カナリヤ・カラス | ナノ
全ては、かつて自治国軍専属の技術師であり、兵器開発に於ける最高責任者であった雁金が、大戦後の人類史に失望したことから始まった。
軍事技術のパイオニアとして抱えられ、惜しみないバックアップを得て、これ以上とない環境下で新兵器の開発に取り組んでいた雁金は、最先端を突き詰めようとすれば必ずぶち当たる、百年戦争時代という壁に苦悶していた。
世界中で絶え間なく戦争が繰り広げられ、血で血を洗う以外の術を誰もが見失っていた戦乱の時代。そんな地獄のような世界に油を注ぎ、戦火を煽り続けた、究極にして最低最悪の死の商人――中立機関、ニュートラル。
彼らの人智を越えた、最早禁忌と呼んで然るべき軍事技術は、大戦時代の忌まわしき遺物として闇に葬られ、ロストテクノロジーと化した。
それは、世界の破滅を前にして、ようやく眼を覚ました愚かな支配者達が、人類の滅亡と次なる大戦を回避すべく手を尽し、この世から悉く抹消したのだろう。
だが、雁金からすれば、それこそが最も愚かな決断であり、そんな暗君達こそが、この世界を滅ぼした諸悪の根源であり、人類史の毒巣、病根であった。
この世界は、過ぎたる技術によって滅びたのではない。叡智を持て余すような愚断しか出来なかった為政者達によって滅びたのだと、雁金は自ら退化を選んだ文明を嘆いていた。
故に、彼は求めた。人類とテクノロジーの進化と発展を。それを確約し得る支配者を。
その為に、雁金は自治国軍に従事し、与えられたあらゆる特権と資金を使い、ニュートラルの技術を追及し、探究し――果てに、彼は辿り着いた。
広大な砂漠の中に沈んだ、ニュートラルの研究施設。遺跡と化したその場所には、雁金が欲した全てが戦後百年に及ぶ、深い眠りに就いていた。
「慈悲心鳥は、原初の生物兵器であり、あらゆる生物兵器の母でもあった。その体は余すとこなく兵器であり、彼女の血肉からは多くの生物兵器が造られた。細菌兵器”ネヴァーモア”もその一つであり……これに感染した生物は、細胞が死と再生を無尽蔵に繰り返し、一種の癌のような症状に見舞われる」
荒れ果てた研究所には、ニュートラルが造り出した強大無比の人型兵器と、彼に関するデータが眠っていた。
それらを全て余すことなく掘り起し、解析し、我が物とした雁金は、目覚めた兵器と共に、この世界に再びの大戦争を巻き起こさんと決起した。
忠義を尽くした先代総帥さえ、彼を目の当たりにして怯えたという理由で簒虐し、自らを唯一絶対の支配者とすることで、この世界と人類に技術の火を齎さんと、雁金は亰の支配権を掴み取った。
全ての人類は知るべきなのだ。科学とは、斯くも素晴らしいものであるという感慨を、昂揚を。初めて彼の力を目の当たりにした時の自分のように、人々は今こそ百年の眠りから眼を覚ますべきなのだと、雁金は技術を正しく用いて世界を一体化せんと世界帝国の樹立を志した。
そんな彼の野望を実現化させるには、バンガイだけでは心許ない。
世界には未だ、百年戦争の遺物が点在している。これらを相手取り、世界を掌握するには、戦力が必要だ。
バンガイと同じく、大戦時代を駆け抜けた万夫不当の生物兵器。ニュートラルが造り出した、黒き”怪物”達。彼らを揃え、我が指とすることで、机上の空論は世界を脅かす刃となろう。
ニュートラルの研究所から持ち出した記録データを眼にしてから、そればかりを考えてきた雁金にとって、この冗長な復旧作業でさえも至福であった。
