学んだ後、故郷に戻った時。そして、ルシモフから持ち帰った農作物や家畜が、無事に育った時。
時たま写真付きで、自分の様子を報告してきたクルィークが、故郷に帰ってから幾らかした頃。
尋ねても、話す時間が設けられそうだという塩梅になったところで、リヴェルとシソツクネはアストカを訪れた。


あれからクルィークは、相当な努力をしてきたのだろう。
話に聞いて浮かべていたイメージよりも、ずっとアストカは豊かで、活気ある場所だった。

ルシモフで譲り受けたのだろう作物が畑で緑の葉を伸ばし、向こうでは寒さに強い家畜達が、雪を掻き分けながら樹木の皮を食んでいる。
狩猟の方も、未だ続いているのだろう。加工した皮製品を乗せた荷馬車が行商の仕度をしたり、鍛冶屋が武器を打つ音が聴こえて来たりする。

農耕と牧畜が安定してきたからこそ、今も盛んに狩りが出来ているのだと、リヴェルは感心しながら、スープをもう一口頂戴する。


「で、どうっすか? アストカの新名産、ボックリ芋は」

「でかいし美味いし、言うことなし」

「へっへへ、そうでしょう! ここまで大きく育てるのに、色々試行錯誤したんっすよ!」


コンソメが染みた、柔らかく煮込まれた芋や野菜。
ルシモフ原産の農作物を、ただ育てるだけでなく、アストカの地でより一層、美味く大きく出来るよう。クルィークは日々、たゆまぬ努力と試行錯誤を繰り返してきた。

その果てに、大振りの作物が収穫出来た時の喜びと言ったら、筆舌し難いものであったが。
こうして客人に褒めてもらえると、また一塩だと、クルィークはほくほく顔で、自分の分のスープを口にした。


「ルシモフでもらった作物や家畜のお蔭で、アストカも結構豊かになってきたっす。村で賄える分が増えただけ、山の獣も増えてきたので、奪い合うことも無くなって……まだまだ問題はてんこ盛りっすけど、俺の望んでた故郷の姿に、段々近付いてきたっす」

「……そっか」


何もかもが、望んだ通り、上手く運んでくれはしなかった。

持ち帰った作物や家畜の中には、アストカに馴染まず死に絶えてしまったものもあった。
狩りを減らし、農業を増やすことに反対する者も多かった。
移民との和解を望めば、身内との争いが勃発し、集落が崩壊寸前にまで陥ったことだってあった。
どうにか納得と了承を得て、話し合いに向かった先で襲撃され、怪我を負い、それ見たことかと言われもした。
それでも負けじと、何度も通い詰め、話を聞き入れられるようになって、ようやく和解出来た後も、山積みの問題に苛まれた。

そんな数多の艱難辛苦にも挫けることなく、クルィークは四年の間に、アストカを変えた。
奪い合わず、殺し合わず。手と手を取り合い、助け合い、分かち合う。そんな、楽園めいた場所に。

それが、嬉しくて仕方ないのだと語るクルィークを見て、リヴェルは彼の言葉を思い出していた。


(だから、全部終わったその時は……今度こそ、本当の楽園と、新しい希望を探してくれ)


彼が言っていたのは、こういうことだったのだろう。

楽園とは、《アガルタ》のことだけではない。
見知った場所でも、地図に載っている何処かでも。自分にとって素晴らしいものであるのなら、其処が楽園になる。

いや、それこそが、本当の楽園だと、彼は言いたかったのだろう。
かつて楽園と呼ばれたあの場所の真実を知っていた、彼だからこそ――。

リヴェルは、未だ鮮明に目蓋の裏に浮かぶ、あの日のことを回顧すると、皿に残ったスープを掻っ込み、席を立った。


「じゃあ、また来るよ。いつかになるか分からないけど、その内」

「……リヴェルちゃん」


遥々アストカまで来たというのに、もう旅立とうというリヴェルに、もっとゆっくりしていってはどうか、とクルィークは言えなかった。

リヴェルが此処に来たのは、クルィークに会う為でもあったが、それは限りなくついで、とも言える。

彼女自身は、そんなことないと否定するだろうが、本分はそうではない。それを知っているからこそ、クルィークは、急くリヴェルを止められなかった。


「…………次は、何処に行くんっすか?」

「……大陸を、越えてみようと思ってる」


急拵えの作り笑いで尋ねると、似たような顔で、苦々しく答えられてしまった。

彼女も、此方が考えていることを、分かっているのだろう。
それでも立ち止まれないのは、母親を待たせてしまっているという焦りがあるからか。或いは――無我夢中になっていないと、不安になってしまうからか。


「端から端まで探してみたけど、あいつはいなかった。だから……次は、別の大陸を探してみるよ」

「……そうっすか」


痛切な笑みを浮かべ、努めて明るく振る舞うリヴェルに、クルィークは手を伸ばせなかった。

今此処で、彼女を制止してしまう以上に、残酷なことはないだろう。

例えこの先、彼女が追い掛ける希望が何処にも無いとしても。リヴェルが奇跡を信じている限りは、背を押してやるのが一番に違いないのだ。


「土産、次来る時に持ってくるよ。だから、楽しみにしててくれよ、クルィーク」


人は彼女を、愚かだと嗤うかもしれない。

夢幻を追い掛け、世界中を彷徨って、ひたすら徒労を重ねるなど、馬鹿のすることだと指を差すかもしれない。

だが、彼も彼女も、かつてそうして、お伽話の奇跡に縋ったからこそ、求めていた希望を掴めたのだ。
ならば、今度もまた。夢や幻を手にすることが出来たって、おかしくない。

これから先、彼女に今まで以上の苦難が待ち構えているとしても。きっと、大丈夫だ。

世界を絶望させやしないと、そう、彼が言ったのだから。


「はい。待ってるっすね、リヴェルちゃん」


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