カナリヤ・カラス | ナノ



数年ぶりに吹き荒ぶ風に当てられ、彼等は反射的に細めた眼を、ゆっくりと見開いた。

予定よりも早く、殆ど荷物も持たずによじ登った先。
到達した地上に足を下ろした一同は、急ぎだというのにその場に止まって、息を飲んでいた。


「……来たんだな………地上」


目の前に広がるのは、かつて彼等が背を向けた景色だった。

腐臭を纏うゴミ山に、時化た色をした建物に、遠く向こうに聳える壁に――。


感嘆と高揚が込み上げてくるような、大それた光景などではない。
全ては当たり前のように其処に在り続けていて。それが特別なものに感ぜられるのは、彼等が穴の底に逃げていたからだ。
幼い身で世界から淘汰され、広くも狭い地下へ身を潜め、時折顔を上げてはこの情景に焦がれていたからだ。


故に、彼等は思い出すように、これが夢ではないと確かめるように息をして、瞬きをして。

一分にも満たないような時間そうして、やがて誰かがぽつりと、開きっ放しだった口を動かした。


「…空、近ぇ……風、強ぇ」

「……そういや、こんなとこだったな…此処」


それを皮切りに、一同の体はこの場がゴール地点ではないことを思い出したかのように動き出した。

いつまでも感傷に浸ってはいられない。自分達がこうしている間にも、夕鶴の命は危うく揺れ動いているのだ。
精一杯感動するのは、改めてまた全員で此処に来た時にしよう。

一同は地面を爪先で蹴ったり、踵をとんとんと鳴らしたりしながら、次の一歩をどちらへ踏み出すべきかと辺りを見回した。


「………それで、何処に行くんだ?鴇緒」

「本当なら、下調べしてから来る筈だったからよ…金稼ぐ為の場所とか、」

「いや、一つアテがある」


本来ならば、何度かこうして地上に出て、入念に下調べをしてから一同は穴蔵を出るつもりだった。

だが、その調査の第一回があの悲劇に見舞われ、彼等は殆ど情報を持たないままに、此処ゴミ町を探索することになった。


標も頼りもなく、彼等にとって途方もない額の金を稼ぐ術のある場所へ。未知の道犇くこの町を、鴇緒達は急いで進まなければならなかったのだが。
たった一つだけ、暗がりを照らす灯台の明かりにも匹敵するものが、鴇緒にはあった。

それもやはり、人伝てに聞いただけに過ぎない情報なのだが。
今の自分達はこれに勝るカードを持っていないと、鴇緒は唯一にして最大の手札で勝負に出ることを決めた。


「…昔、地上で問題を起こしてあそこに来る破目になったつーオッサンから聞いた。
此処には……ゴミ町には、月の会っつー人材派遣商会があるらしい」

「じんざ……?」

「……仕事がほしい奴がいって、其処で適任の案件もらってくる場所らしい」

「マジかよ!なんだ、そんな便利な場所あんなら早く言えよな!」

「で、その…月の会ってのはドコにあんだ?!」


期待と、希望のどよめきが一同の中に広がる。

いよいよ火がついてきたというべきか。
鴇緒も、仲間達も、目指すべき場所が決まったことで高揚感を覚えつつあるのが、場の空気で分かった。


「…そこまでは知らねぇ。けど、此処はもう地上だぜ?
この辺りを知ってる人間なんざ、そこら中にいるんだ。適当に引っ捕まえて案内させりゃ、すぐに着くだろ」

「そっか成る程!じゃあ、まずは道に詳しそうな奴探しだな!」


浮き足立っている事態ではない。
冷静に状況を判断し、適格かつ最小限の時間で行動しなければならない。

そう頭で思っていても、彼等の心臓は熱い血液を指先まで送り、口角はにたりと吊り上るのを止めない。


閉ざされた穴の底から、憧れの地上に出たこともあるが、
かつて自分達を虐げてくれた場所で、自分達が捕食者となることが、何より鴇緒達を高ぶらせていた。


動機がどうであれ、最終目的が何であれ。彼等もまた、この町に育まれた狂気の子に違いないのだった。





「此処か、月の会ってのは」


思っていたよりもスムーズに到達した目的地を前に、鴇緒達は改めて感嘆の息を吐いた。

ダンプホールでは倒壊した姿しかなかった、目の前に聳え立つ高層ビル。
その前で、彼等は揃いも揃って口を開けながら顏を上げて、月の会本部たるビルを眺めていた。


「……近くで見ると、ますますでっけー建物だな」

「建物さえ分かっちまえば目印になっから、来るの楽で助かったな」

「…問題は、そっから先みてぇだけどよ」


ビルの規模に感動するのもそこそこに、視線を下ろした先に構えるものに、鴇緒は肩を竦めて苦笑した。
何となく予想はしていたが、出入口には警備員が二人控えていた。

如何にも屈強そうな、体格のいい大男。
彼等にスルーしてもらえるようにして、月の会へ入ることは、扉と男達の距離的に考えてまず不可能だろう。
文字通り、正面突破しか方法はない。