「秒単位で行われる肉体の破壊と再生。これを制御出来ず、感染者の体は膨れ上がり、やがて内側から炸裂し、死亡する。この悪魔のような兵器によって、何万人という人間が肉塊と化したが……ごく少数、”ネヴァーモア”に耐性を持った人間が存在した。そこで、中立機関ニュートラルは、”ネヴァーモア”の耐性を持つ人間を集め、彼らを交配し、妊娠した被検体の胎内に”ネヴァーモア”を打ち込んだ。結果、殆どの胎児は母親の腹を破裂させる程に膨張し、そのまま爆ぜて散ったが……受精卵にまで退行した後、元の大きさに戻って生まれた赤ん坊がいた。その赤ん坊は、”ネヴァーモア”に感染していながら、これを完全に律し、自らの意思で”怪物”の血を操ることが出来た。これが、人型生物兵器バイオフォーセスの誕生だ」
「そん……な……」
「じゃあ、俺達は……」
「元々は人の子だった、なんて言うなよな。残念ながら、俺らは全員、母親の胎から出た時から化け物だ」
嘲るバンガイの声さえも、今の夜咫と星硝子には響かなかった。
悍ましき細菌兵器と、醜悪を極める実験。その果てに、人として生まれ落ちる筈であった自分達は、兵器となった。
自らが人の紛い物であることは、とうに受け入れていた。だが、この体は確かに人間の物で、人の形をしていて当たり前だと突きつけられると、それはまた、堪え難い。いっそ、欠片も人間ではないと言われた方がマシだった。
諦めようとしていたのに。この期に及んで、自分が人間であることに縋り付いてしまいそうで、心が折れる。
その惨憺たる二人の顔付きを愉しげに眺めながら、雁金はもう一つ、真実を紐解いて開示した。
「”ネヴァーモア”の力によって、常軌を逸した身体能力と”細胞形質変化”。これらの武器を以て、数多の戦場を血で染めたバイオフォーセス・プロトをモデルに、ニュートラルは新たに九機を製造。更に、強大な兵器たる彼ら制御すべく、研究者達はある装置を開発し、それをバイオフォーセスの脳内へ組み込んだ。”フギンとムニン”と呼ばれたその装置は、バイオフォーセスの思考パターンや戦闘データの収集・解析と、”ネヴァーモア”の働きを利用し、大脳皮質の神経細胞及びシナプスを破壊・再構築することで、記憶障害を引き起こす機能を有していた……。そう、諸君らに大戦時の記憶が無いのは、凍結前、”フギンとムニン”によって初期化され、”ネヴァーモア”も、”細胞形質変化”も、自分が何者であるかさえも忘れていたからだ」
恐らく、彼らの初期化もまた、世界が選んだ防衛機制なのだろう。
百年分の戦闘データを搭載したまま彼らを凍結すれば、人類が淘汰される危険性がある。だが、彼らを処分してしまえば、他の古代兵器の復活や、人の手に負えない厄災に対する抑止力を失う。
つまり彼らバイオフォーセスは、勿体ない精神で生かされ、人の手で制御出来る範疇に抑えられるようにと記憶を消去されていた、ということなのだ。
全く、何処までも哀れなものだと、雁金が打ち笑う中、夜咫と星硝子は項垂れた。
「なによ、それ…………」
ずっと探し求めていた。自分が一体何者なのか。何処から生まれ、何処へ向かうべきなのか。確かな答えを探し、広過ぎる世界を彷徨い歩いた果てに、それらが人為的に奪われたものであることを知って、怒りに震えることさえ出来なかった。
あまりに身勝手で、理不尽で、残酷で。最早、誰を憎めばいいのかさえ分からない。
その行く宛のない刃が自分の首元に宛がわれているようで、夜咫も星硝子も悄然と言葉を枯らすが、雁金は、落ち込むことはないと場違いなまでに明るい声で告げる。
「何、諸君らも直に思い出す。自分がかつて、如何にして戦場を飛び回り、何千何万という死を啄んできたのか……薬漬けにして、脳に電流を流し込んで調教し、私を唯一絶対の支配者として敬服するようになった諸君らは、誰に問うまでもなく、その力を揮ってくれるようになっているだろう。この大亰自治国を世界帝国へと発展させる兵器として、な」
