カナリヤ・カラス | ナノ
初めて会った時は、確かその日の飯を漁りに行った時のことだったか。
邪魔になる野犬や他の孤児、割り込んで来る浮浪者を蹴散らして、俺の狩り場としていた場所…ゴミ町住人が出す生活ゴミがよく放棄される其処に、突如あいつは現れた。
「……おまえ、何してる」
一目見て、こいつは異常だと、そう感じた。
ただ座り込んで、残飯を貪っているだけのそいつが、牙を剥く野良犬より、怒鳴り散らかしながら殴りかかろうとしてくる大人よりも恐ろしいものだと。
気付いた時にはゴミ山の中で暮らしていた俺は、直感でそう思い、近くに落ちていた廃材を構えた。
「はぁん?見て分かんだろ、飯食ってんだよ、飯」
「…ここは、オレの場所だ」
「そいつぁ知らなかった。すまねぇな」
その行動が正しかったと証明されたのは、直後。
焼き魚のような物を咥えたそいつが、一瞬にたりと笑ったかと思えば、前に翳した廃材が、鉄パイプの一撃を受けて軋んだ。
それまで感じたことのない、重い攻撃だった。
手から伝わる衝撃が脚まで電流のように流れ、どうにか弾き飛ばした後に、改めて対面したそいつに俺は
「それなら、今日からここはオレの縄張りにさせてもらうぜ」
初めて、こいつには勝てないと思える相手に出くわしてしまったと。歯を食い縛って、廃材を振りかぶった。
「ハッハァ!見ろよ大絶賛返済地獄の負債者共!!これが四億だ!」
ドンっと机の上に積まれた札束を前に、笑いが止まらないのは鴉だけで。
雛鳴子もギンペーも、この山の半分の持ち主たる鷹彦も、それぞれ表情こそ異なれど、全員同様に口を閉ざしていた。
端から、呆れて物も言えない、驚いて声が出ない、特に言うことがない。
そんな彼等の前で、ご機嫌真っ盛りの鴉は、一つ札束を手にとって、見せびらかすようにべらべらと前後に揺らした。
「てめぇらがこれを稼ぐのに必死こいてる中、こうも簡単に手に入れちまっていやぁ申し訳ない。
お詫びと言っちゃなんだが、軽くビンタしてやろうか?四億ビンタ。昇天必須だぜ?」
「結構です。それに、これ半分は鷹彦さんのでしょう。貴方がいつまでも持っていないで、渡さなきゃダメですよ」
「二億もあったところで、こいつ使い道ねぇけどなァ。ま、誠実なる俺はきちんとくれてやるぜ」
「……逆に聞くが、お前はこれを何に使うんだ?」
鷹彦がそう言って吸っていた煙草の紫煙を吐き出すと、鴉は札束を机の上に戻して、腕を組んで考え出した。
それとなく聞いてみたことで、別に答えが欲しい訳ではない鷹彦であったが、鴉は珍しくまともに金の使い道を考えていた。
「そうだなァ、たまにゃドーンと使うのも大事なことだ。前々から欲しいと思ってたし、砂漠用クルーザー…いや、男ならロマン重視で軍艦一隻買ってみっか。
んー、でもカナリヤ号二世を買うってのもいいなァ」
考えるまでもなく、今口にしたような物なら買える程、鴉には貯蓄がある。
それこそ、今回の稼ぎですらも、氷山の一角にしかならない程度に。彼は個人の資産では納まり切らない稼ぎがある。
そんなに貯め込んで、一体どうするつもりなのかは分からないが、やはり稼いだからには時には思い切って使いたくもなるらしい。
鴉はあれにしようか、これにしようかと迷い、それを暫く眺めていた後に、鷹彦は机の上の札束へと手を伸ばし――
「……なら、こいつを足しにでもするがいい」
そこから自分の稼ぎ分。その半分、一億を鴉の前に差し出した。
とん、とん、とんと。躊躇いなく。軽く驚いた様子の鴉と、とんでもなく吃驚している雛鳴子とギンペーの前で、鷹彦はまた深く、煙を吐き出した。
「お前の言う通り、俺は大金があっても使い道がないからな…。店の物になるなら、使え」
「た、たたた、鷹彦さん?!考え直した方がいいっすよ!い、いち、一……一億ですよ?!!」
「そ…そうですよ!それに、店の物って言ってもいつ使うんだか分からないような物に投資しちゃって……」
「そうか、サンキュー!これでよりイイもん買えちゃうぜー、ふっふー」
鴉が露骨に嬉しそうに、迷いなく差し出された一億を受け取る中。
一億など到底手が届かない位置にいる雛鳴子とギンペーは、思わず鷹彦を睨み付けた。
そうもしたくなるだろうが、一応金成屋の為の投資なので許してくれと、鷹彦は手を顔の前に上げて、軽く礼をした。
そんな謝り方をされると、毒気も抜けるもので。
ギンペーは「一億…一億…」とぶつぶつ恨めしさと羨ましさの滲む声を出していたが、雛鳴子は肩を落として、いくらか和らいだ顔を鷹彦に向けていた。
