カナリヤ・カラス | ナノ
「おーおー、色男と名高い金成屋・鷹彦のお顔に、立派な痕がついちまってんなァ。一体どんなプレイしたらそうなんだ?」
「……お前、分かってて電話よこしたろ」
頬に張り手の痕が残ったまま出勤してきた鷹彦は、予想通り大層皮肉ってくれた鴉をじろりと睨んだ。
こうなった原因は、まぁ自分なのだが、切っ掛けはこの男が散々に携帯電話を鳴らしてくれたことにある。
鴉という男の性格から考えると、よもや、狙ってやらかしてきたのではないかという疑りも生まれるが、
それはないと彼は手を適当に振って否定した。
「カッ。デリカシーに翼が生えてフライアウェイしてるようなお前に、わざわざ手回すまでもねぇだろ。
仕事だ仕事。メールにも書いてただろうがよ」
「お前にだけは言われたくない。…メールは見たが、なんだ今回の仕事は」
どっかりと脚を組み直す彼の隣で、鷹彦は改めて携帯電話を開いて、その内容に顔を顰めた。
彼が連れ込んだ女に叩かれ、その痕跡を頬に残したままに出勤し、そのまま車に乗り込んで移動することになったのも、
全てはそこに記された一つの案件に起因していた。
しかし、どうして自分がこうならねばならないのかと、鷹彦は眉間に皺を寄せて、鴉を睨み直した。
「書いてある通り。懐かしき朧獄館(ろうごくかん)の創立二十周年記念の、イベント企画だ」
カカカ、と短く笑う鴉に、鷹彦は目で「そんなことは分かっている」と返した。
仕事の内容そのものが把握出来ない程、鷹彦は寝ぼけていない。
というか、目はしっかり覚めている。しつこいようだが、鴉が電話をかけてきたことが切っ掛けで。
理解出来ないのは、それにどうして自分が向かわなければならないのかということだったが、
がしがしと額を掻く彼の前。運転席でハンドルを切る少年は、何一つとして分かっていない様子であった。
「……朧獄館って」
「ゴミ町にある、地下闘技場のこと。福郎会長が二十年前、都の人間を相手に始めた事業の一つだって」
「へぇ、そんなのまであるんだ」
最早恒例となった解説に目を丸くしながらも、少年――ギンペーは器用にハンドルを切った。
狭く荒れたゴミ町の道だが、車は中々に上手く進んでいく。
多少の揺れこそあるが、許容範囲という感じで鴉はシーツに凭れ、道中の暇潰しにと、話に便乗してきた。
「金を持て余した貴族様に、都じゃ見られねぇ色んな意味で刺激的な賭博試合を。
体を持て余した荒くれや、売春宿に匙を投げられた女共に、まともじゃねぇにしろ仕事を与える。
趣味の悪い派遣業の末路だが、これがどうして需要が堪えなくってよ。気付けば二十周年ときたもんだ」
「へぇー……で、その朧獄館にどうして鴉さん達が?」
「めでてぇ節目に協力してくれって御呼ばれしたんだよ。朧獄館のオーナーになァ。
あれこれ企画は考えてるが、その具体的な費用のことだなんだで相談があるらしくってよ。
ま、それは建前で、実際は俺と鷹彦に記念試合にでも出てくれって頼みてぇんだろうぜ」
「お二人に?」
それまで横で不服そうにしていた鷹彦が、ここでようやくそういうことかと事態を呑み込めたらしい。
ギンペーが首を傾げながら道を曲がる頃には、そんなことで今朝の衝突が起きたことが忌々しいと顔を顰めて、
横目にそれを見た鴉がハンと鼻で笑って、彼を親指で指しながら続けた。
「俺と鷹彦は、あそこで拳闘士やってたんだよ。小銭稼ぎと、名前売りたさに出て、二大永世トップなんて言われてなァ。あれももう何年前だ?」
「……俺達が十二の時だから、十四年前だな」
「もうそんな経つのか。ま、とにかく俺ら二人とも、あそこに所縁があるっつー訳だ」
金成屋・鴉と、その相方・鷹彦は、当然最初から金成屋であった訳ではない。
ゴミ町四天王として、この町のカーストの上位に立つ者としてある前に、彼等にも下積みと言える時代があった。
這い上がる為、己の身と命を賭けて戦い、名を売り、金を得て。
そうした道程を経て、彼等は金成屋という店を手に入れ、そこから更に上り詰めて今に至っている。
そのスタート地点が、十二歳の頃。そして舞台は、悍ましき欲望の坩堝。純粋に暴力が物を言う、地下闘技場とは。
「……十二歳で地下格闘技って」
雛鳴子は露骨に顔を歪め、ミラー越しに鴉達に視線を送った。
それに目を合わせずとも、彼女が何を訴えかけてきているのかは、呟くように投げかけられた声で分かる。
雛鳴子には、彼等がかつて金持ちの道楽の場で、人を殴り、金を得ていたことを責める気はないだろう。
だが、齢十二歳にして、それを自分達が這い上がる為の手段として利用した、鴉と鷹彦の変わらなさに、彼女は呆れていた。
子供ながらにそんな発想に至ることも、そしてまんまとそこで成功していることも。
雛鳴子は今も昔も変わることなく、狡猾で凶悪な二人に、小さく溜め息を吐き。それを鴉はへらりと笑い飛ばした。
「ガキが稼ぐのにあそこ以上にいい場所もねぇぞ。お前らも一回参加してみたらどうだ?一般でも金払えば出れるし、リーグ優勝すりゃおつりが来るぜ。カカカ」
とっくに過ぎ去った幼少期についてどう言われようとも、関係はない。
例え昔から可愛くないんですね、と正直に述べられようと、寧ろ褒め言葉として受け取ってもいい。
それは、栄光を手にした勝者として、かつての己をまるで恥じていない故の余裕だろう。
高らかに笑う鴉に、雛鳴子はまた一層表情を歪めたが、破格の美貌は一切崩れることはなく。
美しくありながら歪んだ様は、鴉の嗜虐心を撫で、彼のにんまりとした口元を更に吊り上らせていた。
「特にお前なんかいいんじゃねぇのぉ、雛鳴子。キャットファイトは御ひねりも多いしなァ」
「出ませんよ。鴉さんみたいに下劣な目した人達を蹴り飛ばしてお金もらえるならやりますけど」
いやらしい手つきで指を擦る鴉に、今度こそ軽蔑の眼差しが突き刺さった。
幾ら契約金――しかも、つい先日とんでもない額にまで膨れ上がった――により、喉から手が出る程に金に困っていたとしても、だ。
奴隷という屈辱的な身分から解放される為に現状苦労しているというのに、
裸同然の衣装を身に纏い、金持ち達の前で肢体を曝しながら戦い、試合後には沸き立つオーディエンスに媚び、衣服の間に札でも挟んでもらえと。
そう言われて、腹を立てずにいられる訳もなく、雛鳴子はぎろりと鴉を睨み付けた。
長い白金の睫毛に縁どられた瞳には、横で見ているギンペーが竦みそうな程の殺気が込められているが、
やはり鴉がそれに堪えた様子はなく、またケタケタと笑っている。
その態度について言及する程、鴉という男を知らない人間はこの車内にはいない。
全員それぞれ形は違えど、揃って思い知らされているのだ。
鴉という男は、その名に違わぬ質の悪い、不遜者であるということを。
「あ、着いたっすよ」