カナリヤ・カラス | ナノ



「ほぅっほっほ。見事な暴れっぷりであったのぅ、ぬしら」


その愉しげな笑い声に、反射的に眉間に皺が寄る。

初対面だというのに、これから仕事をもらう相手だというのに。
礼儀だなんだを考えていられない程の不快感を覚えてしまった鴇緒は、顔を顰めたまま笑う小太りの男に声を投げた。


「……あんたが、会長か?」

「左様。儂が月の会の会長にして、此処ゴミ町の町内会長…倉富福郎よ」


見た目だけなら、俄かには信じ難かっただろう。

この如何にも緩慢そうな肥満体型をした初老の男が、弱肉強食でヒエラルキーを築いているゴミ町の頂点に立つ人間などと。


だが、こうして向かい合って話せば、すぐに理解出来た。

福郎は、今まで鴇緒達が見てきたどの人間とも、明らかに違った。


人を食ったような、というのに相応しい。

数多の人間を食い物にして、大量の汚濁を啜ることで肥えた眼は、奥底に秘めたものを悟らせないくせに此方の全てを見通してくるようで。
ダンプホールにいた負け犬達のただ濁っただけの眼とも、この世の汚臭を少しばかし知っているだけの壁の中の人間のそれとも違う。

鴇緒達や黒丸のような、獣と揶揄されるような眼光とも異なる。


「ぬしは…鴇緒、と言うたか。ふむ、改めて近くで見ても、やはり初めて見る顔よのぅ」


納得せざるを得なかった。

福郎は、獣を飼い慣らす術に長けた人間であることを。


自身に力がなくとも、上手いこと強力な獣を操り、のし上がってきた――狡猾にして本物の、支配者であることを。
鴇緒達は、認めるしかなかった。


「ぬしのように目立つ髪をしておる者がおれば、すぐに覚える筈だが……。
はて…都の者とは明らかに違う匂いをさせておるぬしらは、一体何処から来たのかのう?」


そんな風に福郎を評価している間に、あちらも此方の査定を終えたらしい。

二重になった顎を擦りながら、福郎は見えない部分についての疑問を尋ねてきた。


その質問は、きっと来るだろうとは思っていた。

ゴミ町を支配している福郎の眼にすら、自分達は映ることのなかった日向者だ。
いきなり、突如として現れて来られて、驚かれるのも無理はない。

だから、同じ町にいながらと嘲りたくなる衝動も噛み殺して、鴇緒は我乍ら嫌な表情だと思える笑みを浮かべて、答えた。


「……ダンプホール、って言ったら納得するか?」

「ほぉ!これは驚いたのぉ…まさか、あの場所がこんな獣を育むとは」


しかし、福郎の反応は予想していたものとはかなりズレがあった。

驚いたと口にした割には、戸惑いの類は一切見られない。
それどころか、寧ろ納得したというような。そんな調子で改めて此方を見てくる福郎に、鴇緒は更に顔を顰めた。


新種の珍獣でも見つけたようなその視線が、とてつもなく不快だった。

これから自分達を、見世物の動物のように扱おうとしてくるような。そんな思考の片鱗が嗅ぎ取れて、一刻も早く此処から離れたかった。


だから、もう本題に入ってもいいだろうと、鴇緒は舌打ちを咥内で転がして、口を開いた。


「それより、話は聞いてたんだろ?俺らは、時間がねぇんだよ。認めてくれたっつーんなら、さっさと仕事を……」

「まぁ、待て待て。そう急いてくれるな。此方も商売なものでのう。
儂らにとってぬしらは商品なのだ。しかと見極め、ぬしらにとっても最適な案件を導く必要があるのだ」

「…………」

「しかし、うむ。ぬしらを派遣すべき仕事は、一つしかないのぅ。ほぅっほっほっほ!」


此方が苛立つ毎に、福郎の笑い声は愉快さを増しているようだった。

なにがそんなに面白いのか。此方が一切理解出来ていない状況で、全てを掌握しているからこそ、そんなに愉しげに笑えているのだろうか。


半ば置き去りにされたままの鴇緒達に、福郎は肩を小さく震わせながら、耳に哄笑の残響を遺して、言い放った。


「これは、ゴミ町町内会長として、儂からぬしらへ依頼しよう。