バンガイのデータをもとに構築したプログラムを脳に流し込めば、あらゆる機能が起動し、彼らは力の使い方と、己の在り方を思い出すだろう。
尤も、その為にそれ以外の全てを失うことになるが――兵器としては本望だろうと、雁金は喜悦の滲む声でバンガイに命じる。
「バンガイ、ブラックフェザーの四肢をもぎ取れ。”ネヴァーモア”の使い方をインストールしてやれば、腕も脚も生えてくる。それまで動けないようにしておけ」
「了解」
口惜しいが、遊びの時間はこれで終いだ。
これ以上は夜咫と星硝子が死んでしまいかねないし、ブラックフェザーは未だ残っている。従順な自治国軍兵士となった彼らと共に、残るブラックフェザー達を鹵獲し、世界各国に眠る古代兵器と対峙する楽しみもあるのだ。
その為にも、今日は彼らの手足をもぎ取って終わりとしようと、バンガイは手始めに、足元に転がる夜咫の処理へ取りかかった。
「っ、ああああぁ!」
徒に、中途半端に修復されつつある傷口を嬲りながら、脚を踏み拉く。
このまま彼が、少しでも力を込めれば、夜咫の脚は千切れ飛ぶ。それをあと二回、両の腕にも施せば、夜咫に成す術はない。
都合良く”ネヴァーモア”を使えるようになどならないし、星硝子に期待しても無駄。レジスタンスの仲間達など、助けにもなりやしない。
捕えられ、洗脳され、討つべき仇敵に頭を垂れ、腐った主義と理想を妄信する糞以下の存在に成り下がる。そうして、夜咫・クロフォードという存在は完全に消滅する。
これ以上の敗北があろうかと、夜咫は拳を握り締め、脚の筋肉が断裂していく痛みに喘ぐ。
その様を見下ろしながら、バンガイは曲げた膝の上に肘を置き、夜咫の脚に体重を掛けながら、最後にこれだけは言ってやらねばと、上体を屈めた。
「そうそう。冥土の土産っつー訳じゃねぇが、お前がお前でなくなる前に、もう一つだけ教えといてやりたかったことがあるんだよ。お前が散々手こずらされてきた、あの出来損ないなんだがな……ありゃあ、正確には俺のクローンではなく、俺のDNAを持った受精卵を素に量産されたクローンなんだよ」
「っ……それが……何だって…………」
バンガイの言う出来損ないとは、彼女のことだろう。
彼の体細胞から造られたとされた、ナノマシン・コンバイニング・クローン――カササギ。
今になって、バンガイが彼女のことを口に出す意味が、夜咫には分からなかった。
親機であるバイオフォーセスの模造品にさえなれなかった彼女に今日まで手こずらされてきた自分を嗤いたいのか。
彼女が如何に劣る存在であるか、そんなことを聞かせて愉しいのかと、夜咫が嫌忌の眼差しを向けると、バンガイは未だかつてなく快哉とした笑みで語った。夜咫が知る由も無かった、カササギの起源と因果を。今日まで曝されることのなかった惨劇を。
「その受精卵は、お前がよ〜く知ってる奴の胎から摘出された物でよ。要するにあれは、俺とそいつの間に出来たガキっつー訳なんだよ」
悪意で練り固められた言葉を流し込まれた瞬間。ありとあらゆるものが焼き切れたような感覚が、夜咫の思考回路を白く塗り潰した。
「…………お前、まさか」
そんな訳がないと、何千何万と繰り返し繰り返し、叫び立てる自分がいる。
有り得ていい筈がない。そんなことが、許されていい筈がない。それだけは、断じて認めてはならない。
自らを構成する全てが、これを否定する。そうしなければ、とても正気を保っていられないからと、逆巻く激情さえ消え失せた頭の中に、バンガイの声が響く。
長年大事にしまい込んできた宝箱を開け放つかのような口振りで、彼は何れ消えゆく夜咫・クロフォードへの手向けとして、その胸に最上級の絶望を植え付けた。
「お前の母親――鳩子は、本当にいい女だったぜ。夜咫・クロフォード」