カナリヤ・カラス | ナノ




ゴミ町四天王掃除屋・阿比は、その日機嫌がよかった。

埃が溜まり、物が散乱した部屋を一気に掃除したかのように、実に晴れやかな気持ちで彼は図面と睨めっこしていた。


先日、縄張りの一角を片付けて、出来た場所をどう使おうか。
それについて思案しながら、傍らに侍らせている娼婦が注いだ安酒をちびちびと啄むように飲んで、鼻歌を口遊む程度に阿比は上機嫌だった。


始まりは壁の中から。貧しい暮らしに辟易し、裏の世界へ自ら踏み込んで、
掃除屋としてあらゆる汚れ仕事を手掛けた後に自身が組織を持つまでに上り詰めて。

その果てに、こつこつと貯め込んできた貯蓄を叩き、せっせと作ってきた人脈を使って、彼は己の縄張りに一つ、娯楽施設を設けるつもりでいた。

酒と女と遊戯。どの時代に於いても需要の絶えることのないそれらを集めた、総合娯楽施設を作り、
阿比はゴミ町に巣食う者としてまた一つ大きくなろうとしていたのだ。


掃除屋の仕事は儲かるには儲かるが、言ってしまえば割に合わない。
苛酷な労働に身を投じ続けるよりも、もっと楽に稼げる方法があるのなら、其方に手をつけない理由はない。

故に、阿比はこれまで稼いできた金を使って、新しい商売を始めようと画策し、今後更に豊かになるだろう生活に想いを馳せていたのだが――。


ガシャァアン!と、大きな音を立てて破れた窓ガラスのように、彼のその理想は崩れていくことになる。


「な、なんだぁ?!」

「うっわぁ、ガラス割れてんじゃねぇか」

「どうやら、石が投げ込まれたみてぇだぜ」


突然のことに、掃除屋の面々が困惑したり、慣れた様子で割れた窓ガラスの辺りを観察したりしている中。

せっかくいい気分で紙面に向かっていたところを台無しにされた苛立ちからか、
付け睫毛に縁どられた眼を見開く娼婦の頬を軽く殴って、グラスに残った酒を一気に呷った。


都の、やっていいことと悪いことの区別もつかない愚かな子供が、こうして石を投げ込んで来ることは稀に起こる。
彼等からすれば肝試しのつもりなのだろうが、それを子供の悪戯だとか若気の至りだとかで片付けてやれるような神経を、この町の人間は持ち合わせていない。

当然阿比もまた、見事に気分を害してくれたこの愉快犯を許す気など毛頭なく。
今頃蜘蛛の子を散らしたように逃げ出しただろう子供をひっ捕らえてやろうと、
どっしりと座っていたソファから腰を上げて、盛大に顰めた顔を窓の向こうへと向けた。


「また都のクソガキか……チッ!今度の奴らぁ、とっ捕まえたら此処で景品に……」


思い付く限りの残酷な報いを与えようと、悪意を込めたその呟きは、間もなく先程とは比べ物にならない程の大きな破壊音によって閉ざされた。

二度目の不意打ちが、初撃と規模が比べ物にならなかったせいだろうか。
部下や、彼等が連れ込んだ女達が悲鳴を上げることも出来ないままに吹き飛んでいったことに、阿比が気付くのにやや時間が掛かった。


暫く呆然と棒立ちして、やがて吹き抜ける砂風と、鼻を衝いてきた血の匂いにゆっくりと顔を其方へと向けた阿比だが、
眼に映った先にはやはり、とんでもない光景があった。


「ありゃぁ……俺の、ショベルか?」


獲物を食い破る獣のように、ぎらつく鉄が掃除屋の壁を食い破っていた。

そう厚くもない壁は外との隔たりとしての役割を失い、突撃の勢いでぶっ飛んだ瓦礫は、掃除屋従業員ら数名に甚大なダメージを与えていた。
直撃を食らったものに関してはもう、眼も当てられない状態だ。