鴇緒達はやれやれといった様子で、ぞろぞろと警備員達の前へと歩いて行き、当然、扉の前で呼び止められることになった。


「なんだ、お前らは。初めて見る顔だが……仲介所からの連絡は来ていないぞ」

「あぁ、そういうとこもあんのか。なにせ俺達、此処に来たの初めてみてぇなもんだからよ」


鴇緒の言い方を訝しむように、警備員は顔を顰めたが、彼等に事情を説明している時間はない。

皮肉るように浮かべた笑みをそのままに、鴇緒は後頭部をぼりぼりと掻きながら、簡潔に用件を述べた。


「悪いけど、俺ら急いでっからよ。一番偉い奴呼んで来てくれねぇか?仕事ほしいんだよ」

「ハッ。口の利き方も知らないようなガキが、此処で仕事をもらったところで――」


その物言いで、此処が突破出来るなどと、鴇緒は最初から思っていない。

そもそも、彼は警備員達をまともな方法で切り抜ける気などさらさらなかった。


ほんの一瞬。警備員がまばたきしたその刹那に、ヒュッと黒い影が彼の顎へと走り、
次の瞬間。警備員は上方向へと吹っ飛び、血を吐きながら地面にべしゃりと転がった。


「てめぇは話の聞き方を知らねぇのか?」

「ふ、ひゃ……が、」


顎と歯が砕けたせいか、警備員はまともに悲鳴を発生することも出来ず、
泡立った血をだぼだぼと吐きながら、もがく芋虫のように身を捩っている。

それを呆然とした眼でしばし見ていたもう一人の警備員は、間もなく耳を劈いてきたヒュンヒュンという音にハッと我に返った。


弾かれたように顔を動かせば、鶴嘴を器用に回転させている鴇緒と、その後ろでガチャガチャと武器を構えだす彼の仲間達が眼に映った。


「急いでるっつってんだ。向こうが来ねぇなら、こっちから行かせてもらうぜ」

「て……てめぇこのクソガキぃいい!!!」


騒ぎを聞き付けたのか、扉の向こうからは続々と警備員達が駆け付けてきた。

数にして二十人前後か。鴇緒達の倍以上、やはりよく鍛えられているだろう体つきの男達が襲い掛かってくるが、
鴇緒達は誰一人として怖れる様子もなく、手にとった武器を翳し、咆哮を上げた。


「邪魔する奴ぁ、片付けろ!!派手にやっちまえ!!!」

「「おおおおおぉおおおおおおおお!!!」」


駆け抜け、翻り、ぐるりと身を捩ったかと思えば、痛撃を繰り出し。
此方を囲む男達を吹き飛ばし、宙に浮いたその体に、更に追撃を浴びせていく。

まさに怒濤の勢いで攻め込む鴇緒を筆頭に、ダンプホールの子供達は月の会へと攻め込んでいった。


無論、警備員達とてデクの棒ではなく。そう容易く明け渡してなるものかと抵抗する。
しかし、勢いは明らかに鴇緒達にあり、劣勢は眼に見えていた。

それでも引く訳にはいかないと、警備員達は必死に食らい付いていたのだが――。


「お、応援を呼べ!!このままじゃ、ガキ共が……」

「オラオラァ!どいたどいたぁ!!」

「ぐあぁあっ!!」


深い穴蔵へと追いやられ、劣等感と焦燥と歪んだ羨望を苗床に育ってきた落とし子達は強かった。

強く餓え、強く焦がれ。
苛酷な環境でも生き延びる為、もう一度地上へと這い上がる為に鍛えてきた彼等は、警備員達の手に負えるものではなかった。

そう、警備員達の手には――。


「何をしていらっしゃるのですか」


冷たさすら感じられないその無機質な声に、その場がしんと静まり返るのを、鴇緒は肌で感じた。

熱気も、高揚感も、全て平らに均され。声の主が無感情な眼で、辺りを一瞥すると共に、騒乱は鎮まってしまった。


「…く、黒丸様……」

「……今一度、お尋ね致します。何をしていらっしゃるのですか」


助けを求めるような声をひっと引っ込めて、警備員達は彼が、自分達ではなく鴇緒に声をかけていることを把握した。

一方、何をしているのかと問われた鴇緒は、ここにきてようやく冷や汗が背中を伝っていくのを感じていた。


「…お前、タダ者じゃなさそうだな。……けど、一番偉い奴って訳でもなさそうだ」

「……会長に、御用件でしょうか」

「仕事もらいてぇんだよ。今すぐ、それも、一発でどっさり稼げるやつ。その話がしてぇから入ろうとしたら、このザマでよ」

「………成る程」


相手は、自分よりも一回り小柄で、線も細い。

黒丸、と警備員が呼んでいなければ、女と思ったかもしれない程度に中性的な青年だ。


だというのに、彼の凪いだ瞳の前にいると、寒気立って仕方ない。

今はどうにか、皮肉った笑みを浮かべていられているが――物静かでありながら、戦意漲る彼の動作に、鴇緒は警戒せざるを得なかった。


「失礼ですが、貴方…お名前は?」

「あ゛?……鴇緒、だが」

「…かしこまりました。では、鴇緒様。私にご同行ください」

「く、黒丸様!」


拍子抜けしたようにきょとんしてしまった鴇緒に代わり、声を上げた警備員であったが。
その咎めるような叫びも、黒丸が視線を向ければすぐに消えてしまった。

そこに侮蔑も冷徹さもない。ただ、当たり前のように染みついた闘争心だけがあって、それが不気味で仕方ないのだと、ここで鴇緒は理解した。


「……審査の必要はないでしょう。会長も、此方の様子はご覧になっておられます」

「………つーことは」


そんな眼を向けられていると、分かっているのかいないのか。

黒丸は、しゃんと伸ばした背を折ると、鴇緒達に向かって深々と頭を下げた。


「会長のもとへ、ご案内致します。月の会は…貴方がたを歓迎致します」


完成されたその動作と、丁寧な言葉の内側。

確かに目を剥き、牙を光らせる獣がいることを感じながら、
鴇緒はそんな彼を飼い慣らす会長とはどんな人物なのかと、汗で濡れた手を、ズボンに擦り付けるようにして拭った。


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