楽園のシラベ | ナノ


「すげーな、エルドフ! この女、混血じゃねぇか!」

「だろ? 面も悪くねぇし、こいつぁ高く売れるぜ、ビッグ・ジョー」


水面の僅かに下を、ゆらゆらと揺蕩っている感覚。
頭上から聴こえてくる声がそれを緩やかに晴らしていくと、視界がゆっくりと開けた。

まず最初に眼に入ったのは、床だった。鉄臭く、所々赤錆びた、鉄板製の床。
その上に自分が床に転がされていること。それと、体がロープで縛られて身動きが取れないことに気が付いたリヴェルは、ざぁっと顔から血の気が引いていくのを感じながら絶句した。


どうして、こんな。


こうなった訳は、分かっている。何が起きたのかも、覚えている。
それでも、問い掛けずにはいられないと、リヴェルは未だ覚醒しきっていない頭で愕然とした。

すると、バックミラーで此方の様子に気付いた例の青年が「おっ、眼が覚めたか」と、悪意を煮締めたような顔で笑ってきた。

リヴェルは、それでようやく自分が彼のトラックに乗せられていることを認められた。


エルドフと呼ばれた青年。彼にトラックまで案内されたところで、リヴェルは突如後ろから何者かに捕まり、何かの薬を嗅がされた。
あれは、運転席の新人類――ビッグ・ジョーと呼ばれていた大男の仕業だろう。意識を失い倒れた自分を、荷台に積んだのも、恐らく彼の方だ。

つい先刻も、人を見かけで判断して痛い目に遭ったというのに、またやってしまったとは。
酷く愉しそうな眼をして此方を見てくるエルドフとビッグ・ジョーに、リヴェルは歯噛みした。

見定められていたのも、騙されていたのも、こっちだった。あそこでリヴェルが、エルドフを獲物にしようとするその前から、彼が彼女を獲物にしていたのだ。


「まだ寝てていいぜ。ちゃんと取引先までは届けてやるからよ」

「届けるっつーか、売り払いに行く、だけどな!」

「お前ら……ヒューマン・トレーダーか!」

「その通り」


リヴェルは、二つのことを失念していた。

一つは、エルドフが自分を騙しているかもしれない、ということ。
一つは、帽子を被っていたところで、剥がされてしまえば何の意味もないということだ。


「今日は取引先に挨拶に行くだけだったんが……まさか、休憩に立ち寄った先で、いいエモノが見付けたと思ったら、レアモノときたもんだ」

「他にツレがいねぇってのもラッキーだったな! 日頃の行いがいい俺らへ、神様からのご褒美だな!」

「あぁ、まったくだ」


一人旅をするのに辺り、最も警戒すべきは野盗や、彼等のようなヒューマン・トレーダー。
悪趣味な金持ちを相手に人間を売って商売している奴隷商人だ。

詳しい相場は分からないが、混血は珍しいということで、他の人種より高額で取引されているということは、リヴェルも知っていた。

だというのに、声を掛けてきた初対面の男を疑うことさえせず、まんまと嵌められてしまうとは。これをマヌケと言わず、なんと言う。
リヴェルが歯を噛み砕き兼ねない勢いで自己嫌悪していると、エルドフが助手席から身を乗り出してきた。

自分よりも遥かに上手であった、この男。人でなしの所業に出ようとしていたから、罰としてこんな奴に目をつけられたのだと、そうは思っても、騙くらかしてくれたエルドフに対し、怒りが湧いてくる。
堪え切れず、エルドフを思い切り睨み付けてやったリヴェルだが。虚勢を張ることさえ、彼は許可してくれなかった。


「反抗しよう、なんて考えるなよ」


ガヅン!と鈍い音を立てて、リヴェルの顔の真横に、彼女のナイフが突き立てられた。

縛り上げる際に、ちゃっかり見つけて、引き抜いていたらしい。

これでついに、自分に反撃の手が何一つないと悟ったリヴェルが言葉を失くす中。エルドフは卑しく細めた眼で、彼女の絶望した顔を舐めるように眺めてきた。


「暴れなきゃ優しくしてやっから、大人しくしとけよ。俺らも、せっかくの商品に傷つけたくねぇしよ」


これは、罰なのだろうか。
人を踏み台にして、楽園へ至ろうとした自分に下された、審判だというのか。

因果応報、自業自得。そう言われれば、返す言葉もないし、こうなることだって覚悟していた。
それでも、リヴェルにはそれしかなかった。こうでもしなければ、絶望に拉がれているしかなかった。

誰も欺かず、人の道理に従って生きていけたのなら、そうしていたかった。
けれど、そうはいかなかった。だから、リヴェルは苦悩の果てに、この道を選んだのだ。

傷付くことも傷付けることも辞さず、残された唯一の希望を掴む為に、リヴェルは荊犇く獣道を歩くことを決めた。
そして、その結果が、これだ。


リヴェルは、エルドフの嘲笑を受けながら、悔しさや悲しさを擂り潰すように歯を食い縛った。

そうでもしなければ、大声を上げて泣き喚いてしまいそうで。少しでも口を開いたら、そこから堪えてきた想いを全て吐露してしまいそうで。
最早意味のない強がりをしたまま、リヴェルはエルドフ達ヒューマン・トレーダーの取引先へと運ばれていく。