「………ホント、いいんですか?鷹彦さん……。幾ら使い道がないからって、あんなのにお金渡して」
「…まぁ、あんなのだが、俺はあいつに便乗して稼がせてもらっているからな…。
鴉はバカだが、頭が悪い訳ではないし…なんだかんだ、いい買い物をするんじゃないか?」
確かに、鴉はバカだが物の価値が分からない浪費家ではない。
誰よりも審美眼と観察力に優れ、心底ろくでもない品に手を伸ばし、騙されたなどと憤慨することも、買わなければよかったと嘆くこともない。
そうしたことがあるとすれば、当たり外れを楽しんで購入するような物にのみ該当し。
また、そうした物は鴉が散財に迷うだけの値段をしていない。
だから、渡した金も、自分よりも上手く使ってくれるだろうと。
鷹彦は先程から、パンフレットのようなものをめくりながら何処かしらに電話を掛けている鴉を横目に見たのだが。
「おう、俺だジジイ!早速なんだけどよ、船に砲台つけるとしたらお前幾らでやるよ?あ、金?お前、俺を誰だと思ってんだよ。
足りねぇってんならクズ共から搾取して上からバラ撒いてやっから、こう中からウィーンガッションって出てくる系のを」
「………あぁ。あいつは、バカだ……バカだが…バカだ」
頭が痛くなるような会話に額を抑える鷹彦の肩を、ぽんと雛鳴子は軽く叩いた。
こういう時、雛鳴子は分からなくなる。鷹彦は鴉の便乗犯なのか、巻き込まれた被害者なのか。
恐らく両方なのだろうが、今は後者に傾いているだろう。
「……鷹彦さん、今日の夕飯好きなもの作りますよ」
「………この金で、いい肉を買ってきれくれ」
そう言って、札束の中から二枚抜いた金を雛鳴子に手渡して、
鷹彦は「鎗が出てくる砲台か!それもありだな!」と文次郎との会話に華を咲かせている鴉が、一体どんなものを買ってくるのかと、深い溜め息を吐いた。
「ほー、中々やるじゃねーの」
その鳥は、狡猾にして獰猛。
不幸を運ぶ不吉の象徴、死の使い。ゴミ山を飛び交い、死肉を啄む汚れた鳥。
「まさかこのオレとこんだけいい勝負してくれるたぁな。……よし、決めた!お前、オレと組もうぜ!」
関わってはならない、眼を合わせてはならない。
赤い眼に入ったが最後、逃れることは出来はしない。
「こんなクズ溜めでゴミ漁る一生で終わるにゃ、もったいねぇ腕前だ。
特別に、後に世界を治めるこの俺様のおこぼれに肖らせてやろうじゃねぇか」
ゴミ山に生きるその少年の前で、彼は頭上を飛び交う鳥を眺め――
「ところで。お前、名前は?」
少年の問い掛けに、彼は眼に映るそれとは異なる鳥の名を、口にした。
「………たかひこ」
気が付いた時にはゴミ溜めの中にいて、親の顔もかつての自分も知らない彼の頭に、ただ一つ残っていたのが、その言葉だった。
「多分、そんな感じの名前だ」
「なんだそりゃ」
「……ぼんやり、そんな風に呼ばれたような気がするから…仕方ない」
「オーケー、分かった。たかひこ、な」
どうして自分が何も覚えていないのか。
それすらも分からないままに、ゴミの中を這って生きていた彼は、そういえばこれを口にしたのは初めてだったなと思い。
果たして、これで本当にあっているのだろうかと思う頃には、少年はその不確かな名前をしかと記憶してしまっていた。
遠く、空に羽ばたく黒い鳥。
それによく似た少年は、そう言えば何者であったか――。
出会って間もなく撲り合いが始まり、それが取っ組み合いになって、やがて両者ともに倒れた後が現状なので、
彼が分かっていることは、この少年がどうかしているということだけで。
「……で、お前は?」
「あぁ、オレか。オレの名前は――」
その先に続けられるべきである言葉を、短く息と共に呑み込んで。
暫く何処かを見詰めて、自嘲するような笑みを、何故彼が浮かべたのかなど、知る由もなかった。
「なんだろうなァ。まぁ、その内適当につくだろ」
「……そっくりそのまま返すぞ。なんだそりゃ」
「色々事情があんだよ。仕方ねぇ、仕方ねぇ」
そう言って、色々なものを誤魔化した少年は、後に忌み嫌われる鳥と同じ名で呼ばれるようになり。
結局、彼等はお互いに過去の事情だとか、そうしたものに触れることもなく、ゴミ町の狂気に育まれ、成長した。
しかし、後に彼等が遭遇することになる事件が、仕方ないと片付けたものを曝しあげてしまうことになると。
すっかりその名が定着した今の二人ですら、予想だにしていないのであった。