穴蔵の落とし子達よ。ぬしらには、ゴミ町四天王が一角、掃除屋・阿比(あび)の始末に向かってもらおうぞ」

「………は?」


暫しの沈黙の中、福郎がまた、堪え切れないと言うように笑い出すと、
ようやく彼の言葉を呑みこむことが出来た一同は、一斉に食い掛るような眼を福郎に向けて、口を開いた。


「お、おい待てよじいさん!ゴミ町四天王って!!」

「確か、この町で力持ってる、とんでもなく強ぇ奴だろ?!」

「ほぉ、ぬしらでも知っておったか。やはり、四天王という名は大きいものだのぉ」


しれっと小馬鹿にされるような言い回しも気になる一同であったが、そこに突っ掛っている場合ではなかった。


彼等には、猶予がない。こうしてどよめいている今にも、地下に残した夕鶴の命は危ういのだ。

だが、それでも彼等は往生せずにはいられなかった。


「そんなもんを始末しろって……つか、四天王も町内会のメンバーなんだろ?!
なんでその一人を、町内会の会長であるあんたが始末しろだなんて……」


念願の地上に出て、たった一つの頼りを手にしたまではよかった。

だが、上に来て初めての仕事が、あろうことかこの町を牛耳る指折りの有力者――ゴミ町四天王の一人の始末など、そう容易く頷けるものではなかった。


彼等は、弱き故にあの穴蔵へと追い込まれた。

今はもう、虐げられることを良しとせずに鍛えた力があるとは言えど、此処はかつて、彼等を弾き出した世界だ。
そんな場所に君臨する者をいきなり相手にしろなど、無茶にも程がある。

卵の殻を破ったばかりの雛鳥が、親鳥すら喰らう外敵に挑んで勝てる訳がない。

そうした不安もあるし、何より、福郎がこんな依頼をしてくる意図が分からないのもまた不気味であった。


何を考えているのか汲み取れない、深く穢れ、濁った眼差しで、ゴミ町の頂点に立つ男は何を見ているのか。
その男に誘われ、自分達は何の歯車にさせられるのか。

急ぎの身であれど、彼等は切り立つ崖の先へと飛び立つ為に、せめて立ち込める霧だけは晴らしておきたかった――だが。


「依頼人の是非を、そう逐一尋ねるものではないぞ」


臆病にも立ち止まる彼等を嘲るように、福郎はそう言い捨てた。

どうせ飛び込むしかないのなら、周囲のことなど気にするなと、背中を強く押すような。
そんな一言に、鴇緒達は揃って眼を見開いた。


「この町でのし上がりたいのであれば、詮索よりも先に遂行すべきだ。ぬしら、此処まできて…ただ金を稼いで終わる訳ではないのだろう?」

「……それは、そう…だけどよ」


どうしてお前にそんなことが分かるのかと、問う気にもなれなかった。

福郎は、全てを見透かしている。


ダンプホールから這い上がってきた、未だ惰弱な獣達が、何の為に此処にきて、何にありつこうとしているかなど。
飽く程にこんな人間を見てきた彼には、お見通しなのだ。

頂点に立つもの故の視野の広さで、盤上の駒を手に取るかのように。福郎は一つ、また一つと、鴇緒達を進めていく。


「ぬしらにも都合の悪い話ではないぞ。この仕事は相手がゴミ町四天王が一角とあり、当然高額な報酬になる。
それに加え、儂はぬしらにゴミ町四天王の空いた枠もやろうぞ」

「…ってことは、俺らが……いや、鴇緒が、ゴミ四天王になんのか?!」

「その通り」


不穏すら塗り潰す甘美な響きで希望をちらつかせ、福郎は此方を、自身の思惑へと引き摺り込もうとしている。

あぁ、こうしてこいつは何人も飼い慣らしてきたのかと思えど、抗い難い誘惑が其処に提示されている。


はっきりと拒絶してやるには惜しい、酷く理想的な餌を盛られて。
其処に毒があると分かっていても、反射的に唾液が滴るように、手を伸ばさずにはいられない。


「この町の掟…いや、世界の真理に従い、弱きを淘汰した強者には相応の地位が与えられて然り。
どんな形であれ、より力を持つ者だけが勝ち上がれるこの町で這い上がるには…これは好機に思えるがのう」

