カナリヤ・カラス | ナノ



朧獄館は、外見もそうだが、中身もまた、かなり整っていた。

磨き抜かれた床に、豪奢な模様が描かれた壁紙。廊下に飾られた彫像のようなものも、かなり値が張るのだろう。

大戦貴族であったギンペーですら、なんだか高そうだという印象を抱きながら、金成屋一同はキューの後ろに続き来賓室を目指した。


「いやぁ、私としては是非この不浄の町に咲く一輪の花たる雛鳴子さんに、華麗な試合をと思ったのですがね。
会長を始めお偉い様方が、是非二大永世トップの復活をと言われまして」

「カッ。相変らず、人のこと舐め腐ってやがんなクソ老害共は」


そのクソ老害共の趣味であろう、この建物の造りがお気に召さないのだろうか。
鴉はじろりと金細工の燭台を睨み、嘲り笑うが、キューはそれに特に何も言うことはなく、来賓室の戸を開けた。

やはり、室内もかなり金と手が掛かっているようだ。
家具一つに雛鳴子やギンペーの一ヶ月分以上の稼ぎがあるような。そんな部屋にも躊躇いなく踏み込み、鴉は豪奢なソファへとどっかりと腰掛けた。


背凭れに体を預け、脚を組む姿勢は、自宅や金成屋事務所の時と何等変わりない。

きっと彼の胸を開いたら、心臓に毛が生えているのだろう。
そんなことを思いながら、雛鳴子達も続いてソファへ腰かけていくと、鴉は親指と人差し指で輪っかを作って、厭らしい笑みをにたりと浮かべていた。


「だが、そういう態度が許されんのもビジネスだ。俺が看破して来るのを見越してたっつーんなら、それなりのモンは用意してんだろ?」


この町だけでなく世界共通で、あらゆる矛盾や不条理を引っくり返す一番ポピュラーな力は、金だ。

金で買えないものがあると心清らかな人間は謳うが、言ってしまえば金がなければ手に入らないものの方が多いのがこの世界。
物にせよ、力にせよ、人の心にせよ。完全に手にすることが出来ずとも、それを握る可能性を与えてくれるのが金である。

有耶無耶も曖昧も、白黒はっきりつけさせ、人を駆り立てるのに最も分かり易い材料。それさえあれば、聞く耳を持たない者を鎮座させることが出来る。


鴉が言いたいのは、自分が話を聞くかは金次第であるということで。無論、それを分かっていないキューではなかった。


「いやぁ、流石鴉さん。私からお話することがどんどんなくなってしまいました」

「お前は喋る量削った方がいいと思うがなァ」


ハハハ、と実に愉しげな声を上げて両者が笑う。

が、それもそう長いことは続かず。すぐに話の方向は戻された。


「で、仕事の内容は?」

「…お二人は、ウェーナーティオーをご存知ですよね」


聞き慣れない言葉の響きに、首を傾げたのは雛鳴子とギンペーで。鴉と鷹彦は、揃って知った様子の反応を見せていた。

問われるまでもない、という様子であったが、何のことだと尋ねたそうにしている二人の為か。
キューは説明する必要のないその言葉について、解説を始めた。


「かつて……それはもう遥か昔、古代の話です。異国の闘技場にて披露された、闘獣を様々な方法で殺す剣闘士試合の前座。
それが野獣狩り(ウェーナーティオー)です」

「…二大永世トップ捕まえて、前座試合をやれっつーのか?」

「いえいえ、とんでもない」


遠い異国の遥か昔。大規模な闘技場にて、戦う奴隷――剣闘士達が、見世物として殺し合いをしていた。
その試合前の余興として、凶暴な動物を相手にした試合が行われていた。

それがウェーナーティオーであり、此処朧獄館でも、同様に前座試合として、拳闘士と生物兵器による戦いを披露していた。

メイン試合を任せられない、無名の選手達は、まずこのウェーナーティオーで実力を示し、
そこから人間同士の前座試合や、リーグ戦への参加が認められるのだ。

当然、朧獄館出身である鴉達がそれを知らない訳はないが、彼等の知るウェーナーティオーと、キューの言うそれは、少し違うようであった。


「確かに、朧獄館では生物兵器を相手にした”そのまま”のウェーナーティオーも催して参りました。
しかし、今回のウェーナーティオーは、前座ではなくメインとして。そして、相手もまた…ただの生物兵器ではありません」