しかし。どうしてこんな光景になったのかが分かっても、どうしてこんな事態になったのかは、阿比にはまるで理解出来なかった。


今壁を破壊しているショベルカーを始め、重機類は全て表に停めて、部下に見張らせている。

その部下達が、悪ふざけでもしたのか。いや、それにしてはあまりに悪意のある破壊の仕方だと、阿比が神経を研ぎ澄ませながら思考していた時だ。


「ぐ、ぐおぁあっ!!?」

「おい!な…なんだてめぇら!!此処が何処か分かって……」


巻き起こる砂煙の向こう。幾つかの影が揺らいだかと思えば、悲鳴と血飛沫が上がった。

方向は、大破した壁。

改めて底に視線をやれば、間もなく、砂塵を掻き分けるようにして、数名の青年達が掃除屋内部へと乗り込んできた。


奇抜な朱鷺色の髪をした青年を筆頭に、それぞれ武器を携えて。躊躇いも恐れもなく、侵略して来る。

一歩、また一歩と進撃する度に、放たれる威圧感がぴりりと空気を焼き、
掃除屋達は思わずたじろぎ、阿比もまた、眼を見開いて彼等の一挙一動に神経を研ぎ澄ませていた。

灯油が撒き散ったかのように、場は少しの火種が落ちれば炎上する。そんな状況だ。

では、どちらがそれを落とすのか。


暫しの静寂の中、先陣を切って歩み出て来た青年は、やがて阿比の前にぴたりと立ち止まり、
燃え盛る憎悪を湛えた眼で、彼を睨み付けて口を開いた。


「…お前か、阿比ってのはよ」

「……誰だ、お前は」


この状況で今更だが、開口一番、ゴミ町四天王が一角に対し無礼極まれる言い方に、掃除屋達が僅かにどよめく中。
阿比は此方を親の仇か何かのように睨み、殺意を向ける青年を、値踏みするような眼で見下ろした。

アジトを襲撃され、こうも強い恨みを抱いた視線に刺される覚えが無いと言えば、勿論そんなことはない。
寧ろ、身に覚えが有り過ぎて困るくらいだ。


「見ねぇ面だな……そんなバカみてぇな頭してる奴、一回見たら忘れられそうにねぇと思うが」


しかし、その覚えの中に、青年のように目立つ髪をした者がいないのが、阿比には疑問だった。


自分の視界に入らない範囲で、彼が何等かの飛び火を食らった可能性は多いにある。

人間の行動は、悪意があるにせよ無いにせよ、思わぬところにまで広がるものなのだ。
阿比のように派手にあちこちで事をやらかせば、当然見知らぬ人間から怨恨の刃を剥かれることも多々ある。


それでも、これだけのことを仕出かしてみせるような人物ならば、多少なり記憶に残りそうなものだが。

そうした意図で阿比は尋ねたのだが――それが、よもや火種になるとは、彼も思わなかっただろう。


「そりゃ仕方ねぇよ…。俺らは……てめぇがクズ籠と見做したような場所から来たんだからよ……見えてなくて、当然だぁあああ!!!」

「!!!」


閃く鈍色の光を反射的に遮ったのは、阿比の腕であった。

凄まじい勢いで振られた鶴嘴を、ギィン!と鋭い音を立てて防いだその腕は、当然人の物ではなかった。


「棟梁!!!」

「チッ!てめぇらぁ!!他の奴ら、一匹残らず片付けておけ!!俺ぁ、このガキをやる!!」


裂けた服から覗くのは、肌ではなく金属。

振り翳された鶴嘴と同じ、鈍色をした鉄の腕が、鴇緒を弾き飛ばすように動くと共に、
手首から肘に掛かる程の大振りの刃が現れた。

義手に仕込まれていたのだろう。鎌のような曲線を描くそれが光ると、掃除屋達は揃って息を呑んだ後に、大きな咆哮を上げた。
これまでの勢いを覆すかのような騒乱の空気が立ち込め、啄達もそれに流されまいと吠えて、戦いを始めた。

人数的には、掃除屋側が有利だろう。おまけに、彼等は一人一人が、ゴミ町四天王の部下として、相当の場数を踏んで来た実力者達だ。
気を抜けばやられる。だが、啄達とて負けてはいない。