「……けど、」


それでも、まだ。

まだ頷くには恐ろしく、悍ましいと首と縦に振らない鴇緒にとどめを刺すように、福郎は思い出したかのようにぽつりと呟いた。


「ぬしら、ダンプホールから来たと言うたのう。ならば、先日…大量の瓦礫が降ってきたことは知っておるか?」

「――っ!」


ぞわり。恐怖や不気味さを容易く、怒りが喰い尽くした。


何処まで見透かされているのかと、啄や他の仲間は顔を白くしているが。鴇緒だけは、強く握った手の甲がぎちりと音を立てる程に、怒っていた。

その様子を見て、まんまとかかったと福郎は口角を吊り上げるが、それも今の鴇緒の眼には映っていないだろう。


「あれは、阿比の奴がやったことでのう。あやつめ、断りもなしに縄張りを勝手にいじった挙句、壊した建物をずさんに処理してくれおって。
ぬしらも、何かしらの形で迷惑を被ったのではないか?」


確かに見開かれている鴇緒の瞳には、あの最悪の瞬間の記憶がフラッシュバックしている。

夢と希望と、潰えた友の意志を背にして訪れた先。

降り注いできた瓦礫と、突き飛ばされた体と、強く鼻を刺す血の匂いと――。


(……ありがとう、鴇にぃ)


そうだ。自分は何の為に此処に来たのか。

思い出し、覚醒したかのように目付きを変えた鴇緒は、一瞬で濁った眼で、静かに福郎を見据えた。

なんて嫌な眼をしているだと、見られてもいない啄達が、最悪の予感に身を震わせ、何かに縋るような眼で鴇緒を見た。


やめてくれ、思いとどまってくれ、まだ戻れるんだと。

そんな風に語る視線を振り払い、鴇緒はにたりと吊り上げた口を開いた。


「…いいぜ、受けてやるよ……その仕事」

「お、おい!鴇緒!!」

「どうせ…いつかぶっ潰してやろうと思ってたんだ……ハハ、至れり尽くせりじゃねぇか」


止めたところで、煽られた彼は止まれやしなかったのだ。

背負う亡霊達に託された誓いを守る為。夕鶴を救う為に、鴇緒は――上る以外、選択の余地がなかった。


「ほうほっほ。では早速、話を進めるとするかのう。黒丸」

「はっ」


其処に彼を追い詰めたのは、言わずもがな福郎だった。

何も知らないくせに、鴇緒をこうも手玉に取って、福郎はまんまと盤上を動かしてみせた。
憎々しくも、敵わないと歯噛みすることしか、啄達には出来なかった。


もう、止まることは出来ないとこまで踏み込んでしまった。

こうなってしまった以上。後は、鴇緒の向かう方へと付き従うことしか、彼等には出来ないのだ。





「私が会長にお仕えしてから、これで三回目でございますね」


とくとくと、小気味良い音と共に、白磁のティーカップに上品な色をした紅茶が注がれる。

ゴミが犇めくこの町に似つかわしくない、芳しい香りが漂う室内で、
黒丸が煎れた紅茶を手に、福郎はまた、愉しそうに目を細めて笑っていた。


「ほぅほっほっほ。そうか、ぬしが来てからこれで三人、四天王が変わったのか」

「…最初は金成屋・鴉様……次いで、安樂屋・燕姫様。お二人の就任も、もう数年前になりますね」

「時の流れは早いものよのう。儂も歳を取る訳よ」

「……しかし、今回は代替わりとなるのでしょうか」


鴇緒達との商談を終え、彼等が善は急げとさっさと月の会を後にしていくのを見送った黒丸だが。
彼等がもう一度此処に来ることはあるのだろうかと、彼は窓の外を一瞥した。


「掃除屋・阿比様は…現在の四天王の中では一番長くこの座に就かれております。
昨今、ますます勢力の拡大を狙われておられるようですし……鴇緒様達には少々荷が重いのでは」


