カナリヤ・カラス | ナノ




「……取り敢えず、止血は出来た」


幌切れを縫い合わせて作ったテント内。

誰もが口にしたい言葉を噛み殺して沈黙を作っている中、夕鶴の治療を終えた青年が、
嫌な脂汗に濡れた顔を一同と、両脚を失った夕鶴から隠すように拭った。


「だが…こんな場所じゃ、いつ傷口が化膿したり感染症にやられたりするか……。今だって、熱出して痛みに苦しんでるってのに…」


彼は、身を寄せ合う孤児達の中で、最も手先が器用で、傷の処置が上手い青年であったが、
こんな穴蔵の中で得た知識と、所持している道具には限界がある。

それでも、十分過ぎるくらいに彼はやってくれたと、夕鶴当人含め誰もがそう思ったが、
もっと他に出来ることはないのかと、自身の非力さを呪うように、彼はくたびれたタオルを顔に乗せたまま、誰とも眼を合わせようとしない。


そうしてまたも沈黙に見舞われる中。
麻酔の類など一切ない状況で両脚を潰された夕鶴が、必死に痛みを堪えようとしている声が、微かに一同の鼓膜を打つ。


見ていられないと、何人かは視線を逸らし、気を逸らそうとしていたが。
鴇緒だけは夕鶴のすぐ隣に腰を下ろし、ずっと彼女を見ていた。

虚ろでありながら、未だ死に腐っていない眼で。鴇緒は、自らの手で両脚を奪った彼女を、じっと。


「……なぁ、確か上には…医者がいるんだよな。物凄い腕の立つ……確か、安樂屋とか言う」

「あぁ、監督が言ってた……」

「けど、あそこってとんでもねぇ治療費がかかるんだろ?俺らに今、そんな金……」


ダンプホールにはダンプホールの社会がある。
そして、社会がある中には仕事があり。鴇緒達はその仕事にあり付くことで、今日まで食い繋いできた。

労働内容はとても子供がやるようなものではなく、報酬も日給にして缶詰や水数個という破格もいいところの仕事だが、
誰が何の為にやっているのかも分からない計画に参加し、彼等は苛酷な肉体労働をこなしてきた。

その仕事を取り仕切っている人間は、何等かの事情があって穴蔵まで下りてきている地上の人間で、
日によって変わることがあるが、総じてその役職の者は「監督」と呼ばれていた。

その「監督」や、彼に付き従って来た労働者などの話を聞いて、孤児達はぼんやりと地上の知識を得ていたのだが。


「相手は医者だろ?脅して無理にでも……」

「バカ、忘れたのかよ。上の医者は、稼いだ金でとんでもねぇ化け物飼ってんだぞ。そんなことしたら、俺ら全員エサにされちまう」

「じゃあ……どうする」


ただ耳にしただけの情報ですら、彼等の絶望を助長するだけで。

やはり、この世界の何処にも自分達の居場所はなく。この穴の中で、おっかなびっくり死がやってくるのを待つしかないのか。
次から次へと、失意が伝染して、一同の顔付きが益々暗くなっていく中。

どうしても諦められない者が一人。これまで固く閉ざしていた口を、ゆっくりと開いた。


「………金がねぇなら、稼ぐしかねぇ」


酷く乾きにやられて擦れた声が、テント内部に響いた。


この状況を打破出来るような、明確な案などそこにはなく。今後の行動方針にしてはざっくりとし過ぎている。
そんな、余りにも頼りない一言だが。それを口にしたのが、常に先頭に立って行動してきた鴇緒だからか。

俯いて、この底辺の中の底辺の世界で這いつくばっていくことを選びかけていた一同の顔は、確かに大きな揺らぎを見せていた。


「稼ぐったって……どこでどうやって…それに、中途半端な金じゃ」

「だから、まずそれを探すんだよ」


無情な世界から追いやられ、此処まで逃げてきた子供には、選択肢など限られている。

何処まで行ってもしがみついて離れない、残酷な現実に打ちのめされるか。
徒労か、最悪犬死に終わることも辞さずに、それに抗ってみせるか。
突き詰めてしまえば、その二択しかない。


言葉にすれば、後者の方が魅力的で、輝いて見える。しかし、実行するに辺り大きな痛みや犠牲を伴うのも、やはり後者である。
事実、彼等は最底辺からの脱却を目指して抗い、現状に叩き伏せられている。

だからこそ、一同の絶望は計り知れない程に大きく。誰もが口にしたがらなかったが、もう何かに期待することはやめようと。
どうせ何をしたところで、報われることはないのだからと。諦めて、緩やかに死を待つことを望んでいた。

だが、鴇緒だけはそれを良しとしなかった。


「…俺と、あと四、五人で……一度上に上がって、金を稼ぐ方法を探す。
見付かっても見付からなくても、一日経ったら此処に戻って、報告する……それでいいか?夕鶴」

「……帰って、きてくれるの……?」

「あぁ。絶対に、何があっても…俺は、此処に戻ってくる」


志半ばにして朽ちていき、最底辺の闇に呑まれていった仲間達の亡霊を背負う彼は、此処で終われなかった。

託された最後の希望が此処にあり、彼女が身を挺して守った自身が五体満足である以上、鴇緒は上を目指さなければならなかった。

誰になんと言われようと、世界が何度牙を剥いてこようとも。鴇緒は立ち止まることを赦せなかった。


「言っただろ……お前を、置いていったりしねぇって。だから、待っててくれ」


そう言って、鴇緒は夕鶴の脚を潰したその手で、汗で濡れた彼女の頭を優しく撫でた。

その感覚が、降り注ぐ声が、全て何一つとして偽りのないものだというのは、問うまでもなく感ぜられる。
夕鶴は、熱に浮かされた眼から涙を一筋流しながら、腰を上げた鴇緒を見送る為にと、精一杯の笑みを見せた。


「……うん、待ってる……私、待ってるよ…鴇にぃ」


斯くして、枷はつけられた。

ここから金成屋・鴉に全てを打ち砕かれるまで。深い穴の底に繋がれた鴇緒は、上へ上へと狂ったように羽ばたき続けることになる――。


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