例えかつて地上に背を向け、穴の底に捕らわれていたとしても、彼等は其処から這い上がる力を手に入れた。


「うらぁああ!!邪魔だ邪魔だぁぁああ!!」


その日を食い繋ぐ為、熟してきた苛酷な労働で得た強靭な体に、もう何者にも屈しはしないと鍛えてきた戦闘技術。
何より、勝利へ食らいつく精神は、啄達を穴蔵の負け犬から、餓えた獣へと昇華していた。

子供と侮れば首を掻かれ、数で押しても厳しい程の勢いで来られ、掃除屋達も慢心していられる状態ではなかった。


血沸き肉躍る乱戦を双方繰り広げている中。阿比と鴇緒もまた、鎬を削る怒濤の接戦を繰り広げていた。


「そうか…てめぇ、ダンプホールから来たのか……ク、ククク!どぉりで、なぁ!!」


正面へ突きが来る。それを弾けば次いで、刃が襲いかかってくる。

それを上手く鶴嘴の柄で流し、空いた胴体へと突っ込もうと踏み込むが、やはり場慣れしている阿比は容易く一撃を許してはくれない。

素早く身を引き、距離を取ったところで、今度は上から刃が振り下ろされる。


鋭い、命を断つ一撃。それをまた柄で防ぐも、ぐぐ、と力で押され、やがて弾かれる。

反撃の体勢を取ろうとするも、それを許さぬ猛攻が、次から次へと繰り出される。


出だしから形勢は変わり、鴇緒は防戦気味であり、阿比には未だ、攻め手としての余裕があるようだった。


「そんなふざけた髪してんのも納得だ!物珍しいって、売り捌こうとしてくる人間から逃げて、落ちたんだろ?!」

「…………」

「そのまま穴底を這いまわってりゃいいものをよぉ!てめぇは結局嬲られてヤク漬けにされて、異国の悪趣味な貴族の檻行きだ!!」


体を動かす精神にまず揺さぶりを掛け、鴇緒を煽りながら、阿比は彼が怒りでぐらついたその隙に、大きく拳を振った。

今度は、命中した。

大振りの一発は頬へクリーンヒットし、思い切り殴られた鴇緒は、頬骨を軋らせる程の痛みを感じる間もなく、後方へと吹っ飛んだ。


「おい鴇緒!!」

「バカ!よそ見してる暇ねぇぞ!!」


鴇緒の劣勢を横目にし、ダンプホールの仲間が思わず顔を其方へと向けるが、啄が叱り付けた通り、よそ見をしている場合ではない。

掃除屋の数こそじわじわと削れてきているが、それは此方の体力も同じ。
多勢に無勢の状況下をギリギリ切り進んでいる中で、鴇緒の心配をしていては此方がやられる。

それを理解しているからこそ、啄は目先の相手と、隣の仲間にのみ集中した。


――いや。啄が思考から鴇緒を切り離せと言ったのは、そもそも、彼を心配する必要などないという判断からだろう。


「大体、俺らが入る必要はねぇよ…見ただろ、鴇緒のあの面」


腹の底から声を出して吼え、阿比へと飛び掛かった鴇緒の顏。

脳裏に牙を立てるように横切るあの刹那、垣間見えた表情が、啄から一つ不安を取り除いて。代わりに冷静さと恐怖を打ちたてていた。


「今のあいつは…周りなんか見えちゃいねぇ。巻き込まれたくねぇなら、こっちに集中しろ!」


夕鶴の脚を奪った仇を前に、抱えてきた怒りを爆発させた鴇緒は、獣を越えて鬼のようだと啄は思った。

阿比という敵を駆逐し、その首を落とすまで、彼は決して止まることがないだろうと。
そんなおっかない確信と共に、啄は不穏な予感を抱いてしまった。


もしかしたら、鴇緒は――阿比を殺しても、止まらないのではないかと。


そんな良からぬ考えから目を逸らそうと、啄は大乱戦の中へと意識を沈めていった。


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