窓の向こうの世界。その片鱗だけだが、少なくとも鴇緒達よりは多くのことを黒丸は知っている。


この町に巣食う者達の狂気や悪意。

そうしたものが渦巻く中に身を置き、力を以てして腰を据え続ける人間――それが、鴇緒達が討たねばならない相手だ。


弱者が喰われ、強者が享楽を貪るこの町で、己の手腕で勝ち上がった実力者・四人。
そんなゴミ町四天王で、現在最も長い時間、その地位に就き続けているのが、阿比であった。


この町では、いつ誰が首を掻かれるか分からない。

法などなく、秩序も容易く崩れる場所で、完全な安定も平和もない。
油断すればあっという間に狂気の中に呑まれ、ゴミ山に埋もれていく。

そんな無情な平等さだけは揺らぎないゴミ町で、長らく地位を保ち続けられているということは、
それだけの実力を有しているということと同義だ。


月の会の警備員を蹴散らした鴇緒達も、確かにかなりの実力者であることには違いない。

しかし、それでも彼等の間には大きな経験の差があるし、
何より負け犬の巣窟であるダンプホールから来たばかりの青年達が、歴戦を制し今も君臨するゴミ町四天王に勝てる図が浮かばない。


故に、黒丸は分からなかった。

どうして福郎が、わざわざ阿比を潰そうと鴇緒達を煽ったのか。
そこまでするようなことを阿比がしたのか。期待される程のものを鴇緒が持っていたのか。


その疑問の答えは、福郎の次の言葉が、全て語っていた。


「ほぅほっほ。黒丸、”ぬしは”この勝負、阿比に軍配が上がると予想するか」


大きく眼を見開いて固まった黒丸が面白いのか、福郎は手を軽く叩いて笑った。

いつの間にか、その手には薄型の携帯端末が握られており。
ちらりと見ればそこには黒丸が知った名前と、とんでもない桁の数字が並んでいた。


「お得意方は、鴇緒に賭ける側が多いがのぅ。ほぅっほっほっほ!随分とまぁ、楽しんでおられるわ」

「……鳥瞰倶楽部の方々ですか」

「ほほ。金と時間を持て余したお客人は、面倒だが羽振りがよいものよ。
こうして定期的にゲームを用意すれば食い付き、楽しませれば利潤を齎してくれる」


福郎には、阿比を裁く気も、鴇緒に何かを託す気もなかった。

彼は最初から、この両者とその同胞を巻き込んだ遊戯を提供するつもりだったのだ。


壁の向こう。都に暮らす人間の、上流階級に属する者。
その中でも一際趣味が悪く、金と暇の使い道に悩むような人間達を相手に、福郎は商売をしている。

生きた人間同士が繰り広げる、決死の闘争。その勝敗を予想して賭けるゲームにのめり込んでいる傍観者達の集まり。
それが鳥瞰倶楽部であり、鴇緒達の命は彼等の一時の愉悦の為に賭けられているのだ。


「さぁ、踊ってみせてくれ獣共よ。ぬしらの血肉で、この町が、世界が潤うのだ。ほうっほっほっほっほ!」


それを知ったからとて、黒丸は何をすることもない。

ただ当たり前のように受け入れて、何事もなかったように与えられた仕事をこなしていくだけだ。


そうしなければ、自分は――黒丸という人間は、獣ですらなくなってしまうのだから。


笑う主の傍らで、黒丸は静かに眼を伏せながら、ゆっくりと背筋を伸ばした。


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