向いで手を組んでいたキューが、これ以上となく口角を吊り上げて嗤った。

その笑みを見て、ギンペーはあぁやっぱりかと痛感した。


この男も例外なく、町の瘴気にやられた狂人であると、口を開くよりも先にその笑みが語っていた。

それでも、戦慄を覚えるような言葉を、キューは笑顔で、平然と言い放ったのであった。


「今回の闘獣は、人間です。一度此処で手酷く敗れ、再び返り咲くことに血眼になっている…とんでもない獣です」


地下格闘技は、当然表の格闘技とはルールが異なる。
試合ごとに特別ルールが設けられることがあるが、言ってしまえば掟など殆ど無いに等しい。

スポーツではなく、見世物として行われる試合では、本来タブーとされている乱入・急所攻撃・目つぶし・武器の使用すら認められ、
選手にとって拘束力のないルールは、また観客にも然りであった。


表では見られないものを見たさに金を擲つ愚かな観客達は、勝者に栄光を齎すと共に、敗者に地獄を与える。

公開処刑と言われる敗者への鉄槌は、時に選手の四肢、顔の一部を奪い、時にステージ上での凌辱や、観客参加のリンチすらも行われる。


そんな所で戦い、敗れた者の大半は、当然無事では済まない。

体の一部や自尊心を失い、以後ステージで華々しく暴れること叶わず。
前座試合で生物兵器に喰われるか、地下格闘技界から去りゴミ山へ逃げ込むか、観客に取り入って身を買い受けてもらうか。
そのような、想像することすら恐ろしい末路しか残されていない彼等が相手。

そう伝えられた鴉は、やはりハンッと鼻で笑い飛ばし、咥えた煙草に火を点けるのであった。


「成る程。つまり、永世二大トップの首を獲った奴に栄光が与えられるビッグチャンスイベントっつーことか。
客側も、誰が俺らに代わって新しいトップになるのか…それとも全員揃ってもう一度、今度こそ二度と上がれないとこまで落とされるのか。
それを賭けて楽しめる…そういう企画な訳だ」

「御名答!いやー、本当に困ってしまうくらい鋭いですねぇ鴉さんったら!」


良く言えば、これは敗者達に与えられたラストチャンスであり、救済措置である。

だが、悪く言えばこれは廃品利用。最悪のリサイクルだ。


「お二人に相手していただく人数は、此処で惜しくも敗れ復帰不可能の烙印を押された、名の知れた二十名。
しかし、彼等全員…今回の為に”特別仕様”となって復活しておりますので、侮られないようご注意ください」


間違いなく、聞くに堪えない手を加えられたであろう選手達。

一度ドン底に突き落とされ、もう二度と這い上がることは出来ないと絶望していたところに、舞い込んできた最後の好機。
それを掴まんと、全てをかなぐり捨てて襲い掛かってくる、まさに獣と化した二十人を相手に戦え。

キューのとんでもない依頼に、雛鳴子もギンペーも言葉を失っているが、鴉はやはり、予想していたらしい。


「見ますか?対戦相手リスト」

「いらねーよ」


傲り、というには確かな自信から、キューが提示してきたリストの上に鴉は灰皿を置いた。


これが仕事である以上、手抜かりをするような男ではないことを、一同は知っている。

では何故、少なからず命に関わる問題でありながら、彼はリストを見ることを拒んだのか。


想像するに、最もあり得る可能性は、演出の為だろう。


「それより、お前らこれの為に俺らに幾ら支払う気だ?こっちも命と名誉が掛かった試合なもんで、それなりの額は提示してもらうぜ?」

「はい。それは覚悟の上で、会長もご指名されてますとも」


対戦相手を知ることは、確かに試合に勝利する上で必須だろう。
しかし、今回の依頼は「敗者二十名との対戦」であり、「彼等に勝利すること」ではない。

記念イベントとして催されるウェーナーティオーが、あくまで賭け試合として行われる以上。
勝ち負けの天秤を事前に大きく傾けてしまうというのは、面白みに欠けるということを、彼は分かっているのだ。

