カナリヤ・カラス | ナノ


斯く在りたいと思うものなど、彼女には無かった。

ただ、こうはなりたくないと心から願ったものが一つあるだけで。それを原動力にして、彼女は今日まで生きてきた。


(すげぇだろ。お前の母親、最後はこんな風になっちまったんだぜ)


戦闘訓練に鬱ぎ、ふいに、母親に会いたいと口にした。


父親であるバンガイに出来損ないと蔑まれ、心の拠り所に出来る場所が、顔も見たことのない母親の存在しかなくて。今よりもずっと幼かった彼女は、母の愛を求めた。

それだけあれば、どんな辛いことにも堪えられる。戦うことも、傷付くことも、父親から邪険にされることも受け入れられる。

だから、少しでいい。ほんの僅かな時間でもいいから、母親に会わせてほしいと、彼女は願ったが、その切実な想いは、無惨にも打ち砕かれた。葦切が持ち出した、ある記録映像によって。


(馬鹿だよなぁ。総帥に背いたりしなけりゃ、こんな死に方しなかったのに……あー、何回見ても最高だな、ココ)


それは、懲罰房の監視カメラによって撮影された、叛逆者として捕えられた女が暴虐と凌辱の限りを尽くされる様を納めた映像だった。


レジスタンスの主導者として暗躍し、自治国軍を裏切った咎により、女は凄惨な拷問を受けていた。

両脚は関節が外され、その上、腱が切断されていた。棘のついた手錠を嵌められた腕は、火傷によって皮膚の一部が爛れ、指には爪が一つとして残されていない。
背中には、ナイフで刻まれたであろう文字の痕が見られたが、別の拷問によって肉が裂け、何が書かれていたのかさえ分からない。
整った顔も半分腫れあがった状態で、乱暴に引っ掴まれて傷んだ髪は所々固まり、顎から下は血に塗れている。


一体、どれだけの時間をかけて凌虐すれば、このような姿に成り果てるのか。

呼吸をすることさえ侭ならない、弱り果てたその躯の上に跨り、悲鳴を煽り立てることに父親の姿を凝視したまま、カササギはその場に崩れ落ちた。


あれが自分の母親だというのなら、彼女は、父に殺されたということだ。

ああして何度も何度も、執拗に嬲られ、犯され、蹂躙と破壊の限りを尽くされた果てに、彼女は息絶え、ゴミのように打ち捨てられたその体さえ、弄ばれた。

頭部は軍事ドローンに連結され、レジスタンス達の前に持ち出され、胴体部からは子宮が摘出され――其処から、自分が生まれた。

その事実が、カササギの中に新たな願いを樹立した。


(お前も、こうなりたくなかったら心血注いで尽くせよ。娘だからって容赦してくれるような相手じゃねぇってこと、理解出来るだろ?)


死にたくない。死にたくない。あんな風に死ぬのだけは、嫌だ。父に殺されたくない。母と同じ末路を辿りたくない。

もうそれ以外は、何も求めない。戦えと言われればいつまでも戦う。どれだけ傷付こうと、泣いたりしない。誰かに愛されたいなんて願いも投げ捨てていい。どうか、母のようにだけはしないでくれと、彼女は兵器になることを選んだ。


生き残るには、これしかない。不必要と見做され、処分されないようにするには、己の価値を証明し続けるしかない。

その為に、此処で彼女達を取り逃がす訳にはいかない。まして、ただの人間を相手に倒されることなど、あってはならない。


「アア、ア……アアアアアアアアア!!!!」


細胞一つ一つを奮い立たせるような咆哮を上げ、カササギは残る力の全てを振り絞った。

向こうも、すでに限界を迎えている。此処で畳み掛ければ、一気に全員打ち倒すことが出来る筈だと、カササギは全エネルギーを注ぎ、ナノマシンを膨張させた。


「馬鹿な……此処に来て未だそんな力が」

「アアアアアアアァァアアアアア!!」


オーバーヒートを起こしたナノマシンの熱暴走により、体の内側から爆ぜそうな痛みがせり上がる。
それを放出するように、背部から無尽蔵に管や配線を生み出しながら、カササギは最後の攻撃へと備える。

足首のブースターに、限界までエネルギーを装填し、音さえ置き去りにする速さで飛び立つ。そうして、滅茶苦茶に増大した体で全てを押し潰してしまえば、自分は生き残れる。彼らの首を以てして、自らのアイデンティティを確立出来る。