其処で裸に剥かれ、値踏みされ、相応の価格を付けられた後。買い付けられて、何処かの金持ちの奴隷にさせられるのだろう。
そうなれば、リヴェルは≪アガルタ≫を目指すどころか、二度と自由に歩くことさえ出来ない。希望は、完全に閉ざされる。


地獄の門が徐々に近付いていくというのに、抗う術も気力も無くしたリヴェルの瞳から、涙が零れ落ちた。
冷たい床が、その粒を弾いた時。突如車がギィイイイイッと音を上げて、大きく揺れた。


「オイ! 何やってんだ、ビッグ・ジョー!!」


ビッグ・ジョーがいきなりブレーキをかけ、急停止したのが原因らしい。

助手席に戻ろうとしていたところ、突然車体が揺れてバランスを欠いたエルドフは、体勢を直し、運転席に身を乗り出した。

一体何事だとエルドフが詰め寄ると、ビッグ・ジョーは慌てふためきながら、フロントガラスの先を指差し、叫んだ。

それが、絶望に冷え切っていたリヴェルの心に、光を齎すことになるなど、知る由もなく。


「と、鳥が!!」

「鳥ぃ?!」

「あぁ! 派手な色した鳥が、いきなり窓に張り付いてきやがったんだよ!!」

「!!」


思わず、上体を起こして、ビッグ・ジョーが指差す先に目を遣る。

向こうから「何処にそんな鳥がいやがる!」と、苛立ったエルドフの声が聞こえてくる。
彼の言う通り、派手な鳥の姿など何処にも見えず、リヴェルは、そんな訳がないかと気落ちしかけた。

しかし、彼女が再び沈み込むその前に、再び車がガクッと大きく揺れた。


「今度は何だ?!」


何かが大きく欠けて、車体が落ちたような感覚。
その正体を突き止めるべく、エルドフとビッグ・ジョーは大童で外へと飛び出した。

リヴェルは無論、其処から動くことが出来ず、何が起こったのか確かめる術は、外から聞こえてくる二人の会話しかなかったのだが。


「タ……タイヤが!!」

「なんだよコレ!!」

「おやぁ、お困りのようだなぁお兄さん達」


荷台の天井が一瞬煌めいたかと思えば、凄まじい勢いで吹き飛び、青い空が視界に広がった。
この現象には、覚えがあった。


つい先刻。そう、リヴェルの散弾銃がクズ鉄に成り果てた時と同じ。厚い金属さえも容易く切り裂く一閃の輝き。

もう、期待も、希望も抱かないと決めていたのに。

荷台後部も切り裂かれ、拓けた先に、白銀の影と、その肩に止まる派手な鳥の姿が見えてしまったら。


「タイヤがパンクしたんなら、うちで買ってかねぇか? なぁに、格安良心価格で売ってやっから、心配しなさんな」

「……お前」

「そこの子羊ちゃんと交換、ってことでよ」

「シラベ!!」


堪え切れず、名前を呼んでしまったリヴェルに、シラベは小粋にウインクをかました。

どうして、とか、なんで、とか。そんな言葉よりも、ただただ感動が込み上げて、仕方ない。
何もかもを諦めて、挫けて、折れていたところに現れてくれたシラベに、リヴェルは涙を零すことさえ忘れていた。

そんな中、一体何がなんだか分からぬまま、車をスクラップにされてしまったエルドフとビッグ・ジョーは、この事態を引き起こしてくれたシラベに詰問する。


「なんだてめぇ!!」

「おっと。そういや、自己紹介がまだだったか」


言いながら、シラベは軽く片手を振るう。
その動きに合せ、二人の横に冷たい風が吹いたかと思えば、遅れてエルドフの細身も、ビッグ・ジョーの巨体も揃って横に吹っ飛んだ。

地面に叩きつけられる寸前、二人は、鞭のような形状になったシラベの腕に叩かれ、すっ飛ばされたのだということに気が付いた。

だが、気付いた頃には――いや。気付く前から、勝負は既に着いていた。

ドサドサと地面に落ちたエルドフ達は、起き上がる前にその足を掴まれ、そのまま鞭状の腕に縛り上げられてしまった。


あっという間のことだった。

シソツクネがトラックを止め、タイヤをパンクさせるまで、五分と掛からなかったろう。

リヴェルが車に積まれてから運ばれるまでより、ずっと短いその間に、シラベは取り払ってくれた。諦念や、失意や、絶望といったものを、全て。

燦々と輝く太陽と、その下でにっかりと笑ってみせたシラベの眩しさに、リヴェルは目を細めた。


「東西南北、商品とお客を探して何処までも。旅商人シラベと」

「看板鳥ノ、シソツクネ様ダゼ!!」


希望は未だ、この世界にも残されていたのだと。


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