伊達に、かつて此処で頂点を勝ち取ってはいないということか。


改めて納得しやた様子で、キューはびしっと指を二本、彼の前に突き立てた。


「鴉さん、鷹彦さん。両名二人揃ってご参加が絶対条件で、我々は二億契約致します。金成屋ルールに則れば、四億のお支払になりますねぇ」

「「よ、四億?!!」」


示されたとんでもない金額に、思わず雛鳴子もギンペーも揃って素っ頓狂な声を上げた。

それも、無理もない話だ。金額にして、雛鳴子の契約金が四回、ギンペーの契約金が四十回も返済出来る額が、
鴉と鷹彦――二人が揃って特別仕様のウェーナーティオーに出ることの対価として支払われるというのだ。

人の腕の相場など知らない二人だが、それでも一つ。
福郎を始め、有権者達がそれだけの価値をこの二人に見出しているということは、痛い程理解出来た。


「一人頭二億…まぁ、悪い額じゃあねぇなァ。流石、よく分かってるじゃねーの」

「おっ!では、引き受けていただけるのですね!」

「まぁ、世話になった場所に錦を飾るのも悪かねぇだろ。いっちょド派手に暴れてやんぜ。なぁ、鷹彦?」

「……はぁ。拒否権などないのに、聞いてくれるな」


吸い終えた煙草を灰皿に捻じ込む鴉の横で、鷹彦は深く溜め息を吐いた。

此処に同行させられた時点で、何が起ころうと自分が巻き込まれるのは回避出来ないと、諦めていても嘆かずにはいられない。
そんな様子で鷹彦は背凭れに体を預けるが、一方承諾を得たキューは上機嫌な様子でソファから立ち上がった。


「ありがとうございます!では、早速契約書の方を失礼しますね!あ、そうだ判子も必要でしたね!!
今ちょっと持ってきますので、少々お待ちください!」


まるで風のように立ち去ると、来賓室に暫し静寂が訪れた。

キューの存在感、ついでに声が大きく、それが抜けたのもあるだろうが。何より、歩み寄って来る不穏が、刺すような静けさを生んでいて。
それに耐え兼ねて口を開いたのは、雛鳴子だった。


「……いいんですか、鴉さん。いくら四億ももらえるからって…怪しいですよ」

「あいつを始め、バックについてる連中が怪しくかつ胡散臭いのは今に始まったことじゃねーよ」

「そうでしょうけど……」


自分も怪しく胡散臭いことを棚に上げてそう言い放つ鴉に、普段なら嫌味の一つも返してやる雛鳴子であったが、今はそんな気分になれる気がしなかった。


此処は、人が暴力によって成り上がり、敗者を蹂躙する場所だ。

人の命の上に金をベットして、野次と歓声を交えながら熱を上げてく狂った観衆に曝され。
おまけに裏で福郎と、そのお得意がついていると知って、足を踏み込むことなど、しなくてもいいだろう。

しかも、相手も単なる敗者ではなく、”特別仕様”と来ている。
何かの罠として警戒し、此処は身を引くのが最善ではないか。

そう言いたげな雛鳴子を暫く真顔で見ていたかと思えば、鴉はニタァと笑みを浮かべた顔を雛鳴子の前にぐっと近付けた。


「んだよ、心配してくれんのかァ?優しいじゃねぇの」

「――っ!な…何言ってるんですか?!」


慌てて雛鳴子が鴉から身を引くと、ちょうどいい位置にいたギンペーの額に見事後頭部がクリーンヒットした。

割といい勢いで打たれ、ギンペーは額を抱えて沈むが、顔を真っ赤にしている雛鳴子は痛みを感じている場合ではないのか、
此方を愉しそうに見詰める鴉に、あたふたしながら考えた言い訳を吐き捨てた。