だから、此処で死んだって構わない力で踏み出そうと、カササギが身構えた、その時。


「雛鳴子!!」


誰よりも早く駆け出し、瓦礫の山を跳び越えて来た彼女の影が、カササギの上に落ちた。

下手に突っ込めば、背後で蠢く無数の管に刺し貫かれるか、圧倒的物量から繰り出される突進に巻き込まれ、粉微塵になるというのに。彼女は――雛鳴子は、一切の躊躇いもなく疾駆し、カササギの懐へと飛び込んだ。


予期せぬ特攻に、カササギは一瞬固まったが、すぐさま彼女を迎撃せんと、狼狽しながら数本の管を繰り出した。
だが、管は何れも雛鳴子の腕や脚を掠め、髪を数本千切り飛ばしただけで終わり、僅かな返り血を頬に浴びながら、カササギは竦み上がった。

残るエネルギーの大半は、膨張とブースターに宛ててしまった。最早、再生に費やすことは出来ないだろう。この至近距離から爆撃を受けてしまえば、致命傷になる。

それでも、中途半端に頑丈なこの体では、死にきれない。死に損なってしまったら、殺される。役立たずと見做されて、分解される。父の手で、母のように始末されてしまう。

そのビジョンに怯え、反撃に出ることさえ出来なかったカササギは、来たる爆撃に慄き、強く眼を瞑った。


しかし、彼女の体が爆炎に包まれることは無く。縮み上がった肢体は、柔らかな拘束を受けるだけで終わった。


「…………思ってたよりもずっと小さいんだね、貴方」


愕然としたのは、カササギだけではなかった。

彼女を討ち取る千載一遇のチャンスに、未だ無数の武器を携えたその体を、雛鳴子は優しく抱き締めていた。


その背後に蠢く、無数の管が見えていない訳ではあるまいに。まるで路頭に捨て置かれた子供を憂いるような顔で、雛鳴子はカササギを両の腕で閉じ込める。

次の瞬間には、臟をぶち撒けられて然るべき状況だというのに。雛鳴子は腕の力を決して緩めることなく、今にも動き出さんとしている兵器を抱く。


「こんな細くて、痩せぎすの体で……貴方はずっと、戦ってたんだね」


たかが人の腕力で押さえ付けられる相手ではないことも、何時刺し殺されてもおかしくない状況であることも分かっているだろうに。

戸惑い、何をしているのかと声を飛ばすことさえ出来ずにいる鷹彦達を置き去りに、雛鳴子は力無く佇むカササギを支えるように胸の中へ抱き寄せる。こうすることが己の使命とでも言わんばかりの力を込めて。


「…………どうして」


至極当然、カササギには何一つとして理解出来なかった。

迎撃されることさえ恐れず、捨て身で突っ込んできたかと思えば、絶好の機会を手放してまで、この体を抱き締めてきた雛鳴子の行動も。
今此処で踏み出して、彼女ごと何もかも吹き飛ばしてしまえばいいものを。何も出来ず、ただ抱擁されている自分自身も。

何もかもが理解の範疇を越えていて、訳が分からなくて、頭の中が滅茶苦茶に撹拌されるようだと、カササギは悲痛な声を上げた。


「どうして、そんなことを言うの」


あれだけ攻撃してきたというのに、今更情が湧いてきたとでもいうのか。止めを刺すことが出来る状況になって、憐れむ余裕が生まれてきたのか。

自分が、正真正銘の兵器であることを分かっているだろうに。何故今になって、ただのちっぽけな子供を前にしたような顔をしてくるのか。

その細腕を千切り飛ばすだけの余力を持ち合わせていながら、それでも雛鳴子を振り解けずにいるカササギは、彼女を咎め立てるように尋ねた。


「わたしは、たたかわなくちゃいけないのに……たたかえないと、かちがないのに……。いらない子だって、おとうさんに、こわされちゃうのに、なのに、なんで」


戦うことが出来ない兵器には、存在する意義がない。

だから自分は今日まで、戦って、戦って、生き永らえてきたのに。だのに、どうしてそんな風に憂いたりするのだ。

小さかろうが、痩せぎすだろうが、戦うことが出来れば、関係ない。少女の形をしていようが、兵器は兵器。それを分かっていながら、何故、こんな風に抱き締めてきたりするのだと声を震わせるカササギに、雛鳴子は酷く静かな声で答えた。