「し、心配なんかじゃなくてですね…これは……そ、そう、警告!警告ですよ!」

「警告ぅ?」


ちょうどいい言い方を見付けたせいか、幾らか落ち着いた心臓を宥め、雛鳴子はすぅと息を吸った。

腹を括って見返した鴉は、思わぬ答えにやや面食らっているようだが、それも長くは持ってくれないだろう。


雛鳴子は、ここで言っておかねばまた笑われてしまうと、小さく尖らせた唇を開いて続けた。


「…確かに、鴉さんが調子に乗って馬鹿やらかしてくれた方が、私には好都合ですけど…。
でも、私はまだ貴方と契約している最中で、きっちり全額返済する義務があるんです!
それが、不本意ながらに中断してしまうというのは……なんていうか、許せないんです。だから、こうして注意してあげてるんです」


ゴミ町四天王、元朧獄館二大永世トップが一角、金成屋・鴉に対し、上から目線にも程がある言い分であったが、
意外にもこれはよい効果を発揮してくれ、鴉はぽかんと黙っていた。

この機を逃す機会はないだろうと、雛鳴子は次いで、今回巻き添えを食らった鷹彦へと視線を向けた。


「……鷹彦さんも、鴉さんに付き合うことないですよ。貴方達なら、四億稼ぐ手段…他にもあるでしょう」

「…あぁ、その通りだ」


いつの間にか火をつけていた煙草を燻らせながら、鷹彦が答える。

しかし、言葉に反して声色がどうにも肯定的ではなく。
まさかと雛鳴子が眼を見開く中、鷹彦は仕方ないという様子で、ふぅと紫煙を吐き出した。


「だが、それならそっちもやって、こっちもいただく方が、儲かるだろう」


巻き込まれた筈の鷹彦が、よもやそんな風に返してくるとは思っていなかった雛鳴子は、ぱちくりと瞬きをした。

これは、このどうにも底気味悪い仕事をキャンセルするのに最適な口実になるだろうに。

何故便乗することなく、仕事を受ける方向に彼が乗ってきたのか。
信じられないと言いたげな雛鳴子に、鷹彦は静かに、自分の意志を継ぎ足した。


「俺達は、そんな風にあちこち喰い散らかして此処まできた。そして今回も、そうするだけのことだ」


時々忘れそうになるが、この男もまたゴミ町の住人であり、その生涯には鴉同様、多くの汚泥が付き纏っている。

それに押し潰されることも足を取られることもないのは、彼等が躊躇いや、迷いを捨てたからだ。


「…案ずるな。二大永世トップと言われたからには、俺らもそう簡単に負けはしない」

「そーいうこっちゃ」


ぐしぐしと、雛鳴子の頭を乱雑に撫でると、鴉はまた、挑発するような眼で彼女を見詰めた。


ああ、面白いように煽られている。

そう感じながらも、雛鳴子はその眼差しから逃れることは出来ず。次いで浴びせられる彼の言葉を、真っ向から喰らうことになるのであった。


「ま、心配性の雛鳴子ちゃんは俺らの応援でもしててくれよ。チアガールコスってのも、鴉さん中々嫌いじゃねーぜ?」

「……ほんの少しでも貴方達のことを気に掛けた私がバカだってこと、よく分かりました」


いつものように、嫌悪感を込め、睨む。しかしこれがどうして、安心出来るのだから、歪んでいる。

雛鳴子は少しだけ可笑しくなって、眉間の皺をふっと緩めて柔らかく笑った。


「せいぜい頑張ってください。…キューちゃんさんに頼んで一番いい席用意してもらって、見ていてあげます」

「お…俺も見に行くっす!二人の戦いっぷり、近くで見させてもらいたいっす!」


思わぬ答え、という程、二人の性格から考えれば意外と言えるようなものではなかった。寧ろ、この二人らしい言葉だった。

だが、この類の言葉を、かつて此処にいた時に賭けられたことのない鴉と鷹彦は二人揃って眼を見開き。
ぱちぱち、と瞬きをした後に顔を見合わせて、二人して、と大人しい笑い声を上げた。


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