「もう、そんなことを考える必要なんてないからだよ」


理由と動機は、とても単純なものだった。あと、たった一撃。それだけで機能停止してしまう状態になったカササギを、雛鳴子は兵器として見ることが出来なくなったのだ。

彼女が紛れもない兵器であることは、骨身に染みている。正直、カササギが最後の攻撃に移らんとした時まで、雛鳴子は彼女を破壊するつもりでいた。

だが、不意を突かれ、まともに反撃することも出来ぬまま、迫りくる死に怯え、眼を瞑ったカササギの顔を見た瞬間。雛鳴子にとって彼女は、ただの少女に変わった。


此処まで彼女を追い詰めておきながら、どの口がとは思う。寸前まで彼女を殺す気でいながら、今更という気持ちもある。
それでも、痩せこけた体で懸命に戦ってきた少女を、これ以上、苦しめてやりたくないと思ってしまったのだと、雛鳴子はカササギを憂い、その小さな体を抱き締めた。

そして、無防備な体を攻撃することも無く、腕の中で微かに震える彼女を眼にした時、雛鳴子は確信した。今此処にいるのは、人の形をした兵器ではなく、カササギという名の少女である、と。


故に、雛鳴子は告げた。今まで兵器として生きるしかなかった少女に、これからは人として生きる道があるのだと、指し示すように。


「貴方が戦う意味は、私達が壊す。この基地も、その頂上から見下ろしてくる奴も、古代兵器も……全部、私達が壊してしまうから。だから、貴方はもう戦わなくていいし、戦えない自分に価値がないなんて思わなくてもいい。これからは……貴方がしたいことだけを考えていれば、それでいいの」

そう言ってカササギを抱き固めていた腕を解くと、彼女は力無くその場にへたり込み、それを皮切りに、膨張していたナノマシンは端から崩れ落ちていった。

完全に戦意喪失したらしい。霧散したエネルギーを惜しむこともせず、ただ小さく息をするだけのカササギを暫し見つめた後、雛鳴子は踵を返した。


「行きましょう、鷹彦さん」

「……いいのか。あのままにしておいて」

「ええ。彼女にはもう、立ち上がる力もありません。それに……彼女が戦う理由を私達が壊してしまうのであれば、此処で襲い掛かってくる理由もないかと」


カササギが戦う理由がバンガイにあるのなら、彼が倒されることは彼女にとって望ましいことだろう。
彼女は好き好んで戦っているのでも、他に目的がある訳でもないようだし、バンガイに殺されずに済むのであれば、それが一番と見受けられる。

暫くすれば幾らか回復し、動けるようになるだろうが、彼女が自分達を攻撃する理由が無ければ、問題ないだろう。


そうして、またしても無防備に背を向ける雛鳴子を一瞥もくれず、呆然と座り込むカササギを見遣って、鷹彦達も足を進めた。

今此処で彼女の息の根を止めておくべきだと思いながら、誰もがそれを出来ずにいたのは、カササギに対する情が湧いたからという訳では無かった。
戦意を失ったカササギを、わざわざ刺激する必要は無いし、下にはバンガイが控えている。これ以上、時間と体力を費やすことはないだろう、という合理的観点からの判断でもあったが、何より、カササギをこれ以上攻撃すれば、色んなものが台無しになるような気がしたのだ。


どうしてそんな風に思ったのかは分からない。だが、迷いなくカササギの懐へと飛び込んでいった雛鳴子を目の当たりにした時から、一同は、彼女はこうなることを分かっていたのではないかと感じていた。

何一つとして確証はないのだが。カササギを殺すのではなく、疲弊させると雛鳴子が考案したのも、全てこの結末に繋がっているような気がして、目白達も、きっとこれで良かったのだろうと、カササギに背を向けた。


「……わたしが、したいこと……か…………」


やがて、一人になったカササギは、床の上に大の字に寝転がり、天井を仰いだ。


こうして体を休めていれば、直に動けるようになるだろう。
体細胞とナノマシンを動かすエネルギーさえ戻れば、自分はまた、戦えるようになる。だが、自分が戦う意味は、これから壊してしまうと、彼女が言った。

出来損ないの兵器に苦戦し、逃げ回っていた人間が行ったところで、父に勝てる見込みなど万に一つもないだろう。
だのに、彼女はまるで、それが定められた未来なのだと言わんばかりの口振りで言い放った。此処にある全てを打ち壊し、亰と、亰に生きる全ての者に自由を齎すと。


あの自信は、何処から湧いてくるのか。本当に理解し難い人だったと、彼女に抱き締められた時のことを回顧しながら、カササギは、いつからか思い描くことさえ止めた夢を見るように、ゆっくりと目蓋を閉じた。


「なんだろう……わたし…………なにが、したいのかなぁ…………」

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